ドラフト選手の家庭の事情、小園海斗(広島1位)
2018年11月16日
11/16、日刊ゲンダイ26面「ドラフト選手の家庭の事情」より
整体師の父・考志さんは兵庫県宝塚市内で「整体屋」を経営する。「立ち上げて16年になります」という院内には、約400万円の「酸素カプセル」がある。これが報徳学園・小園海斗(動画)の成長に大きく役立ったと考志さんは言う。
「今は施術用ですが、最初は息子のために買ったんです。海斗が小3だったか、すでにリトルリーグで野球を始めていた頃。野球選手って体が大きいですよね。骨を伸ばすにはどうしたらいいかと勉強していたら、酸素の量が重要だと。2002年の日韓ワールドカップでベッカム選手がリハビリのために使って有名になった酸素カプセルはどうかと思って購入したんです。小学生の頃から多い時は週5くらい使わせていました。海斗はこれまで大きなケガをしたことがないんですが、骨が丈夫になったのは確かです」
体のバネは両親譲り。アスリートのDNAを受け継いでいる。考志さんは学生時代、陸上選手だった。県西宮高時代は走り幅跳びが本業で100、200メートルも走った。福井工大時代は全国大会のインカレにも出場した実力の持ち主。1学年下に北京五輪で4×100メートル銀メダリストの朝原宣治氏がいて切磋琢磨する間柄だった。
「朝原君とは兵庫県の高校選抜で一緒になったり、大学時代はインカレで会ったり、ボクはライバルだったと思っていますよ」と考志さんは笑う。
埼玉県出身の母・こず江さんは元女子サッカー選手だ。小学時代はキックベース、中学時代はバスケットボール。進路相談で「身長が162~163センチだったのでバスケは厳しいと。身体能力を生かすためにサッカーはどうだ? と勧められて」(こず江さん)と強豪の本庄女子高(現・本庄第一)体育コースに進学。
「授業は午前中だけ。午後からは毎日部活でした」というサッカー漬けの環境で50メートルを6秒台後半で走る俊足MFとして全国3位を経験。元なでしこジャパンGKの山郷のぞみさんは高校の同級生だ。卒業後は22歳まで、なでしこリーグの前身・Lリーグの旭国際バニーズ(現・バニーズ京都SC)でMFとして4年間プレーした。
小園が幼少期には、枕元にサッカーボールを置いたというが「全く興味を示さなかった」とこず江さん。育児日誌をひっくり返すと「生後9カ月でキャッチボールを始めたと書いてありました」と根っからの野球小僧だった。
2人の出会いはゴルフ場だ。考志さんは大学を卒業後、福嶋晃子のキャディーを務めるなどしながらプロゴルファーを目指していた。ちょうどその頃、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きた。
「宝塚の寮(旭国際バニーズ)が半壊しまして、チームが経営しているゴルフ場にトレーニングを兼ねて避難したら、主人と知り合いました」(こず江さん)。ほどなく結婚することになり、考志さんはプロゴルファーの道を断念。かねて決めていた「整体師」になるため、専門学校で学び、30歳で自身の治療院を開業した。
野球は父方の祖父・義光さんの影響かもしれない。かつては社会人の東洋高圧大牟田(現・三井化学)でプレー。巨人・原辰徳監督の父・貢氏とチームメートだった。小園が幼稚園の時、義光さんに甲子園球場へ連れて行ってもらい、阪神―巨人戦を観戦したことが、後に宝塚リトルで野球を始めるきっかけになった。
好きな言葉は帽子のつばに記している「日本一のショート」だ。こず江さんは言う。「実は枚方ボーイズに入った中1の野球ノート1ページ目にもこれを書いているんです」。宝塚市内のマンションに高校2年生の妹・梨心さんと4人で暮らす。
下は2018ドラフトで広島が指名した選手です。1位指名・小園君のスカウト評はこちら
2018広島ドラフト1位 小園海斗 報徳学園高・遊撃手・動画 |
整体師の父・考志さんは兵庫県宝塚市内で「整体屋」を経営する。「立ち上げて16年になります」という院内には、約400万円の「酸素カプセル」がある。これが報徳学園・小園海斗(動画)の成長に大きく役立ったと考志さんは言う。
「今は施術用ですが、最初は息子のために買ったんです。海斗が小3だったか、すでにリトルリーグで野球を始めていた頃。野球選手って体が大きいですよね。骨を伸ばすにはどうしたらいいかと勉強していたら、酸素の量が重要だと。2002年の日韓ワールドカップでベッカム選手がリハビリのために使って有名になった酸素カプセルはどうかと思って購入したんです。小学生の頃から多い時は週5くらい使わせていました。海斗はこれまで大きなケガをしたことがないんですが、骨が丈夫になったのは確かです」
体のバネは両親譲り。アスリートのDNAを受け継いでいる。考志さんは学生時代、陸上選手だった。県西宮高時代は走り幅跳びが本業で100、200メートルも走った。福井工大時代は全国大会のインカレにも出場した実力の持ち主。1学年下に北京五輪で4×100メートル銀メダリストの朝原宣治氏がいて切磋琢磨する間柄だった。
「朝原君とは兵庫県の高校選抜で一緒になったり、大学時代はインカレで会ったり、ボクはライバルだったと思っていますよ」と考志さんは笑う。
埼玉県出身の母・こず江さんは元女子サッカー選手だ。小学時代はキックベース、中学時代はバスケットボール。進路相談で「身長が162~163センチだったのでバスケは厳しいと。身体能力を生かすためにサッカーはどうだ? と勧められて」(こず江さん)と強豪の本庄女子高(現・本庄第一)体育コースに進学。
「授業は午前中だけ。午後からは毎日部活でした」というサッカー漬けの環境で50メートルを6秒台後半で走る俊足MFとして全国3位を経験。元なでしこジャパンGKの山郷のぞみさんは高校の同級生だ。卒業後は22歳まで、なでしこリーグの前身・Lリーグの旭国際バニーズ(現・バニーズ京都SC)でMFとして4年間プレーした。
小園が幼少期には、枕元にサッカーボールを置いたというが「全く興味を示さなかった」とこず江さん。育児日誌をひっくり返すと「生後9カ月でキャッチボールを始めたと書いてありました」と根っからの野球小僧だった。
2人の出会いはゴルフ場だ。考志さんは大学を卒業後、福嶋晃子のキャディーを務めるなどしながらプロゴルファーを目指していた。ちょうどその頃、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きた。
「宝塚の寮(旭国際バニーズ)が半壊しまして、チームが経営しているゴルフ場にトレーニングを兼ねて避難したら、主人と知り合いました」(こず江さん)。ほどなく結婚することになり、考志さんはプロゴルファーの道を断念。かねて決めていた「整体師」になるため、専門学校で学び、30歳で自身の治療院を開業した。
野球は父方の祖父・義光さんの影響かもしれない。かつては社会人の東洋高圧大牟田(現・三井化学)でプレー。巨人・原辰徳監督の父・貢氏とチームメートだった。小園が幼稚園の時、義光さんに甲子園球場へ連れて行ってもらい、阪神―巨人戦を観戦したことが、後に宝塚リトルで野球を始めるきっかけになった。
好きな言葉は帽子のつばに記している「日本一のショート」だ。こず江さんは言う。「実は枚方ボーイズに入った中1の野球ノート1ページ目にもこれを書いているんです」。宝塚市内のマンションに高校2年生の妹・梨心さんと4人で暮らす。
下は2018ドラフトで広島が指名した選手です。1位指名・小園君のスカウト評はこちら
広島の2018ドラフト指名選手 | |||
1位 | 小園 海斗 | 報徳学園高 | 内野手 |
2位 | 島内 颯太郎 | 九州共立大 | 投手 |
3位 | 林 晃汰 | 智弁和歌山高 | 内野手 |
4位 | 中神 拓都 | 市岐阜商高 | 内野手 |
5位 | 田中 法彦 | 菰野高 | 投手 |
6位 | 正随 優弥 | 亜細亜大 | 外野手 |
7位 | 羽月 隆太郎 | 神村学園高 | 内野手 |
育1 | 大盛 穂 | 静岡産大 | 外野手 |
draftkaigi at 07:00│
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