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あのドラフト選手は今、麦倉洋一(ドラフト3位)

2017年05月11日

5/10、デイリースポーツ8面「週刊デイリー高校野球」より
 

1989阪神ドラフト3位 麦倉洋一
佐野日大高・投手・18歳

春夏10度の甲子園出場を誇る佐野日大の監督に、OBの元阪神・麦倉洋一氏(1989阪神3位)が4月1日付で就任した。プロ野球引退後、20年間勤務したスポーツ用品店メーカーを退職して転身した。背景にあったのは、母校と甲子園への熱い思い。監督として聖地を目指す野球人生の再スタートを切った。

「集中力、集中力!」。懸命に白球を追う選手に、新監督のゲキが飛ぶ。グラウンドには笑顔と元気のいい声が絶えない。「明るくというのは変えたくない。つらい練習でも気分だけは楽しく。僕らの時代もそうだった」。麦倉監督は、受け継ぐべき伝統へのこだわりを口にした。

母校からの誘いを受け、45歳で踏み出した指導者の道。決断の理由をこう説明した。「甲子園は人生が変わる。本当ですよ。自分が味わったことを、この子らも味わって、いい思いをしてこの学校を卒業してほしい。それだけです。母校で監督をやれるのはそうないことですから」

89年夏、甲子園初出場時のエース。栃木大会を39回無失点で制して聖地に乗り込み、開幕試合で完封と決勝アーチ。ひと夏の活躍でプロへの扉を大きく開いた。「甲子園で人生が変わった」男の言葉には説得力がある。

同年秋のドラフト3位で阪神に入団。通算2勝を挙げた。故障もあって5年で現役生活を終えた後は、スポーツ用品メーカーのデサントに20年間勤務。営業担当としてプロのトップ選手に接し、高校、大学、社会人の様々なチーム作りを目の当たりにしてきた。

指導する立場は初めてでも、野球現場の最前線に25年。引き出しは多い。投手育成で痛感するのは「走ることで投手が得られるものは多くある」という普遍の原理。バランス、心肺機能、ピンチでの精神面・・・。下半身ができていなければ、制球も変化球の習得もままならない。

自身はプロで右肩を手術。「すぐ追いつこうと焦りすぎた。順番を追っていかないといけない」。苦い経験は、ランメニューの重要性を選手に説くのに役立っている。

高校生とのコミュニケーションにも経験が生きている。「上から押しつけるのではなく、一人一人と対話が必要。営業をやっていたので、そこは注意しています」。週2回は寮に泊まり、将来の相談にも乗る。主将の中山貴史投手は「自分たちが思っていたことを、監督も考えていたりする。新体制の最初の夏に甲子園に行きたい」と意気込む。

改革は進んでいる。選手の能力は高くとも、昨秋は県大会初戦敗退。「おとなしいし、真面目。オレがオレが、という子がいない」という状況に、就任が決まった昨年12月のミーティングで「君らは1回戦負けのチーム。優勝したければ、いくらでも練習しなきゃいけない」と、厳しい言葉をかけた。

春からはA、B、1年生の3チームの入れ替えを活性化。競争意識を高め、底上げを図っている。他の強豪校に比べて物足りなかった打撃は「まずは思い切り振らせる」と、スイングの量も質も高めた。投手陣のランニング量も、倍になった。初采配となった春の栃木大会は4強入り。まずまずの第一歩はしるした。

「これからでしょうね。苦しいのは。これだけは譲れないという芯を、早く見つけたい」。冷静に現状を見つめる麦倉監督は「野球をやってきて、サラリーマンでも野球に関わって、最後はこれだな、と。プロに行く前は指導者が夢だったんです」と明かした。

球児として、プロとして聖地を経験し、長い時を経て戻った原点の思い。母校の将として、再びあの舞台に立つ。
 



下は1989ドラフトで阪神が指名した選手です。麦倉洋一は3位指名入団。プロでの成績はこちら

阪神の1989ドラフト指名選手
1位葛西 稔法政大投手
2位岡本 圭治近畿大内野手
3位麦倉 洋一佐野日大高投手
4位古里 泰隆福岡第一高投手
5位新庄 剛志西日本短大付高内野手
6位吉田 浩高岡第一高外野手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:05│ あのドラフト選手は今・・・ 
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