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ドラフト選手の家庭の事情、森下暢仁(明治大)

2019年11月19日

11/19、日刊ゲンダイ25面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2019広島ドラフト1位 森下暢仁
明治大・投手・動画

大分県竹田市出身の父・力さんは、地元の高校を卒業後、大分市内にある「物流・機工・メンテナンス」を行う会社に就職した。東京に本社がある東証1部上場企業で勤続は38年になる。中学まで野球部に所属。内野手だった。就職後も会社の野球チームに入り、幼少の暢仁をよくグラウンドへ連れて行った。

福岡県北九州市出身の母・美生さんと「30歳か31歳の時」(力さん)に職場結婚。これを機に退職した美生さんは小学2年の時、父の転勤のため、大分市に移り住んだ。

暢仁と同じ大分商OG。バレーボールに打ち込み、アタッカーとして活躍したが、「昔から東龍(東九州龍谷)が強くて大分県でベスト4が最高でした」と現在、全国制覇17度を誇る全国屈指の強豪校に春高バレーへの道を閉ざされた。美生さんはかつて会社の9人制バレーボール部に所属。九州大会に出場した経歴を持つ。

そんな両親の運動能力を引き継いだ暢仁は、生まれた直後から活発だった。「当時は社宅に住んでいて、外に出たがるので、敷地内の公園に連れて行ってはハイハイをさせていました。膝当てと手袋はさせていましたけど、もちろん砂だらけです」と笑う美生さんがこう続ける。

「1歳半くらいで補助輪付きの自転車に乗り始めて、慣れてくると結構なスピードで乗り回していました(笑い)。補助輪のガラガラという音がすると、友達が公園に集まってくる感じでした。3歳の時、ちょっと練習したら、補助輪を外して乗れるようになって、周りにビックリされました。2、3歳の頃には公園にあった登り棒の一番上まで登ったり、鉄棒にいつまでもぶら下がっていたり……。今思えば、それで肩が鍛えられたのかもしれません(笑い)」

最速155キロの礎は、幼少の頃の遊びにあったのだ。さらに足も速かった。子供の頃の運動会の徒競走は負けなし。中学3年時には駅伝大会に駆り出され、高校時代は50メートル6秒2。高い身体能力を誇り、大分商では当初、控え投手をやりながら、外野、三塁も守った。

最上級生になってから本格的に投手となったが、遊撃も兼務するバリバリの「二刀流」。高校3年の3月には投手歴1年弱にもかかわらず、当時の自己最速148キロをマークするなど急成長を遂げた。

中学入学時、シニアやボーイズといった硬式クラブチームか中学の軟式野球部に入るか悩んだ。美生さんがこう明かす。

「硬式のチームもいくつか見学に行ったんです。でも、母親が球場でウグイス嬢をするとか、月謝が6000円で年会費は2万円とか、そのほかにもチーム指定の用具の購入費やもろもろお金がかかるらしく、『塾くらいかかります』と言われまして……。当時、姉(夕稀さん=23)がバドミントン部だったし、暢仁だけのためにそれは無理じゃないかと。暢仁も『友達と一緒がいい』と言うので、中学の軟式野球部でやることにしたんです」

大東中3年時には軟式の九州大会で優勝。選択は間違っていなかった。それでも決して順風満帆だったわけではない。野球人生には常にケガがついて回った。

小、中で右肘を痛め、大分商2年秋にエースになると、11月中旬から右肩第1肋骨に痛みが出て、12月には左肩第1肋骨に派生。病院で診察を受け、骨折が判明した。明大1年春にリーグ戦デビューを果たしたものの、同年の新人戦で右肘を骨折。力さんが言う。

「高校の日本代表の時から知っている郡司君(慶大=中日4位)に投げた時にやっちゃったみたい。ライバルだから力んだんでしょう」。3カ月間はボールを投げられなかったが、その期間をムダにしなかった。体幹トレーニングなどに励み、体重は5キロ増の73キロ。故障のたびに肉体を改造し、パワーアップしてきた。

「やっと治って2年春から先発を任せてもらったのに、全日本の試合で肩を痛めて秋のリーグ戦は投げられませんでした。本人が一番もどかしかったと思います。順調なようで、ここまでケガとの戦いでした。プロでは故障しない体づくりとケアを学んで欲しいですね」(力さん)

弟・颯太さん(19)は現在、東都大学リーグ1部の国学院大1年。身長180センチの大型遊撃手として期待されている。イケメンエースが広島V奪回の使者になる。



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draftkaigi at 07:06│ │広島 
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