ドラフト選手の家庭の事情、根尾昂(中日1位)
2018年11月14日
11/14、日刊ゲンダイ30面「ドラフト選手の家庭の事情」より
「文武両道」を体現する高校球児を輩出したのは、冬は雪深い岐阜県飛騨市。中日1位の大阪桐蔭・根尾昴(動画)は、周囲を山々に囲まれた河合町(旧河合村)で育った。
母の実喜子さんは自宅のすぐそばにある「国民健康保険飛騨市河合診療所」に勤務する。診療所は人口1000人に満たない河合町で唯一の医療機関だ。常勤医師は実喜子さんひとりで、日々、住民の診療や往診に追われている。
実喜子さんは兵庫県たつの市出身。地域医療に力を入れる自治医科大学で学び、同級生だった浩さんと結婚した。大学の卒業生には「9年間の地域病院や診療所での勤務」が義務付けられており、9年中最後の3年間を河合診療所で過ごし、そのまま現在に至る。
岐阜県白川村出身の浩さんもへき地医療に従事。「国民健康保険飛騨市宮川診療所」の院長を務めている。県立岐阜病院を経て、97年から現在の診療所に勤務。日刊ゲンダイが連絡した際は、インフルエンザ患者の診療で多忙を極めていた。
姉の春陽さんは富山大学医学部看護学科を卒業後、看護師に。兄の学さんは岐阜大医学部3回生。現在は医学部バスケットボール部に所属している。昂は学さんの影響で、保育園の頃はバスケットボール選手になるのが夢だったという。
学さんもかつては高校球児。岐阜県立斐太高校入学直後はバスケットボール部に所属していたが、1年の冬に野球部に移籍し、エースを任された3年夏は県大会準決勝で県岐阜商業に完投勝ち。相手ベンチには、15年ドラフト1位でソフトバンクに入団した高橋純平がいた。昂が古川中学時代に所属していた飛騨高山ボーイズの森本健吾監督はこう言う。
「お父さんはお忙しい中でかなりサポートしていただいて、試合ではほぼ毎回ベンチに入ってスコアを書いてもらっていました。スキーをやられていて、野球をやっていたというのは聞いたことがなかったんですが、スコアの書き方を覚えられていたと思います」。
父親の手を借りながら、昂は野球選手として成長していく。
「基本的に練習や試合は土日祝日。病院もお休みであることが多く、練習が終わってからもグラウンドでお父さんとピッチング練習をしているのを何度も見かけました。自宅でも夜遅くまでバットを振ったり走りこんだりしていたと聞いています。すでに腹筋は割れていましたね。中学では陸上部に所属していたから、トレーニングもしっかりしていた。地元では小学校の頃からすでに有名で、特に足と肩が光っていた。塁に出れば必ずといっていいほど盗塁を決める。守備ではショートを守っていたとき、レフトオーバーの打球をレフトの子を追い抜いて捕りに行っていました」(同)
昂は当初、スキー、陸上、野球と「三足のわらじ」を履いていた。インストラクター資格を持つ両親の影響で2歳からスキーを始め、2015年2月、中2のときにアルペンスキースラローム回転で全国中学校大会優勝。翌3月イタリアで行われたユース世界大会にも出場したが、大回転(GS)は44位、回転(SL)は途中棄権と惨敗に終わった。
日程の重なるボーイズリーグ春季全国大会支部予選に主将であるにもかかわらず出られなかったことで負い目を感じ、集中力を欠いたらしい。おまけに、飛騨高山ボーイズも初戦敗退。責任を感じた昂が「野球一本」を決意したのは、その頃だろう。
出場資格があった3月末のスキージュニア五輪を辞退。陸上はスキーよりも早く、中2の夏でやめていた。結果が主に個人に跳ね返ってくるスキーや陸上に対して、野球は完全なチームスポーツ。いなければチーム全体に迷惑がかかる。「三足のわらじ」に限界を感じたに違いない。
父親は大阪桐蔭の寮へ毎月書籍を送っていた。昂はそれを読破するだけではなく、学校の成績も良かった。「高校生なんだから勉強するのは当然」とも話している。しかし、ただの「ガリ勉」ではない。昂の母校、古川中学校で3年時に担任だった橋本浩典教諭はこう言う。
「意外と言ったらアレなんですが、普通なんです。クラス内では友達に冗談を言う、よく笑う生徒でした。その一方で、授業の合間の10分休みでも参考書を開いたり、本を読んでいたりしていた。そこで友達から声をかけられたら、自然と輪の中に交じることができる子でした。3年生のときは前期は生徒会長、後期は学級長を務めていて、そういう立場の責任感もあってか、授業でも率先して挙手をするし、周りにも『みんな挙手して』と言っていましたね」
橋本教諭の専門は美術。絵の出来以上に驚かされたのが、絵を描く過程だった。
「絵は上手でしたね。器用で、誰よりも早く最初に仕上げていたと思います。先にビジョンを描いて取り組んでいたので、迷いがない。当時はすでにプロ野球選手になりたいという夢が固まっていたので、その大きな目標に向かってどうすべきか、というのを組み立てられていたんだと思います」
勉強も出来るうえにスポーツ万能で人気もある・・・そんな昂にも意外な弱点があった。
「当時から身長(が低いこと)を気にしていましたね。常に姿勢が良く、授業中は猫背になる子が多い中、彼はいつも背筋をピンと伸ばしていたので、そこまで気にはなりませんでしたが。当校の給食は取り分けるタイプだったので、休みの生徒さんがいれば余ることもあります。牛乳が余ったとき、根尾くんは積極的にジャンケンに参加していました。ただ、あまりジャンケンが強くなかった(笑い)」
運も実力のうち、という。プロで使う「運」を取っておいたとすれば、根尾の描いた未来は明るいか。
下は2018ドラフトで中日が指名した選手です。1位・根尾君のスカウト評はこちら
2018中日ドラフト1位 根尾昂 大阪桐蔭高・遊撃手兼投手・動画 |
「文武両道」を体現する高校球児を輩出したのは、冬は雪深い岐阜県飛騨市。中日1位の大阪桐蔭・根尾昴(動画)は、周囲を山々に囲まれた河合町(旧河合村)で育った。
母の実喜子さんは自宅のすぐそばにある「国民健康保険飛騨市河合診療所」に勤務する。診療所は人口1000人に満たない河合町で唯一の医療機関だ。常勤医師は実喜子さんひとりで、日々、住民の診療や往診に追われている。
実喜子さんは兵庫県たつの市出身。地域医療に力を入れる自治医科大学で学び、同級生だった浩さんと結婚した。大学の卒業生には「9年間の地域病院や診療所での勤務」が義務付けられており、9年中最後の3年間を河合診療所で過ごし、そのまま現在に至る。
岐阜県白川村出身の浩さんもへき地医療に従事。「国民健康保険飛騨市宮川診療所」の院長を務めている。県立岐阜病院を経て、97年から現在の診療所に勤務。日刊ゲンダイが連絡した際は、インフルエンザ患者の診療で多忙を極めていた。
姉の春陽さんは富山大学医学部看護学科を卒業後、看護師に。兄の学さんは岐阜大医学部3回生。現在は医学部バスケットボール部に所属している。昂は学さんの影響で、保育園の頃はバスケットボール選手になるのが夢だったという。
学さんもかつては高校球児。岐阜県立斐太高校入学直後はバスケットボール部に所属していたが、1年の冬に野球部に移籍し、エースを任された3年夏は県大会準決勝で県岐阜商業に完投勝ち。相手ベンチには、15年ドラフト1位でソフトバンクに入団した高橋純平がいた。昂が古川中学時代に所属していた飛騨高山ボーイズの森本健吾監督はこう言う。
「お父さんはお忙しい中でかなりサポートしていただいて、試合ではほぼ毎回ベンチに入ってスコアを書いてもらっていました。スキーをやられていて、野球をやっていたというのは聞いたことがなかったんですが、スコアの書き方を覚えられていたと思います」。
父親の手を借りながら、昂は野球選手として成長していく。
「基本的に練習や試合は土日祝日。病院もお休みであることが多く、練習が終わってからもグラウンドでお父さんとピッチング練習をしているのを何度も見かけました。自宅でも夜遅くまでバットを振ったり走りこんだりしていたと聞いています。すでに腹筋は割れていましたね。中学では陸上部に所属していたから、トレーニングもしっかりしていた。地元では小学校の頃からすでに有名で、特に足と肩が光っていた。塁に出れば必ずといっていいほど盗塁を決める。守備ではショートを守っていたとき、レフトオーバーの打球をレフトの子を追い抜いて捕りに行っていました」(同)
昂は当初、スキー、陸上、野球と「三足のわらじ」を履いていた。インストラクター資格を持つ両親の影響で2歳からスキーを始め、2015年2月、中2のときにアルペンスキースラローム回転で全国中学校大会優勝。翌3月イタリアで行われたユース世界大会にも出場したが、大回転(GS)は44位、回転(SL)は途中棄権と惨敗に終わった。
日程の重なるボーイズリーグ春季全国大会支部予選に主将であるにもかかわらず出られなかったことで負い目を感じ、集中力を欠いたらしい。おまけに、飛騨高山ボーイズも初戦敗退。責任を感じた昂が「野球一本」を決意したのは、その頃だろう。
出場資格があった3月末のスキージュニア五輪を辞退。陸上はスキーよりも早く、中2の夏でやめていた。結果が主に個人に跳ね返ってくるスキーや陸上に対して、野球は完全なチームスポーツ。いなければチーム全体に迷惑がかかる。「三足のわらじ」に限界を感じたに違いない。
父親は大阪桐蔭の寮へ毎月書籍を送っていた。昂はそれを読破するだけではなく、学校の成績も良かった。「高校生なんだから勉強するのは当然」とも話している。しかし、ただの「ガリ勉」ではない。昂の母校、古川中学校で3年時に担任だった橋本浩典教諭はこう言う。
「意外と言ったらアレなんですが、普通なんです。クラス内では友達に冗談を言う、よく笑う生徒でした。その一方で、授業の合間の10分休みでも参考書を開いたり、本を読んでいたりしていた。そこで友達から声をかけられたら、自然と輪の中に交じることができる子でした。3年生のときは前期は生徒会長、後期は学級長を務めていて、そういう立場の責任感もあってか、授業でも率先して挙手をするし、周りにも『みんな挙手して』と言っていましたね」
橋本教諭の専門は美術。絵の出来以上に驚かされたのが、絵を描く過程だった。
「絵は上手でしたね。器用で、誰よりも早く最初に仕上げていたと思います。先にビジョンを描いて取り組んでいたので、迷いがない。当時はすでにプロ野球選手になりたいという夢が固まっていたので、その大きな目標に向かってどうすべきか、というのを組み立てられていたんだと思います」
勉強も出来るうえにスポーツ万能で人気もある・・・そんな昂にも意外な弱点があった。
「当時から身長(が低いこと)を気にしていましたね。常に姿勢が良く、授業中は猫背になる子が多い中、彼はいつも背筋をピンと伸ばしていたので、そこまで気にはなりませんでしたが。当校の給食は取り分けるタイプだったので、休みの生徒さんがいれば余ることもあります。牛乳が余ったとき、根尾くんは積極的にジャンケンに参加していました。ただ、あまりジャンケンが強くなかった(笑い)」
運も実力のうち、という。プロで使う「運」を取っておいたとすれば、根尾の描いた未来は明るいか。
下は2018ドラフトで中日が指名した選手です。1位・根尾君のスカウト評はこちら
中日の2018ドラフト指名選手 | |||
1位 | 根尾 昂 | 大阪桐蔭高 | 内野手 |
2位 | 梅津 晃大 | 東洋大 | 投手 |
3位 | 勝野 昌慶 | 三菱重工名古屋 | 投手 |
4位 | 石橋 康太 | 関東第一高 | 捕手 |
5位 | 垣越 建伸 | 山梨学院高 | 投手 |
6位 | 滝野 要 | 大阪商大 | 外野手 |
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│中日