寺田光輝(DeNA戦力外)、医師めざし大学医学部受験
2019年12月19日
12/19、デイリースポーツ8面「第2の人生へプレーボール」より
数多くの選手が今季限りでユニホームを脱いだ。第2の人生のスタートに向け、次の進路が決定した選手もいれば、未定という選手もいる。DeNA・寺田光輝投手(2017ドラフト6位)は、医者を目指すという異例の決断をした。
苦しみ抜いたプロ2年間。その分、得られたものもあった。「苦しくて、どうしたらいいか分からない中でも、何かつかめるんじゃないかと、もがき続けることの大事さを学べたような気がします」。ボールをペンに持ち替え、寺田は医者を志すことを決めた。
異例の挑戦は恩返ししたいとの思いからだ。「親が病院を開いていて、親族にも開業医が多い。その中で誰も医者になれと言わずに野球をやらしてもらった。親孝行じゃないですけど、自分にできる恩返しという気持ちで」。地元・三重県の塾で働きながらサポートを受け、まずは21年のセンター試験で大学医学部合格を目指す。
伊勢高校を卒業後、国立の三重大に進学したものの、より高いレベルで野球をするために退学し、筑波大体育専門学群に合格。知り合いではないが、東京五輪後に引退し、医者を目指すことを公言しているラグビー日本代表の福岡堅樹は筑波大の同期だ。
文武両道の秀才ではあるものの、理系の勉強とはあまり縁がなかった。予備校などには通わず、独学でいばらの道を行く。それでも、プロ野球生活で培ったものを生かして未来を切り開いていく。
心に残っている言葉がある。1年目の春季キャンプ。かわいがってくれた先輩の梶谷から「野球選手の前に、お前も俺もただの人だからね。野球がうまいから偉いわけではない。どんなに結果が出ても間違えるなよ」と助言をもらった。誰からも信頼される医者に・・・。不断の努力で新たな夢を実現させる。
下は2017ドラフトでDeNAが指名した選手です。寺田光輝は6位指名入団。プロでの成績はこちら
2017DeNAドラフト6位 寺田光輝 石川ミリオンスターズ・投手 |
数多くの選手が今季限りでユニホームを脱いだ。第2の人生のスタートに向け、次の進路が決定した選手もいれば、未定という選手もいる。DeNA・寺田光輝投手(2017ドラフト6位)は、医者を目指すという異例の決断をした。
苦しみ抜いたプロ2年間。その分、得られたものもあった。「苦しくて、どうしたらいいか分からない中でも、何かつかめるんじゃないかと、もがき続けることの大事さを学べたような気がします」。ボールをペンに持ち替え、寺田は医者を志すことを決めた。
異例の挑戦は恩返ししたいとの思いからだ。「親が病院を開いていて、親族にも開業医が多い。その中で誰も医者になれと言わずに野球をやらしてもらった。親孝行じゃないですけど、自分にできる恩返しという気持ちで」。地元・三重県の塾で働きながらサポートを受け、まずは21年のセンター試験で大学医学部合格を目指す。
伊勢高校を卒業後、国立の三重大に進学したものの、より高いレベルで野球をするために退学し、筑波大体育専門学群に合格。知り合いではないが、東京五輪後に引退し、医者を目指すことを公言しているラグビー日本代表の福岡堅樹は筑波大の同期だ。
文武両道の秀才ではあるものの、理系の勉強とはあまり縁がなかった。予備校などには通わず、独学でいばらの道を行く。それでも、プロ野球生活で培ったものを生かして未来を切り開いていく。
心に残っている言葉がある。1年目の春季キャンプ。かわいがってくれた先輩の梶谷から「野球選手の前に、お前も俺もただの人だからね。野球がうまいから偉いわけではない。どんなに結果が出ても間違えるなよ」と助言をもらった。誰からも信頼される医者に・・・。不断の努力で新たな夢を実現させる。
下は2017ドラフトでDeNAが指名した選手です。寺田光輝は6位指名入団。プロでの成績はこちら
DeNAの2017ドラフト指名選手 | |||
1位 | 東 克樹 | 立命館大 | 投手 |
2位 | 神里 和毅 | 日本生命 | 外野手 |
3位 | 阪口 皓亮 | 北海高 | 投手 |
4位 | 斎藤 俊介 | JX-ENEOS | 投手 |
5位 | 桜井 周斗 | 日大三高 | 投手 |
6位 | 寺田 光輝 | BCリーグ石川 | 投手 |
7位 | 宮本 秀明 | パナソニック | 内野手 |
8位 | 楠本 泰史 | 東北福祉大 | 内野手 |
9位 | 山本 祐大 | BCリーグ滋賀 | 捕手 |
★プロ入り後の成績★ |