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ドラフト選手の家庭の事情、宮城大弥(興南)

2019年11月23日

 11/23、日刊ゲンダイ41面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2019オリックスドラフト1位 宮城大弥
興南高・投手・動画

沖縄南部の南風原出身の父・享さん(52)は、中学3年の時、交通事故で左腕の神経を損傷したため、今も自由が利かない。小さいころから腕力や体力には自信があり、中学時代は野球をやっていた。推薦入試で福岡の高校に合格していたが、事故で進学を断念、野球を諦めざるを得なくなった。

それから1年間の浪人生活を経て、地元の定時制高校へ入学。右手1本で、定時制のバドミントンの大会で優勝したこともある。そんな享さんは、もう一つの夢を追いかけた。高校卒業後、コツコツと貯めたお金で一念発起し、単身渡米した。沖縄とロサンゼルスの往復航空運賃は当時、43万円ほどだったという。

「米国で映画関係の仕事をしたかった」と話す享さんはロスに到着するや、空港で帰りのチケットをゴミ箱に捨てた。手持ちはたったの5万円。親類が営んでいたコーヒーショップでアルバイトをしながら、仕事を探した。

そんな折、コロンビア放送(現CBSテレビ)内にメーキャップの養成所があることを知り、入学した。7週間の講義を2度受け、講師として雇ってもらった。授業の傍ら、生徒集めも手伝った。ビューティーショーにも関わり、軌道に乗ってきたかと思われたが、27歳のときに実父が他界。家族のことを考え、帰国することを決断した。1994年のことである。

しかし、帰国後は左腕の後遺症もあって、なかなか定職に就くことが難しかった。そんなある日、ふと通りかかった宝くじショップで、いくらかナンバーズを買った。1点200円を5点で計1000円。あくまで気休めで、特に数字を考えて買ったわけではなかったが、なんと1等180万円を的中させたのだ。

図らずも大金を手に入れた享さん。一瞬、遊びへの誘惑に駆られるも、こう考え直したという。「これはあぶく銭だ。飲み食いして使い果たすくらいなら、人に貸してみよう」

迷ったら前に出る。享さんは、当せん金を元手に貸金業を立ち上げた。自営業者を中心に取引し事業は軌道に乗った。那覇市内に飲食店や沖縄拳法空手道の道場を開設するなど、事業を広げた。「でも、良いときは長くは続きませんでした」と、享さんは言う。

2000年代に入り日本の景気は底を打った。貸したお金が徐々に焦げ付き始め、会社が倒産に追い込まれてしまった。「2001年に大弥が誕生し、4歳下の妹が生まれたばかりでした。さすがに心が折れそうになりました」(享さん)。

今はレンタカー会社に勤める傍ら、興南高校野球部の寮監も務めているが、大弥が高校に入るまでは、苦しい生活が続いたという。享さんが振り返る。

「家族には本当に苦労をかけました。大弥が小学3年から中学3年になるまで6畳一間で暮らしていました。場所を取る冷蔵庫はベランダに置くような生活環境で、水道が止まったこともあります。大弥は中学に入って硬式野球を始めたのに、軟式用のグラブしか買い与えてやれなかった。中学3年時にU15日本代表に選ばれ、福島で行われた試合の遠征に行く際は、家に5000円しかなく、小遣いを3000円しか渡せなかった。すると大弥はこう言ったんです。『あっちにいけば、食べる物があるんでしょ? お金はなくても大丈夫だよ』って」

どんな状況でも、好きな野球に熱中し続けた息子が晴れてプロ入りをする。享さんはこんな覚悟を口にした。

「私にできることがあれば、何でもやってやりたい。もし万が一、(左腕の)大弥が肩や肘をケガするようなことがあれば私の左腕を使ってほしい。私は片手で十分。靱帯や腱、骨が使えるというなら、いくらでも使ってくれて構いません」



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draftkaigi at 07:05│ │オリックス 
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