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ドラフト指名漏れで新聞を恨んだ元中日・巨人の投手

2017年06月10日

6/10、日刊ゲンダイ43面「門倉健の流れ流れて日韓7球団」より

1995中日ドラフト2位 門倉健
東北福祉大・投手・22歳

中3の夏から秋にかけ、埼玉・聖望学園に通う中学の1年先輩に「おまえ、進学先決まってる? 一緒にやらないか?」と誘われて決めた。甲子園出場経験がある所沢商のブルーのユニホームに憧れていたが、推薦枠の関係で断念。当時の聖望学園はまだ甲子園に出場したことがない新鋭校だった。

身長は小6で170センチ、中3で190センチと当時から大きかったものの、大した投手ではなかった。ラクという理由で横手から投げていたほど。入学早々、岡本幹成監督に「デカいのにもったいない。上から投げろ」と指導され、スピードが出るようになった。

2年の秋、翌春のセンバツをかけた埼玉大会で、その年の夏の甲子園出場校でもある大宮東に敗戦。冬の間、「打倒・大宮東」で猛練習に耐えた。3年春、平尾博嗣(1993阪神2位)が入学した大宮東と再び戦った。0―0で試合は進み、円陣でボクはこう言った。「1点だけ取ってくれ。1点あれば勝てる」

後にも先にもこんなことを頼んだのは一度きりである。結局1―0。ボクにとっては、自分に自信が持てるようになったターニングポイントになる試合だ。その後、「勝ったぞ!」とみんなでうれし泣きをしていると、次の試合のために入れ替わった花咲徳栄の選手に「おい、あいつら泣いてるぜ~」と痛烈に冷やかされ、カチンときた。

その花咲徳栄と県大会準々決勝で対戦した。向こうのエースは、プロ注目の剛腕・品田操士(1991近鉄3位)。ボクも県内ではそこそこ評判は高くなっていて、埼玉ナンバーワン投手の座をかけた試合でもあった。

試合序盤、ボクの投げた球が打者・品田の顔付近に抜けてしまった。「おい、コラ!」と打席で品田が叫び、両校のナインがベンチで立ち上がる。あわや乱闘の騒然とした雰囲気の中、高校野球では前代未聞の「警告試合」が宣告された。

この試合を勝利した聖望学園は、同校初の関東大会への切符を手にした。だが、春の埼玉、関東、夏の埼玉の決勝でいずれも春日部共栄に敗れることになる。ボクが登板した夏の決勝戦は、城石憲之(1994日ハム5位)に本塁打されるなど1―3。あと一歩のところで甲子園の土を踏むことはできなかった。

ドラフト会議当日。地元の埼玉新聞に品田とボクの2人は「指名確実」と大きく報じられた。実際は品田が近鉄3位、ボクはどこからも指名されなかった。テレビで中継もされていた。悔しいのはもちろん、学校中が注目している中で指名漏れという気恥ずかしさも大きかった。ボクはマスコミと品田を恨んだ。

彼とは後に近鉄でチームメートになるのだが、当時の気持ちは、東北福祉大へ進み、4年後に品田より上位で高い契約金をもらってプロに入ること・・・。それしかなかった。(つづく)



下は1995ドラフト会議で中日が指名した選手です。門倉健は2位指名され入団。プロでの成績はこちら

中日の1995ドラフト指名選手
1位荒木 雅博熊本工高内野手
2位門倉 健東北福祉大投手
3位藤井 優志大阪学院大捕手
4位渡辺 博幸三菱自動車川崎内野手
5位大塔 正明近畿大投手
6位益田 大介竜谷大外野手
7位日笠 雅人新日鉄君津投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:06│ │ドラフトのウラ話 
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