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ドラフト選手の家庭の事情、佐々木朗希(大船渡)

2019年11月12日

11/12、日刊ゲンダイ終面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2019ロッテドラフト1位 佐々木朗希
大船渡高・投手・動画

「180センチはあって、ガッシリとした方でした」。佐々木朗希(動画)が小学3年時に在籍していた高田野球スポーツ少年団(陸前高田市)で監督を務めていた村上知幸さん(陸前高田市役所勤務)は、朗希の父・功太さん(享年37)のことを振り返る。

2010年冬。「バット納め」の日に父兄と子供が一緒に野球をやった。雪でグラウンドが使えなくなるため、その年の練習はこれが最後。当時、小学6年だった兄の琉希さんもこのチームでプレーしていた。母の陽子さん、小学校入学前の弟・怜希さんと一緒に、家族で練習場に行くことが多かった。

その試合で打席に立った功太さんはなんと、ホームランをかっ飛ばした。スノーボードやバスケットボールをやることはあっても、野球経験はなかったそうだ。1988年、高田高(岩手)のメンバーとして夏の甲子園に出場した村上さんによれば、決してきれいなスイングではなかったが、力強さを感じたという。

「普段からノックを打ったり、ノック時に捕手役を買って出てくれたりしていた。このホームランがとても印象に残っています。朗希君は兄の琉希君がウチでやっていた縁で入団しました。当時は体が細くて髪が長かった。同じバット納めの日に、子供たち全員に『好きなところを守れ』と伝えたら、朗希は一目散にマウンドに向かいました」

村上さんはいま、最速163キロを投げるまでになった朗希のパワーに、在りし日の功太さんの姿を重ね合わせている。

功太さんは葬儀店に勤め、母の陽子さんも保険関係の仕事をしていた。しかし、功太さんは翌年の東日本大震災で犠牲になり、一緒に暮らしていた朗希の祖父母も亡くなった。朗希の祖父は、陸前高田で家具店を営んでいたという。

母の陽子さんは被災後、朗希ら3人の息子と大船渡市に移住。同市内にある猪川小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅に入った。朗希はこの小学校に転校した。移住後は猪川野球クラブで野球を続けた。小学5年の時には直球が100キロに達した。

大船渡第一中学校に進学し、野球部に入部。3年間で身長が一気に20センチほど伸びた。成長痛や股関節痛に加え、3年生になる直前には腰を疲労骨折。病院に通いながら、練習場でリハビリに励んだ。

中学3年時に在籍していたKWBボールの「オール気仙」の代表・布田貢氏(末崎中教諭)は今年の夏、当時の朗希のことをふと思い出した。岩手県大会決勝の花巻東戦で、故障を防ぐために登板を回避。試合後、「投げたい気持ちはあった」と悔しがる表情をテレビで見て、ああ、3年前も同じような顔をしていたなと思った。

朗希は中学3年の8月、KWB東日本大会(函館・千代台球場)に出場。強豪・埼玉スーパースターズとの最終戦、勝てば全国大会への出場が決まるという試合で、満を持して先発した。故障明けだったため、首脳陣は抑えを任せることが多かったが、最速141キロをマークするまでに成長していた朗希に、大一番を託したのだ。

しかし、相手が一枚上だった。三回までに4失点。当時の監督・鈴木賢太さんがベンチにいる朗希を呼び「ここで終わりな」と降板を告げた。

ところが、朗希は「まだ投げたいです!」と強い口調で続投を直訴。大会期間中、ベンチで大きな声を出し、仲間を鼓舞するほど野球にのめり込んでいた。打たれて気持ちが萎えるどころか、負けず嫌いの本性をむき出しにしたのだ。

「これ以上やってもケガをするかもしれない。他の投手に投げさせて、経験させた方がいい」。監督に説得された朗希はしぶしぶ、マウンドを降りた。布田代表は「悔しがる表情が、今夏の県大会の決勝戦後の表情にとても似ていると思いました」と語る。

そんな朗希は被災後、兄、弟とともに母の陽子さんによって育てられた。陽子さんは子育てについて、「特別なことはしていません」と明かす。(つづく)



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