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あのドラフト選手は今・・・

あのドラフト選手は今、下窪陽介(ドラフト5巡目)

2019年04月05日

4/4、スポーツニッポン4面より

2006横浜ドラフト(大社)5巡目 下窪陽介
日本通運・外野手

自信と負けず嫌いは、23年たっても変わらない。「正直、負ける気、打たれる気はせず甲子園に入ってました。みんなも思っていた。俺たち凄いなって。いつの間にか終わっていた感じです」

1996年の春、5試合45回完投、553球を投げ25安打、19三振、7失点で鹿児島県初の日本一を達成したV腕、下窪陽介さん(2006横浜5巡目)は少しにやけた。

最速142キロの直球と消えると言われた縦、横スライダー、カーブで春夏連続出場。大学からの野手転向で社会人6年、プロ4年を「負けたくない思いだけでやってきた」と言う下窪さんは今、市町村単位でお茶の生産量日本一の故郷・南九州市頴娃町にいる。

15年から祖父・勲さん創業、父・和幸さんが74年に設立した「下窪勲製茶」の販売、営業担当としてほぼ無休で国内を飛び回っている。勝負球は県公認のかごしま茶ブランドに認定されている知覧茶となったが、当然自信はある。

「お茶は奥が深く、知らないことばかりですが一番、売り上げで勝ちたい。野球で言う伝統校に勝つ大阪桐蔭のような新興勢力を目指しています。賞や品評会などで日本一になりたい」とセールスでも頂点を狙う。

自身が決勝マウンドに立った4月5日近辺は新茶の摘み取り時季と重なる。「約1ヶ月間は戦いです。家族は寝ないで仕事している。僕は一番茶を売って、勝負します」。気迫は衰えていなかった。



下は2006大学・社会人ドラフトで横浜(現DeNA)が指名した選手です。5巡目指名の下窪陽介のプロでの成績はこちら

横浜の2006大・社ドラフト指名選手
希望枠高崎 健太郎日産自動車投手
1巡目指名権なし
2巡目指名権なし
3巡目木村 雄太東京ガス投手
4巡目下園 辰哉九州国際大外野手
5巡目下窪 陽介日本通運外野手
6巡目吉原 道臣ホンダ投手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、大西宏明(ドラフト7巡目)

2019年03月19日

デイリースポーツ22面より

2002近鉄ドラフト7巡目 大西宏明
近畿大・外野手

PL学園時代、甲子園で横浜高・松坂大輔投手から5安打を放ち「松坂キラー」と呼ばれた大西宏明さん(2002近鉄7巡目)は、関西独立リーグに今春から参戦する堺シュライクスの初代監督として、焼き肉店「笑ぎゅう」オーナーとの二刀流に挑戦中だ。

明るい声が飛び交うグラウンドで大西さんはノッカー役に打撃指導、投球チェックと忙しく動き回る。練習を終えて自宅で一息入れると夕方には大阪・心斎橋の店へ。接客から調理場の手伝いまで人気店を切り盛りする。

「松坂を打てる選手を育てたい」。そんな目標を掲げる大西さんは98年春の準決勝、夏の準々決勝で横浜と対戦。延長十七回の死闘も経験した。「松坂とあんな試合ができたから甲子園に出てよかった。でも、20年も前の話。選手からしたら『松坂世代』は死語ですよ」と笑う。

元々、指導者への興味はなかった。オリックス、横浜などでの9年間のプロ生活を終えて2011年に引退すると、半年後に店を開業。家族と「野球のない人生」を楽しんでいた。

手弁当で監督を引き受けたのは、新球団の代表である夏凪一仁氏がボーイズリーグ時代の同級生で、本拠地が地元の大阪・堺という縁があったから。「始まってみると選手に愛情が湧いてきて。もっと客観的にチームを見るかと思ったら、どっぷり」と自分の変化に驚く。

かつての経験から、監督として心がけるのは押しつけでなく「選手ファースト」。プロ入団時、大西さんはスイッチ打者転向を言い渡されていた。だが当時の近鉄2軍コーチ・鈴木貴久さんは右打者で勝負したいという意思を尊重し指導してくれた。

高校で5本塁打、大学で0本塁打だった打者はプロ通算27本塁打を記録。「プロでは絶対打たれへんって言われた人間が打てるようになった。みんな可能性は限りないんです」と熱く語る。

新球団の記念すべき初戦は3月31日の兵庫BS戦(花園中央公園)。自身も選手登録済みで指揮を執りつつ出場機会を探るつもりだ。直前の29日にはNPBも開幕。プロ野球ファンや試合を終えた選手たちが来店することで、こちらも繁忙期を迎える。

「うまく力を分散させてやっていきたい。座右の銘の“人生楽笑”でいきますよ。笑って楽しく」。監督兼選手兼オーナーのフル稼働の日々が始まる。



下は2002ドラフトで近鉄が指名した選手です。大西宏明は7巡目指名入団。プロでの成績はこちら

近鉄の2002ドラフト指名選手
自由枠(行使せず)
自由枠(行使せず)
1巡目坂口 智隆神戸国際大付高投手
2巡目(指名権なし)
3巡目筧 裕次郎明徳義塾高捕手
4巡目阿部 健太松山商高投手
5巡目宇都 格川内高投手
6巡目横山 徹也福知山成美高捕手
7巡目大西 宏明近畿大外野手
8巡目下山 真二日本生命外野手
9巡目井戸 伸年元住友金属鹿島外野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、松谷竜二郎(巨人ドラフト2位)

2019年03月12日

3/11、デイリースポーツ22面より

1988巨人ドラフト2位 松谷竜二郎
大阪ガス・投手

1990年代に巨人などで活躍した松谷竜二郎さん(1988巨人2位)は現在、建築関連会社「スチールエンジ」(本社・東京)の代表取締役社長を務める。なんと年商120億円!野球界への恩返しのため、来年スタートを目標に社会人野球の硬式チームを立ち上げる計画もあるという。

大阪・淀屋橋の事務所。松谷さんはビシッと決めたスーツ姿で現れた。肌つやが良く、実に若々しい。「じっとしていられない性格でね。日々、反省と前進の繰り返しで全然止まってない。マグロみたいなもんやね」

39歳で社長就任。当初は社員15人、年商3億円だったが、いまや全国主要6都市に営業所を設け、同100人、同120億円とまさに“昇竜の勢い”だ。「人が人を育てる」との信念の下、人材教育にも尽力。「凡事徹底」を掲げ「限界を決めない」、「言い訳しない」、「怠らない」というジャイアンツプライドならぬSEプライドを実践する。

大阪市出身。市立高から大阪ガスを経て、88年ドラフト2位指名で入ったのは一度は裏切られた巨人だった。「高校のとき、スカウトが家にまで来て熱心に誘われたのに指名なし。だから巨人だけには入りたくなかった。しかも入ったら何じゃこりゃ、という状況でね」

当時の巨人は斎藤、槙原、桑田の3本柱がそろい、1軍投手枠11人のうち10人が決まっているような超狭き門だった。その状況を「2ケタ勝利投手が5人いてNPBの年間最高勝率の記録をつくるような布陣。1年目は開幕1軍に入りましたが、定着するのは難しかった」と振り返る。

「完封したぐらいじゃ、上からお呼びが掛からない」と2軍戦では2度の“ノーノー”を達成した。現役生活は91年の21試合登板がピーク。阪神大震災直後の95年開幕前に近鉄に移籍し、その後は3年で戦力外となった。

「近鉄3年目、小林繁さん(コーチ)に期待されたんですが、右肩痛で最後はもうボロボロ。京セラドームのマウンドに立つこともなかった」。このとき33歳。台湾球界、横浜(現DeNA)のテストも受けたが、最終的に巨人OB・末次利光さんの紹介で建設会社に就職した。

「一時はマグロ漁船にでも乗ったろ、と思いましたが、OBの紹介で辞めるわけにはいかない。34歳からの3年間が一番きつかった。年360日働きましたね」

給料は現役時の5分の1に。不運は重なり、信頼を勝ち取ったその会社が倒産寸前になった。だが、人生ってやつは分からない。移籍し、リーダーに指名されたのが当時、休眠会社だった「スチールエンジ」だった。

「ここまで失敗もし、成功もして来た。ジャイアンツで学んだのは基本の大切さ。野球に育ててもらったので(選手の)セカンドキャリアを手助けし、元選手でもできるんだ、というのを実証したい」

そのために温めているプランが社会人野球チームの創設だ。「運営費、球場、選手のリクルートなど課題はありますが、2020年までにはスタートしたい。大切なのは継続すること。その意味でも会社を、この先ずっと続けていかなくちゃいけない」。54歳の豪腕。人生のマウンドで竜は舞い続ける。



下は1988ドラフトで巨人が指名した選手です。松谷竜二郎は2位指名入団。プロでの成績はこちら

巨人の1988ドラフト指名選手
1位吉田 修司北海道拓銀投手
2位松谷 竜二郎大阪ガス投手
3位佐川 潔金足農高投手
4位四條 稔三菱自動車川崎内野手
5位前田 隆三菱自動車水島内野手
6位高梨 芳昌札幌第一高内野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、土井健大(ドラフト5巡目)

2019年02月19日

デイリースポーツ20面「あの人~ネクストステージ」より

2006オリックス高校ドラフト5巡目 土井健大
履正社高・捕手

オリックス、巨人でプレーし、社会人野球も経験した土井健大さん(2006オリックス5巡目)。履正社時代に高校通算43本塁打を放ち“浪速のミニラ”として注目された強肩強打のスラッガーは、昨年10月に東大阪大柏原の硬式野球部監督に就任。同校にとって2011年夏以来となる甲子園出場を目指して日々奮闘中だ。

生駒おろしが吹き下ろすグラウンドに元気のいい声が響く。「声が小さい」、 「行ける!捕れる!」、 「適当に投げんな!」

新監督は1球1球心を込めてノックバットをふるう。部員も元気ハツラツ。同校の寺川誠校長も「(一昨年12月のコーチ就任時と比べて)選手の表情が違っている。野球部が変わった」と目尻を下げる。2月6日にはグラウンドの土の入れ替えも完了するなど、土台づくりの舞台は整った。

プロで培った技術を指導する一方で「一流の選手である前に一流の高校生であること」を重視。「目標を持つ」「自己管理」など16カ条の部訓を掲げ、毎日のミーティングで確認する。コーチ就任後、最初に取り組んだのは食トレ。昼食は毎回全員でごはん700グラムをとり、チーム平均で7キロ体重が増えた。

自身は兵庫・芦屋市出身。高校進学時に履正社を選んだのは、6歳上の兄が大阪大会決勝で敗れた悔しさを晴らすためだった。2年春にセンバツに出場。通算43発を放ち、1歳上に“浪速のゴジラ”岡田貴弘(2005オリックス1巡目)がいたことから“浪速のミニラ”と呼ばれた。

「負けず嫌いだったので、あの人より目立ってやろうと。だから練習も必死でやりました」。06年ドラフト5位でオリックス入団。フレッシュオールスターにも選ばれながら、4年目オフに戦力外通告を受けた。

「須磨の海岸で海を眺めた」と落ち込んだが、ひたむきに取り組む姿勢と元気さを買われ、当時巨人の川相昌弘2軍監督から育成選手として声を掛けられた。

12年からはブルペン捕手。彩未さんと結婚し、安定した道を選ぼうとしたが、現役への未練を断ち切れずに14年から社会人野球のミキハウスREDSに。さらに、軟式野球の大阪シティ信用金庫でもプレーした。

巨人時代については「最後に東京ドームに呼ばれた」と花道を用意してくれたことに感謝。ミキハウスでは、肉離れで「初めて絶望感を味わった」。大阪シティ信用金庫では今回の監督就任に繋がる出会いがあり「トーナメントの厳しさと、ひたむきに野球に取り組む姿勢に心を打たれた」と言う。

「そんな経験を部員に伝えたい。人との出会いがすべて。いい人に会うためには、自分の心がきれいじゃないと」。もちろん負けず嫌いは変わらない。(以下略)



下は2006高校ドラフトでオリックスが指名した選手です。土井健大は5巡目指名入団。プロでの成績はこちら

オリックスの2006高校ドラフト指名選手
1巡目延江 大輔瀬戸内高投手
2巡目指名権なし
3巡目梅村 学人三重高投手
4巡目仁藤 拓馬島田商高投手
5巡目土井 健大履正社高捕手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、蕭一傑(ドラフト1位)

2019年02月18日

2/18、デイリースポーツ2面「トラ番25時」より

2008阪神ドラフト1位 蕭一傑
奈良産大・投手

数日前の朝、携帯メールの着信音が鳴った。「17日、行きますね!!」。相手は08年度ドラフト1位で阪神に入団し、昨年限りで現役を引退して現在は日本ハム・王柏融の通訳を務める蕭一傑氏(2008阪神1位)だった。入団時からドラ1担当として長く取材した選手。チームを離れた13年以来6年ぶりの再会だ。

練習試合後。通路で待っていると、少しほっそりとした笑顔に会えた。握手は両手。奈良産大時代の恩師の言葉を思い出す。「日本人より日本の心を持ったやつですよ」。幼少期、台湾で甲子園中継を見て、日本の野球に憧れを抱いた。通訳での復帰。変わらない姿がうれしかった。

「阪神はどうですか?。雰囲気が変わりましたね」。かつてつけていた19番を背負い、藤浪が日本ハム打線に投げる。その姿をベンチで通訳として見届けた。「阪神の選手には頑張ってほしいですね」。4年間在籍した古巣を思う。第2の人生は始まったばかりだ。



下は2008ドラフトで阪神が指名した選手です。蕭一傑は1位指名入団。プロでの成績はこちら

阪神の2008ドラフト指名選手
1位 蕭 一傑 奈良産大 投手
2位 柴田 講平 国際武道大 外野手
3位 上本 博紀 早稲田大 内野手
4位 西村 憲 九州産業大 投手
プロ入り後の成績


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