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イチロー、中日ドラフト5位指名はオリックスにバレていた

2017年06月15日

6/15、日刊ゲンダイ31面「井箟重慶の球界への遺言」より

1991オリックスドラフト4位 鈴木一朗
愛工大名電高・外野手

「ダメです。4位までに指名しなければ、絶対に取れません」。
91年、ドラフト前日のスカウト会議だった。当時、愛工大名電(愛知)の投手だったイチローこと、鈴木一朗(1991オリックス4位)の獲得を強硬に主張したのは三輪田勝利スカウトだった。

この年は1位で関西学院大の田口壮(現オリックス二軍監督)、2位で東海大甲府の萩原淳(現愛媛マンダリンパイレーツコーチ)の指名を予定していた。いずれも野手。3位以下は大学、社会人の即戦力投手を指名すべきという声が多く、社内でもイチローは5、6位という評価だった。三輪田はしかし、かたくなだった。

「この子はピッチャーですけど、バッターとして間違いなくいい選手になります。本人が熱烈な中日ファンだし、地元の中日もかなり評価していますから」

イチローは実際、子供の頃から筋金入りの中日ファンだった。外野の焼きそばがうまく、それを食べながら観戦したという。オリックス入団後も、わざわざナゴヤ球場まで出掛けたほど。

あるとき、もう一度、ナゴヤ球場で焼きそばを食べながら試合が見たいと言い出したのだ。すでに顔も名前も売れていたものの、どうしても行きたいという。仕方なく中日に頼み込み、観戦している席まで焼きそばを運んでもらった。

世に言う「10・8決戦」。ペナントレースの最終戦で巨人が中日を下してリーグ優勝を決めた94年10月8日のことだ。イチローはそれくらい中日とナゴヤ球場に思い入れがあった。

ドラフト前日のスカウト会議で三輪田があまりに執拗なので、結論は持ち越しに。スカウトたちは中日を含めた他球団の動向を探るため、その日の晩から当日の午前中にかけて会場のホテル内を駆け回って、他球団のスカウトや関係者から情報収集した。その結果、4位までにいかなかったら中日がいくと判明、イチローの4位指名が決まった。

年明けの1月、オリックスは当時、新人の親御さんや所属チームの関係者を神戸ポートアイランドホテルに招いて食事会を開いていた。わたしがイチローと最初に会ったのもこのときだ。愛工大名電の中村豪監督が「この子はヒットならナンボでも打ちますから」と言う。

「何を言ってるんですか、ここはプロですよ」と思わず口にしそうになったが、そんなわたしの見方は2月のキャンプでガラリと変わった。イチローの打撃センスに首脳陣や球団関係者は舌を巻いた。

編成部長だった中田昌宏が「この子はすごいから、オーナーに最初のキャンプで見せておきましょうよ」と提案。わたしは一軍の糸満市西崎球場にキャンプを視察に来た宮内義彦オーナーに、「二軍に面白い新人がおりますので、ご覧になってください」と水を向け、車で20分前後かかる二軍の那覇市営奥武山球場に連れて行った。

そこでイチローにフリー打撃をさせ、「今度入ったピッチャーですが、バッターとして育てますので見ておいてください」と話した。二軍の選手をわざわざ宮内オーナーに見せたのは、イチローが最初で最後だった。

その後、オーナーはイチローの話になるたびに、「あのとき見てくれと言われて見せられたよな。ここまでの選手になるとは思わなかったけど」と苦笑した。


上の記事は元オリックス球団代表の井箟重慶氏が書かれたものです。

中日スポーツによると、中日はイチローをドラフト5位で指名予定だったそうです。しかし何年か前、イチローの高校時代の恩師・中村さん(元・愛工大名電監督)は、「中日が評価していたのは投手・イチローで、打者・イチローには全く関心がなかった」という趣旨のことを話しています。もしも中日に入団していたら10~15勝クラスの投手に育っていたかもしれませんが、振り子打法は見れなかったでしょうね。

下は1991ドラフトでオリックスが指名した選手です。イチロー(鈴木一朗)は4位指名され入団。プロでの成績はこちら

オリックスの1991ドラフト指名選手
1位田口 壮関西学院大内野手
2位萩原 淳東海大甲府高内野手
3位本東 洋三菱重工長崎投手
4位鈴木 一朗愛工大名電高投手
5位北川 晋浪速高投手
6位西 芳弘寺井高外野手
7位山本 大貴元阿部企業投手
プロ入り後の成績


オリックスの歴代ドラフト指名選手一覧はこちら


draftkaigi at 07:48│ │ドラフトのウラ話 
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