山本哲哉(ヤクルト戦力外)、スカウトに転身
2018年12月22日
12/22、デイリースポーツ6面「第2の人生へプレーボール」より
スーツ姿で少しぎこちなく肩を回す。ユニホームとは違う“仕事着”に、今季限りで現役を引退したヤクルト・山本哲哉投手(2009ヤクルト2位)は「まだ慣れないですね。動く時にこの辺がキツいのが」と苦笑いした。かばんの中にはパソコン。ヤクルトの新米スカウトとして、未来の主力を探す日々が始まった。
9年間のプロ生活。12年からは3年連続で50試合に登板し、抑えも経験した。ブルペンを支えた背番号20。登場曲の『浪漫飛行』に合わせ、肩を組んで揺れる右翼席のファンの姿は、神宮ではおなじみの光景となった。引退試合でも、しっかりと目に焼き付けることができた。
13年にはオールスターにも出場。「ゲームの世界で自分が使っていた選手ばかり」という夢舞台で、本拠地での第2戦でセーブも挙げた。「宮本さん(現ヘッドコーチ)と一緒に出られた」のはいい思い出だ。
プロとしてのキャリアは、つまずきから始まった。即戦力として期待されたルーキーイヤーのオープン戦で右肘痛を発症。いきなり手術を受けた。「いろんな人に迷惑をかけた。スカウトの方にも、送り出してくれた方にも、両方を裏切る形からスタートした」という思いがあった。
15年にも右肘を手術。ケガに苦しんだ現役生活だったが「悔いはない。出し切りました」と振り返る。今季1軍登板は4試合。「若い選手が1軍に行っても、素直に『頑張れ』と言えるのがあった」という自分の変化に、潮時を悟った。
いい時も悪い時も味わった9年間。「スカウトになれば、ゼロからと思っています」と話すが、さまざまな経験は必ず生きてくるはずだ。「自分もドラフトで取ってもらっている。その部分では返さないとダメですね。コミュニケーションを取って、チームの求める選手を見つけたい」。腕を振り続けてブルペンを支えたように、常勝チームの土台作りにフル回転する。
下は2009ドラフトでヤクルトが指名した選手です。山本哲哉は2位指名入団。プロ入り後の成績はこちら
2009ヤクルトドラフト2位 山本哲哉 三菱重工神戸・投手 |
スーツ姿で少しぎこちなく肩を回す。ユニホームとは違う“仕事着”に、今季限りで現役を引退したヤクルト・山本哲哉投手(2009ヤクルト2位)は「まだ慣れないですね。動く時にこの辺がキツいのが」と苦笑いした。かばんの中にはパソコン。ヤクルトの新米スカウトとして、未来の主力を探す日々が始まった。
9年間のプロ生活。12年からは3年連続で50試合に登板し、抑えも経験した。ブルペンを支えた背番号20。登場曲の『浪漫飛行』に合わせ、肩を組んで揺れる右翼席のファンの姿は、神宮ではおなじみの光景となった。引退試合でも、しっかりと目に焼き付けることができた。
13年にはオールスターにも出場。「ゲームの世界で自分が使っていた選手ばかり」という夢舞台で、本拠地での第2戦でセーブも挙げた。「宮本さん(現ヘッドコーチ)と一緒に出られた」のはいい思い出だ。
プロとしてのキャリアは、つまずきから始まった。即戦力として期待されたルーキーイヤーのオープン戦で右肘痛を発症。いきなり手術を受けた。「いろんな人に迷惑をかけた。スカウトの方にも、送り出してくれた方にも、両方を裏切る形からスタートした」という思いがあった。
15年にも右肘を手術。ケガに苦しんだ現役生活だったが「悔いはない。出し切りました」と振り返る。今季1軍登板は4試合。「若い選手が1軍に行っても、素直に『頑張れ』と言えるのがあった」という自分の変化に、潮時を悟った。
いい時も悪い時も味わった9年間。「スカウトになれば、ゼロからと思っています」と話すが、さまざまな経験は必ず生きてくるはずだ。「自分もドラフトで取ってもらっている。その部分では返さないとダメですね。コミュニケーションを取って、チームの求める選手を見つけたい」。腕を振り続けてブルペンを支えたように、常勝チームの土台作りにフル回転する。
下は2009ドラフトでヤクルトが指名した選手です。山本哲哉は2位指名入団。プロ入り後の成績はこちら
ヤクルトの2009ドラフト指名選手 | |||
1位 | 中沢 雅人 | トヨタ自動車 | 投手 |
2位 | 山本 哲哉 | 三菱重工神戸 | 投手 |
3位 | 荒木 貴裕 | 近畿大 | 内野手 |
4位 | 平井 諒 | 帝京五高 | 投手 |
5位 | 松井 淳 | 日大国際関係学部 | 外野手 |
★プロ入り後の成績★ |
draftkaigi at 09:28│
│戦力外通告