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巨人、野茂英雄の獲得に動いていた

2018年04月11日

4/10、夕刊フジ26面「団野村のザ・エージェント」より

1989近鉄ドラフト1位 野茂英雄
新日鉄堺・投手・21歳

野茂英雄さん(1989近鉄1位)はデビルレイズ(現レイズ)を戦力外になった2005年オフ、ある日本の球団と交渉しました。今回初めて話しますが、オファーしてきたのは、あの巨人でした。

巨人は堀内恒夫監督のもとで同年5位に沈み、原辰徳監督の3年ぶりの復帰が決定。当時の清武球団代表は、ムチャクチャ熱心でした。チーム防御率はリーグワーストの4.80と投手力が弱かったことに加え、人気が落ちていると言われていた時期だったので、話題性という面も考えたようです。

かなり交渉は進んだのですが、結局最後は野茂さんが「まだメジャーでやりたい」と断り、06年はホワイトソックスとマイナー契約を結びました。しかしメジャーに上がれず、3Aジャーロットで右肘を痛めて6月に戦力外。再び手術し、07年10月にようやくベネズエラのウインターリーグで投げられるまでに回復しました。

08年、ロイヤルズとマイナー契約を結んだ野茂さんは中継ぎで開幕メジャーを勝ち取り、3年ぶりにメジャーのマウンドに立ちます。しかし3試合で戦力外となり、他球団からのオファーもなく、ついに7月に現役引退を表明しました。

日本のスポーツ新聞では「楽天が獲得へ」と報じられましたが、具体的な動きはありませんでした。野茂さんも「メジャー球団から話が来なければ引退する」と言っていましたし、その時は日本に復帰するつもりはありませんでした。

清武代表とは、マイケル中村が日本ハムから巨人に移籍した時(08年オフ)にも交渉しましたし、定期的に会って野球談議をしていました。常識のある人で、曲がったことが嫌い。「これでは野球界はよくならない。発展しなければいけない」と育成選手制度をはじめ、将来を見据えていろいろ考えていました。

11年に巨人を去ることになりましたが、すごく仕事のできる人だったので残念でした。(以下略)
 


上の記事は団野村氏が書いたものです。

下は1989ドラフトで近鉄が指名した選手です。1位指名・野茂英雄のプロでの成績はこちら

近鉄の1989ドラフト指名選手
1位野茂 英雄新日鉄堺投手
2位畑山 俊二住友金属外野手
3位石井 浩郎プリンスホテル内野手
4位藤立 次郎天理高外野手
5位平江 巌成章高外野手
6位入来 智三菱自動車水島投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 08:45│ │巨人 
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