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あのドラフト選手は今・・・

あのドラフト選手は今、大手外資コンサル社員に

2018年06月19日

6/19、デイリースポーツ21面より

2011巨人(育成)ドラフト3位 柴田章吾
明治大・投手・22歳

元巨人投手の柴田章吾さん(2011育成ドラフト3位)は現在、大手外資系総合コンサルティング企業「アクセンチュア」の社員として第2の人生を送っている。引退後、東大・京大生の就職ランキング上位の難関企業に自力で就職。ビジネスマンとして日々奮闘している。

11年に入団し14年オフに戦力外。現役への思いもあったが「奇跡が起きて活躍できても3000万円もらえたらいいほう。それなら別の世界に行って毎年1000万円稼ぎたい」と未練を断ち切った。

引退後にジャイアンツアカデミーの講師として少年少女に野球を教える一方、就職活動を開始。人脈を駆使して商社や広告代理店、銀行など半年間で約100人のOB訪問を行い、志望する企業を絞り込んだ。

「15歳で病気になった時から野球はずっとできないと、心のどこかにありました。昔から就職するならどこがいいだろうと、働くことに興味があったんです」

三重県出身の柴田さんは中学時代、1万人に1人の難病ベーチェット病を発症。40度の高熱と腹痛に苦しみ、生死をさまよった。再発すれば失明の可能性もある病気。今も薬を服用し、定期検診が必要だ。ただ。人生観を変えたこの経験が愛工大名電高時代の甲子園出場やプロ入り、さらにアクセンチュア入社を実現させた原動力となった。

入社後は大きな壁にもぶつかった。「みんなができいる当たり前。僕はそれができなかった」。配属先では資料作成や議事録等、日々のタスクに忙殺され、上司の前で涙を流したこともあった。現在はITコンサルティング業に従事。全国各地を飛び回っている。

夢もある。アクセンチュアの採用面接では、将来的にメジャーリーグの経営に携わりたいことも伝えた。「メジャーのIT部門では実際、日本人の方も数人が働いていて、IT企業から転職した人達。アクセンチュアのITコンサルタントの人間が、その部署に行ける可能性はゼロではないと思っています」

巨人では同世代の菅野や小林が主力となったが、柴田さんも別の世界で活躍。「すごく充実していますね。人生2度、楽しめているなという感じです」。華麗なる転身を果たした29歳は、さらなる高みを目指している。



下は2011育成ドラフトで巨人が指名した選手です。柴田章吾は3位指名され入団。プロでの成績はこちら

巨人の2011育成ドラフト指名選手
育1位 森 和樹 市柏高 投手
育2位土田 瑞起四国IL愛媛投手
育3位柴田 章吾明治大投手
育4位芳川 庸洛北高捕手
育5位雨宮 敬BCリーグ新潟投手
育6位渡辺 貴洋BCリーグ新潟投手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、町豪将(ドラフト4巡目)

2018年06月16日

6/16、サンケイスポーツ終面「球界ここだけの話」より

2004オリックスドラフト4巡目 町豪将
JR九州・投手・22歳

日本列島全体で雨の日が増えた。梅雨が明ければ、本格的に夏の高校野球の時期が始まる。それと同時に、スポーツ新聞読者の方々は、紙面上で「〇〇2世」や「浪速の〇〇」などといった見出しを目にする機会も多いと思う。

イチローにダルビッシュ、大谷・・・。注目選手がそのプレースタイルやフォームを参考にしていたり、各球団のスカウトの方が「似ている」と評したことを元に比較。読者の方にもイメージしてもらいやすいように付けられる“ニックネーム”だが、名付けられた側はどう思っているのか。

かつて、ビッグネームと比較された人に聞いてみた。オリックスで広報を務める町豪将氏(2004オリックス4巡目)だ。福岡県出身の町氏は熊本・城北高→JR九州を経て、2004年にドラフト4位でオリックスに入団。残念ながら07年には戦力外となり、現在は球団職員

入団当時は1メートル85、90キロという恵まれた体格に加え、トルネード気味の投球フォームだったこともあり、元メジャーリーガーの野茂英雄氏になぞらえ「野茂2世」と呼ばれた。そのときの心境はどうだったのか。

「僕の場合はですよ」と前をした上で「うれしかったですよ。あれだけ日米で活躍された方と僕を比べていただいて、ありがたかったです」と振り返った。重圧に感じることはなかったのだろうか。

「プレッシャーとかはなかったです。いじられはしましたけど、嫌な気持ちはなかったですよ。でも、野茂さんと話したこともないので、野茂さんがどう思われているのかな、というのはありました」

町氏の場合はだが、好意的に受け止めていたようだ。そして「町、と覚えてもらえるように、とは思ってました。活躍はできませんでしたが・・・」と付け加えた。同じように思っている選手も、また違う選手もいるだろう。何より、肩書が足かせにならなければいいのだが、と感じた。



下は2004ドラフトでオリックスが指名した選手です。町豪将は4巡目指名入団。プロでの成績はこちら

オリックスの2004ドラフト指名選手
自由枠金子 千尋トヨタ自動車投手
自由枠(行使せず)
1巡目(指名権なし)
2巡目光原 逸裕JR東海投手
3巡目(指名権なし)
4巡目町 豪将JR九州投手
5巡目田中 彰法政大内野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、ホストクラブで働いていた

2018年06月08日

6/8、夕刊フジ25面より

2008巨人ドラフト5位 笠原将生
福岡工大城東高・投手・17歳

記者
「野球賭博に関わりNPBから無期失格処分を受けた元巨人投手の笠原将生氏(2008巨人5位)が、7日発売の週刊新潮で新宿歌舞伎町のホストクラブに現役時代のユニホームを着て勤務する姿が掲載されてます」

デスク
「こういう形でユニホームの威光を借りるのは、本当は不本意だろう。なんとも切ない話だな」

記者
「以前は地元福岡の歓楽街で飲食店を経営していましたが、球界関係者によると『あんまりはやってない』と。今はお店から離れたようです。ユニホーム姿には、『アイツなりにいろいろ納得のいかないことも多い分、そういう形(で仕事をすること)になったんかな』と複雑な表情でした」

デスク
「それにしても、元所属選手とはいえ、勝手に巨人のユニホームを着て商売して大丈夫なのか」

記者
「あちこち聞いてみたら、たとえば現役時代のユニホーム姿をポスターにして大々的に宣伝でもすれば苦情のひとつも言えるけど、閉鎖された空間で着て接客するのは、『グレーゾーン。何も言えんで』というのが複数の球界関係者共通の反応ですわ」

デスク
「現役当時の闘志あふれる投球にはファンも多かった。その記憶まで汚すようなことだけは避けてほしいけどな」



下は2008ドラフトで巨人が指名した選手です。笠原将生は5位指名され入団。プロでの成績はこちら

巨人の2008ドラフト指名選手
1位 大田 泰示 東海大相模高 内野手
2位宮本 武文倉敷高投手
3位斎藤 圭祐千葉経大付高投手
4位橋本 到仙台育英高外野手
5位笠原 将生福岡工大城東高投手
6位仲沢 広基国際武道大内野手
プロ入り後の成績


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あのドラ1選手は今・・・トラック車内で寝ていた

2018年06月07日

スポニチwebsiteより (source)

1985南海ドラフト1位 西川佳明
法政大・投手・22歳

PL学園時代にチームをセンバツ初優勝に導き、南海にドラフト1位で指名された西川佳明さん(1985南海1位)が5日放送のテレビ東京「マジか!その後の人生 栄光を掴んだ天才達 今を大追跡SP」に出演。現在の暮らしを明かした。

西川さんは1年から名門野球部で活躍。3年生時には全5試合を完投し、PL学園をセンバツ初優勝に導いた天才投手だった。法大を経て南海にドラフト1位で入団。1年目から2桁勝利をマークするなど、プロでも活躍を見せた。

ところが、2年目から成績が下降。「高校大学とやってきて故障もあったし、ボロボロというか体のメンテナンスができていなかった」と巻き返すことができないまま戦力外通告を受けた。その後はプロゴルファーを目指しキャディーに転身したが、プロテストは不合格。35歳で配送会社に就職したが会社が倒産。離婚も経験した。

4度の転職を繰り返し、現在は運送会社でトラック運転手を行い生計を立てている。「トレーラーを停めるところがない」と狭い車内に巨体を横たわらせ就寝することが多いという。歩合制で月50万円ほどの収入があるそうだが、「しんどいっす・・・」と本音も。それでも再婚後、子宝にも恵まれて「今は幸せです」と笑顔も見せていた。



下は1985ドラフトで南海(現ソフトバンク)が指名した選手です。西川佳明は1位指名入団。プロでの成績はこちら

南海の1985ドラフト指名選手
1位西川 佳明法政大投手
2位中村 弘道北海道拓銀投手
3位広永 益隆徳島商高投手
4位西山 秀二上宮高捕手
5位坂田 和隆九州産大投手
6位安田 秀之享栄高外野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、岩下修一(ドラフト4位)

2018年06月02日

デイリースポーツwebsiteより (source)

1999オリックスドラフト4位 岩下修一
三菱自動車岡崎・投手

今では病気の影すら見当たらない。日本ハム・岩下修一打撃投手(1999オリックス4位)。17年前に急性骨髄性白血病を患いながら、驚異的な回復力で現役復帰。引退後もユニホームに袖を通し、グラウンドに立ち続けている。

「退院してからは、血液の異常も全くなかった。今は普通の人と全く変わりのない生活。もう何年前になるかな。病院に来なくていいと言われたしね」。

かつては治療困難とされていた白血病。今なお命に関わる深刻な病気であることに変わりはないが、医学の進歩で治療成績は着実に向上している。私にも白血病を患った家族がいるが、岩下打撃投手のような存在は同じ病と闘う人々にとって希望の光だ。

岩下打撃投手はオリックスで現役選手だった01年、白血病を患い、神戸市内の病院に入院した。風邪のような症状に加え、歯茎からの出血、目の充血もひどかったという。

約4カ月、過酷な抗がん剤治療を経験したが、「すぐに病院を出て野球がしたい」という一心で病室でもトレーニングに励み、翌年の開幕戦で復帰登板を果たした。06年に引退するまで、左の中継ぎとして98試合に登板。3勝0敗、防御率4.57の成績を残した。

白血病の治療法は化学療法や骨髄移植などさまざま。岩下打撃投手は抗がん剤の効きが良く、合併症などが出なかったことも早期回復につながった。ただ、入院中は深夜にストレッチャーが慌ただしく動く音が聞こえてきたり、患者がいたはずの病室が空室になっていたり、命の危険を感じる毎日を送っていたという。

「一日一日だった。5年後、10年後なんて考えられなかった」。大きな経験を乗り越え、今は家族にも恵まれ、野球人として充実した日々を送る。「毎日が楽しいよ。消えてここにいなかったかもしれない訳だから。この空間、この場所に自分が存在していることがうれしい」。

病気に対する恐怖心や不安はなくなった。ただ、「一日一日」という思いは消えない。「自分の最後が突然、くるかもしれない。だから、その日できることを精いっぱいやろうと思う。一球一球、できるだけいい球を投げたいね」。現役時代と変わらず、“一球入魂”の精神でチームを支えている。




下は1999ドラフトでオリックスが指名した選手です。4位指名入団・岩下修一のプロでの成績はこちら

オリックスの1999ドラフト指名選手
1位 山口 和男 三菱自動車岡崎 投手
2位 葛城 育郎 立命館大 外野手
3位 迎 祐一郎 伊万里商高 投手
4位 岩下 修一 三菱自動車岡崎 投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:00|この記事のURL

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