所属先決まらない村田修一、巨人関係者が妨害工作
2018年01月16日
1/16、夕刊フジ25面より
昨季限りで巨人を戦力外となり、いまだ新たな所属先が決まらない村田修一内野手(2002横浜自由枠)。転職難の背景には、巨人内部から他球団へ向けたネガティブキャンペーンがあった。
昨年10月13日の戦力外通告から3ヵ月。まさかの展開だ。村田の巨人入りの道を開いた当時の指揮官、原辰徳氏は今月9日に「この時期はもう12球団、編成も終わるでしょう?。(獲得オファーが)ないってことはねえ・・・」と首をひねった。昨秋の段階では「どこかがしっかりと手を挙げるのではないか。彼の特長は頑丈であること、そして守備力があること」と楽観的な見方を示していた。
決して身びいきではあるまい。2016年にセ・リーグ三塁手のベストナイン、ゴールデングラブを同時受賞。昨季序盤は代打要員も三塁の定位置を奪回し、規定打席未満で14本塁打と長打力も健在。これで、年俸数千万円でも新天地が決まらないのは不自然だ。
実際にロッテ・井口新監督は就任後、村田獲りに前向きな姿勢だった。ところが急に撤回した裏には「よその球団が手を引くよう、あることないこと吹いて回った巨人のスタッフがいる」と球界関係者は明かす。真に受けて敬遠した球団は他にもある。村田の選択肢を広げるため、トレードでなく自由契約にした鹿取GMの配慮を、身内が無にする異常な構図だ。
神奈川県内で自主トレを続ける村田は、独立リーグ複数球団の打診を受けるが、今季中のNPB復帰を見据え身の振り方を熟考中だ。神様は乗り越えられない試練を与えないというが・・・。スポーツマンシップからほど遠い妨害工作で、村田の選手生命が絶たれるようでは、この世界に神も仏もあったもんじゃない。
下は2002ドラフトで横浜が指名した選手です。村田修一は自由獲得枠で入団し、2012年巨人へ移籍。プロでの成績はこちら
2002横浜ドラフト自由枠 村田修一 日本大・内野手・22歳 |
昨季限りで巨人を戦力外となり、いまだ新たな所属先が決まらない村田修一内野手(2002横浜自由枠)。転職難の背景には、巨人内部から他球団へ向けたネガティブキャンペーンがあった。
昨年10月13日の戦力外通告から3ヵ月。まさかの展開だ。村田の巨人入りの道を開いた当時の指揮官、原辰徳氏は今月9日に「この時期はもう12球団、編成も終わるでしょう?。(獲得オファーが)ないってことはねえ・・・」と首をひねった。昨秋の段階では「どこかがしっかりと手を挙げるのではないか。彼の特長は頑丈であること、そして守備力があること」と楽観的な見方を示していた。
決して身びいきではあるまい。2016年にセ・リーグ三塁手のベストナイン、ゴールデングラブを同時受賞。昨季序盤は代打要員も三塁の定位置を奪回し、規定打席未満で14本塁打と長打力も健在。これで、年俸数千万円でも新天地が決まらないのは不自然だ。
実際にロッテ・井口新監督は就任後、村田獲りに前向きな姿勢だった。ところが急に撤回した裏には「よその球団が手を引くよう、あることないこと吹いて回った巨人のスタッフがいる」と球界関係者は明かす。真に受けて敬遠した球団は他にもある。村田の選択肢を広げるため、トレードでなく自由契約にした鹿取GMの配慮を、身内が無にする異常な構図だ。
神奈川県内で自主トレを続ける村田は、独立リーグ複数球団の打診を受けるが、今季中のNPB復帰を見据え身の振り方を熟考中だ。神様は乗り越えられない試練を与えないというが・・・。スポーツマンシップからほど遠い妨害工作で、村田の選手生命が絶たれるようでは、この世界に神も仏もあったもんじゃない。
下は2002ドラフトで横浜が指名した選手です。村田修一は自由獲得枠で入団し、2012年巨人へ移籍。プロでの成績はこちら
横浜の2002ドラフト指名選手 | |||
自由枠 | 村田 修一 | 日本大 | 内野手 |
自由枠 | 土居 龍太郎 | 法政大 | 投手 |
1巡目 | (指名権なし) | ||
2巡目 | (指名権なし) | ||
3巡目 | (指名権なし) | ||
4巡目 | 加藤 武治 | 三菱ふそう川崎 | 投手 |
5巡目 | 吉村 裕基 | 東福岡高 | 内野手 |
6巡目 | 北川 利之 | 川崎製鉄水島 | 内野手 |
7巡目 | 飯田 龍一郎 | 兵庫育英高 | 投手 |
8巡目 | 河野 友軌 | 法政大 | 外野手 |
9巡目 | 堤内 健 | 日本大 | 投手 |
10巡目 | 武山 真吾 | 享栄高 | 捕手 |
11巡目 | 木村 昇吾 | 愛知学院大 | 内野手 |
★プロ入り後の成績★ |
draftkaigi at 07:05│
│戦力外通告