あのドラフト選手は今、林昌範(ドラフト7巡目)
2018年11月24日
日刊ゲンダイ17面「あの人は今こうしている」より
林さん(2001巨人7巡目)に会ったのは、東葉高速鉄道東業高速線・飯山満駅から徒歩17分の場所にある「船橋中央自動車学校」。記者が訪ねると、林さんはデスクワークの真っ最中だった。186センチの高長身で周囲より頭一つ分高い。体格も現役当時と変わらずガッシリとしていて、迫力満点だ。
「2日前にパソコンが壊れちゃったんですよ」と林さん。頂いた名刺には「取締役 営業部長」とある。実は、林さんの父親は同自動車学校の創業者。目下、家業を修業中なのだ。「営業部長といっても営業課はないし、部下もいません」と笑う林さんだが、現在は「教習所の仕事が8割、野球の解説やコラム執筆が2割ほど」で、ほぼ教習所で日々を過ごしている。
「この世界には今年1月に飛び込んだばかりです。最初はパソコンが全然使えなくて、パソコン教室アビバに通って学びました。今は、経理や会計の勉強もしているんですがチンプンカンプンで、必死に勉強しています。でも、本当の苦労はこれからだと思ってます」
ゆくゆくは、同教習所を継いで経営する考えだという。
「野球選手時代は個人の技術が重要視される世界でした。しかし今、この教習所では、人をまとめる力が求められます。全体で100人ほどの従業員がいて、それぞれ家族もいる。簡単な仕事ではないと感じています」
野球経験を生かした取り組みも行っている。
「姉妹校である鎌ヶ谷校のそばに、日ハムの2軍の施設があるんです。で、聞けば今の高校生は卒業しないと免許が取れない。高卒でプロ入りして忙しい若手選手たちが免許を取れるよう、教習所との橋渡しをしています。やっぱり、野球選手が電車通勤する姿はちょっと寂しいじゃないですか。いい車に乗って、子供たちの憧れの的になってほしいんです」
さて、千葉県船橋市出身の林さんは、小学生の時から野球に没頭。飯山満シーホークスでは「4番でキャプテンでエース。体格も良かったから漠然とプロになれると思っていました。ただ、太っていたので、周りからは、野球がダメだったら相撲に行けと言われてました(笑い)」
市立七林中学でも4番でエース。卒業後、3年連続で甲子園に出場していた市立船橋高校に進み、1年時からベンチ入り。エースとして春の大会に臨んだ3年時は足首を骨折して野球を諦めかけたが「母がいろんな病院を駆けずり回ってくれたおかげ」で県予選にギリギリ間に合い、140キロ台の投球を披露。秋のドラフトで、巨人から隠し玉として指名がかかった。
02年から15年間歩んだプロ野球人生で最も印象に残った出来事は「03年に巨人の1軍に初昇格したこと」と振り返る。
「言っても僕はドラフト7位。1年間、プロの世界に接して、(自分は)厳しいかなと感じていたところ、V9時代の左腕エースで当時2軍投手コーチだった高橋一三さんが、僕を1軍へ推薦してくれた。僕の首根っこをつかんで、二人三脚で練習を見てくれたこの人のために、結果を出したいと思い、マウンドでガムシャラに投げました」
結果、1軍初登板で7回1安打無失点。中日相手にもう一歩でノーヒットノーランという快投を見せ、1軍定着に弾みをつけた。その後、日ハム、DeNAを渡り歩き、現在は全く畑違いの自動車学校営業部長。
「人生は1回しかチャンスがありませんし、新しい環境に行くことで、かけがえのない人に出会ったりするかもしれません。野球界でも3チームに入り、いろんな経験をさせてもらいました。だから、セカンドキャリアは決してマイナスではないと思います。挑戦することは、すごくいいことです」。林さんの第2の人生は始まったばかりだ。
下は2001ドラフトで巨人が指名した選手です。林昌範は7巡目指名され入団。プロでの成績はこちら
2001巨人ドラフト7巡目 林昌範 市立船橋高・投手 |
林さん(2001巨人7巡目)に会ったのは、東葉高速鉄道東業高速線・飯山満駅から徒歩17分の場所にある「船橋中央自動車学校」。記者が訪ねると、林さんはデスクワークの真っ最中だった。186センチの高長身で周囲より頭一つ分高い。体格も現役当時と変わらずガッシリとしていて、迫力満点だ。
「2日前にパソコンが壊れちゃったんですよ」と林さん。頂いた名刺には「取締役 営業部長」とある。実は、林さんの父親は同自動車学校の創業者。目下、家業を修業中なのだ。「営業部長といっても営業課はないし、部下もいません」と笑う林さんだが、現在は「教習所の仕事が8割、野球の解説やコラム執筆が2割ほど」で、ほぼ教習所で日々を過ごしている。
「この世界には今年1月に飛び込んだばかりです。最初はパソコンが全然使えなくて、パソコン教室アビバに通って学びました。今は、経理や会計の勉強もしているんですがチンプンカンプンで、必死に勉強しています。でも、本当の苦労はこれからだと思ってます」
ゆくゆくは、同教習所を継いで経営する考えだという。
「野球選手時代は個人の技術が重要視される世界でした。しかし今、この教習所では、人をまとめる力が求められます。全体で100人ほどの従業員がいて、それぞれ家族もいる。簡単な仕事ではないと感じています」
野球経験を生かした取り組みも行っている。
「姉妹校である鎌ヶ谷校のそばに、日ハムの2軍の施設があるんです。で、聞けば今の高校生は卒業しないと免許が取れない。高卒でプロ入りして忙しい若手選手たちが免許を取れるよう、教習所との橋渡しをしています。やっぱり、野球選手が電車通勤する姿はちょっと寂しいじゃないですか。いい車に乗って、子供たちの憧れの的になってほしいんです」
さて、千葉県船橋市出身の林さんは、小学生の時から野球に没頭。飯山満シーホークスでは「4番でキャプテンでエース。体格も良かったから漠然とプロになれると思っていました。ただ、太っていたので、周りからは、野球がダメだったら相撲に行けと言われてました(笑い)」
市立七林中学でも4番でエース。卒業後、3年連続で甲子園に出場していた市立船橋高校に進み、1年時からベンチ入り。エースとして春の大会に臨んだ3年時は足首を骨折して野球を諦めかけたが「母がいろんな病院を駆けずり回ってくれたおかげ」で県予選にギリギリ間に合い、140キロ台の投球を披露。秋のドラフトで、巨人から隠し玉として指名がかかった。
02年から15年間歩んだプロ野球人生で最も印象に残った出来事は「03年に巨人の1軍に初昇格したこと」と振り返る。
「言っても僕はドラフト7位。1年間、プロの世界に接して、(自分は)厳しいかなと感じていたところ、V9時代の左腕エースで当時2軍投手コーチだった高橋一三さんが、僕を1軍へ推薦してくれた。僕の首根っこをつかんで、二人三脚で練習を見てくれたこの人のために、結果を出したいと思い、マウンドでガムシャラに投げました」
結果、1軍初登板で7回1安打無失点。中日相手にもう一歩でノーヒットノーランという快投を見せ、1軍定着に弾みをつけた。その後、日ハム、DeNAを渡り歩き、現在は全く畑違いの自動車学校営業部長。
「人生は1回しかチャンスがありませんし、新しい環境に行くことで、かけがえのない人に出会ったりするかもしれません。野球界でも3チームに入り、いろんな経験をさせてもらいました。だから、セカンドキャリアは決してマイナスではないと思います。挑戦することは、すごくいいことです」。林さんの第2の人生は始まったばかりだ。
下は2001ドラフトで巨人が指名した選手です。林昌範は7巡目指名され入団。プロでの成績はこちら
巨人の2001ドラフト指名選手 | |||
自由枠 | (行使せず) | ||
自由枠 | (行使せず) | ||
1巡目 | 真田 裕貴 | 姫路工高 | 投手 |
2巡目 | (指名権なし) | ||
3巡目 | 鴨志田 貴司 | 水戸短大付高 | 投手 |
4巡目 | 石川 雅実 | JR東日本 | 投手 |
5巡目 | 十川 雄二 | 池田高 | 投手 |
6巡目 | 大須賀 允 | 東北福祉大 | 内野手 |
7巡目 | 林 昌範 | 市立船橋高 | 投手 |
★プロ入り後の成績★ |
draftkaigi at 07:00│
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