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イチローを発掘した名スカウト、自殺の真相(その2)

2017年07月18日

7/13、日刊ゲンダイ30面「球界への遺言」より 

1998オリックストドラフト1位 新垣渚
沖縄水産高・投手・18歳


「さっき、九州担当の山本公士スカウトから電話があったのです。きょうの会議でドラフト1位は新垣渚でいくと結論が出たと聞きましたけど、絶対にやめてほしいと。これまで自分が散々、話をしてきたが、ダイエーに決まっているんだから取れません。だからやめてくれと言われました。ですから、あすはやめましょう」

98年11月19日、ドラフト前夜の深夜11時くらいだった。ホテルのロビーで会った編成部長の三輪田勝利はこう言った。しかし、新垣の1位指名は、数時間前の会議で決まったばかり。当初、反対していた三輪田も最終的に納得した、はずだった。わたしは三輪田の提案を蹴った。

「みんなでよく話し合った末に出した結論なんだから、いこう。取れる取れないはやってみなければわからないんだから」、「う~ん、そこまで代表が言うのであれば・・・。じゃ、僕は1位指名が決まったら、すぐ現地に行きます。ベストを尽くしてやってみます」。彼がこう言って、その晩は別れた。

三輪田を新垣との交渉権を獲得した際の担当者にしたのには理由があった。彼が編成部長だったというのはもちろんあるが、彼自身の経験を生かせるのではないかと考えた。
早稲田大のエースだった三輪田は、67年のドラフトで近鉄の1位指名を拒否して社会人の大昭和製紙に進んだ。当時の希望球団は地元の中日だったといわれている。

オリックスの前身の阪急に1位指名されてプロ入りしたのは2年後、69年のドラフトだった。ドラフトで意中でない球団から指名された際の選手の気持ちはだれよりも理解できると思ったのだ。

オリックスの仕事をするようになって以来、なにかと世話になっていたダイエーの根本陸夫さんには事前に連絡もしなかった。5年前の93年、ダイエーが囲っているとウワサされた平井正史を1位指名したときは事前に連絡して指名の許可をもらった。

ダイエーは当時、逆指名枠の1、2位を渡辺秀一(神奈川大)と小久保裕紀(青山学院大)で使い切っていて、平井を指名するとしても3位以下になった。是が非でも1位で獲得したいウチには説得の余地もあった。

しかし、今回はダイエーもウチも2位の選手を逆指名で決めていて、ダイエーは新垣を1位で指名することになっていた。ウチが新垣を指名するのはドラフト戦略上、伏せておきたかった。ウチの1位指名が事前にダイエーに伝われば、どんな手を使ってでも潰しにくる。

根本さんに対して義理を欠くことにはなるが、だからといって、降りるわけにはいかなかった。怒られるのは怖かったし、あるいは抽選後、「おまえ、そんなことをしても取れないぞ!」と、どやされたことがあったかもしれない。とにかく平井のときとは明らかに事情が違った。

そして11月20日、ドラフト会議当日。ダイエーとオリックスが新垣を1位指名、王貞治監督と仰木彬監督がクジを引き、仰木監督がすっと右手を挙げた・・・。 (つづく)



上の記事はオリックス・元球団代表の井箟重慶氏が書かれたものです。

下は1998ドラフトでオリックスが指名した選手です。新垣渚は1位指名されるも入団拒否しました。

オリックスの1998ドラフト指名選手
1位新垣 渚沖縄水産高投手
2位川越 英隆日産自動車投手
3位相川 良太東海大内野手
4位木村 昌広日立製作所投手
5位徳元 敏東農大生産学部投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 09:01│ ドラフトのウラ話 | オリックス
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