大原慎司(DeNA)、第二の人生は球団野球振興部
2017年12月07日
2010横浜ドラフト5位 大原慎司 TDK・投手・25歳 |
「ほっとした」というのが率直な感情だった。9月下旬の横須賀市内のベイスターズ球場。戦力構想から外れたことを通告された大原(2010横浜5位)は、冷静に状況を受け止めた。「言われたときは変な話、ほっとしたんです。もやもやがとれたというか・・・。クビを宣告されたら他に行くという選択肢はなかった。そんなに器用には生きられないと思っていましたから」
7年目の今季は、プロ入りして初めて1軍に一度も呼ばれなかった。伏線は左肩を痛めた15年からあった。手術でなく、保存療法を選択したが「(球を)はじいている感覚も弱かったし、ミットにつくまでの軌道も全然違った」。自分の理想の球を投げられない。もがきながら3年間を過ごしたからこそ、決断に時間はかからない。家族と相談し、約1週間で引退を決めた。
1年目の出会いが、プロ野球人生での礎となった。真っ先に新人左腕を、キャッチボールに誘ってくれたのが、同じ中継ぎ左腕の篠原だった。「競う立場だったが、キャッチボールをしようと声をかけてくれた。状態の確認の仕方や投げ方を学ばせてもらった」。
木塚1軍投手コーチには、宝刀のスライダーが捉えられることが多くなったシーズン中盤にツーシームを教えてもらった。「そこから投球の幅が広がった」と振り返る。
くしくも、2人が1軍投手コーチを務めた今季限りで引退する。「しのさんときづさんの方から連絡をいただいた。ありがとうな、と、もっとやってあげるべきことがあったかもしれない。すまない、という言葉をもらった」。2人との出会いがあったからこそ、今の自分がある。感謝の気持ちでいっぱいだ。
今は球団の野球振興部に所属し、野球教室などを通して野球を広める仕事に就いた。
その中で11年5月11日の巨人戦でプロ初勝利を挙げたときの出来事を思い出した。同年3月11日にTDK時代に仲のよかった後輩の実家が、東日本大震災で被災。周囲に声をかけられても「うるせえよ」と反発し、お見舞いの品を断るほどに落ち込んでいた後輩から、初白星の直後にメールが届いた。
「頑張っている姿を見て、僕も頑張ろうと思いました」・・・。その時に感じた。「野球の力って凄い」。その思いを子供たちに伝えていく。
下は2010ドラフトで横浜(現DeNA)が指名した選手です。大原慎司は5位指名され入団。プロでの成績はこちら
横浜の2010ドラフト指名選手 | |||
× | 大石 達也 | ||
1位 | 須田 幸太 | JFE東日本 | 投手 |
2位 | 加賀美 希昇 | 法政大 | 投手 |
3位 | 荒波 翔 | トヨタ自動車 | 外野手 |
4位 | 小林 寛 | 大阪学院大 | 投手 |
5位 | 大原 慎司 | TDK | 投手 |
6位 | 福山 博之 | 大阪商大 | 投手 |
7位 | 大原 淳也 | 四国九州IL香川 | 内野手 |
8位 | 靏岡 賢二郎 | 四国九州IL愛媛 | 捕手 |
★プロ入り後の成績★ |
draftkaigi at 07:36│
│戦力外通告