ドラフト会議情報局 2020高校生ドラフト候補 2020大学生ドラフト候補 2020社会人ドラフト候補
2020ドラフト指名予想 スカウト評価 12球団ドラフト情報まとめ ホームにもどる
あのドラフト選手は今・・・

あのドラフト選手は今、葛城育郎(ドラフト2位)

2020年06月12日

夕刊フジ26面「俺の人生第二幕」より

1999オリックスドラフト2位 葛城育郎
立命館大・外野手・22歳

オリックス、阪神で活躍した葛城育郎氏(1999オリックス2位)。甲子園のお立ち台で上げた雄叫びはいまだに虎党の語り草だ。現役引退後に球場と同じ兵庫県西宮市内に開いた料理店は、その名も「酒美鶏(さけびどり)葛城」。溶岩プレートで焼いて食べる地鶏が好評を博してきた。

長期戦となったコロナとの闘いでも、バイプレーヤーとして生きる道を探した経験が生きている。

もともと2月は野球界が春季キャンプということもあり、客足は鈍いんです。一気にお客さんが減り出したな、と感じたのは3月上旬のこと。歓送迎会が一斉にキャンセル。さらにオープン戦が無観客試合となったのも響き、例年の半分くらいしか入りませんでした。

4月はさらにひどくなり、売り上げは例年の3割まで落ち込んで頭を抱えました。それでも14人のスタッフを守るには、お店をたたむわけにはいきません。兵庫県では飲食店の営業短縮の給付金はわずか30万円で、私の業種は休業要請の対象に入らず。

私1人が店に立ち、午後5-8時の短縮営業でしのぎましたが、34席の店にお客さんがゼロの日もあり、さすがにこたえました。

開店以来の大ピンチ。「打てる手は打とう」と思って始めたのが、ランチタイムの持ち帰り弁当でした。店の裏メニューのカレーから、ハンバーグ、ホルモン丼など初挑戦の商品まで8種類を投入。店内飲食と比べれば正直、客単価はすずめの涙です。

それでも阪神の現役選手まで「頑張れよ」と買いに来てくれて、本当に勇気づけられました。5月7日からは営業を午後10時まで延長。現在は午前0時までの平常営業となりましたが、午後9時を過ぎると新規のお客さんはまだ来ません。

なかなか先が見えない状況ですが、救いは店の家賃がまだ安かったことです。大阪・北新地、神戸・三宮などの歓楽街と比べれば、感覚的には3分の1くらい。阪神の後輩たちでも、北新地で鶏料理店を営むサジキ(桟原将司氏)やバーを開く浅井(良氏)のことは心配です。家賃が違えば仕入れや収入にも直接、響きますから。

私が鶏の卸売市場などの修業を経て、2013年8月に西宮の下町に店を構えたのは、プライベートでなじみがあったからではありません。候補地を歩く中での「直感」でした。

阪神西宮駅に近いのに当時、ここは意外に寂れていて人も少なかった。でも、正月は多くの人でにぎわう西宮神社も近いし、集客がある程度は見込めると思ったんです。今では阪神・矢野監督ら球界関係者や野球ファンだけでなく、地元の方も来てくださる。本当にありがたいですね。

現役時代は「隙間産業」の中を生きました。レギュラーではなくバイプレーヤー。代打出場、守備固め、内外野で枠が空いた方へ行ったり。必死に「埋め合わせ」をする気持ちは人より強い。そうすることで、チームもいい形で回り出すんです。

お店はまだ通常営業にはほど遠いですし、第2波のことも考えないといけない。でも今の原動力には、そこでの経験が生きていると思います。



下は1999ドラフトでオリックスが指名した選手です。葛城育郎は2位指名入団。プロでの成績はこちら

オリックスの1999ドラフト指名選手
1位 山口 和男 三菱自動車岡崎 投手
2位 葛城 育郎 立命館大 外野手
3位 迎 祐一郎 伊万里商高 投手
4位 岩下 修一 三菱自動車岡崎 投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 06:40|この記事のURL

あのドラフト選手は今、林崎遼(ドラフト5位)

2020年06月04日

6/4、日刊スポーツ5面より

2010西武ドラフト5位 林崎遼
東洋大・内野手

14年前の夏、マー君に心理戦を仕掛けた球児がいた。東洋大姫路の主砲、林崎遼さん(2010西武5位)は06年夏の準々決勝・駒大苫小牧戦を前に、世代最強投手の現ヤンキース田中将大投手に宣戦布告。実際、初回にいきなり2ランを放ち、当時夏甲子園3連覇を目指して公式戦46連勝中だった絶対的王者を追い詰めた。

その裏側に隠されていた捨て身の作戦とは・・・。

あの夏、最上級生となっていた駒大苫小牧・田中が甲子園で唯一許したアーチだった。準々決勝の1回表1死二塁。東洋大姫路の3番林崎さんはその初球、内角直球を狙い打った。逆風を押し切っての左越え2ラン。世代最強投手の出ばなをくじいた1発には、今だから明かせる裏話があった。

試合数日前、テレビ局の取材で「田中くんを打てるか」と問われて「問題ないと思います」と返した。相手は体調不良もあって万全でなかったとはいえ、夏の甲子園3連覇を目指して公式戦46連勝中だった王者のエース。周囲を驚かせた強気な発言には意図があった。

「スライダーがすごすぎて打てる気がしなかった。だから、どうしても直球を投げてもらいたくて・・・。自分の言葉が相手に伝われば、真っ向勝負してくれるかなと思ったんです」

コメントが田中に伝わったかどうかは定かでないが、もくろみ通り、1打席目の初球に直球は来た。捨て身の作戦が功を奏し、勢いづいた東洋大姫路は5回終了時点で4-0とリードを奪って王者を焦らせた。最終スコアは4-5。最後の夏、惜敗にも充実感があふれた。

東洋大を経て、10年ドラフト5位で西武入団。プロでは楽天在籍時の田中が調整登板した2軍戦で1度だけ対戦した。「いい当たりは打てたけど抑えられました。楽しかったな」。15年シーズン限りで現役を引退。独立リーグのチームや社会人のチームから声がかかったが、もう後悔はなかった。

16年2月からは西武時代の先輩、G・G・佐藤こと佐藤隆彦さんとの縁もあり、佐藤さんの父が社長を務める株式会社トラバースに入社。千葉を拠点に作業着で地盤改良の業務に就き、同社の軟式野球チームでは4番を張っている。

田中は今、海の向こうの超名門で輝きを放っている。ツインズ前田、巨人坂本ら同学年メンバーも活躍を続けている。「投手だったら投げられなくなるまで野球を続けてほしいなって、勝手に応援させてもらっています」

ちなみに、高校3年夏に成功させた作戦には後日談がある。林崎さんは日米高校親善野球の選抜チームで田中と同僚に。仲間から宣戦布告発言についていじられ、爆笑する田中に「いや、あれは前後のコメントを編集でカットされてな・・・」と必死で弁明したそうだ。



下は2010ドラフトで西武が指名した選手です。林崎遼は5位指名入団。プロでの成績はこちら

西武の2010ドラフト指名選手
1位大石 達也早稲田大投手
2位牧田 和久日本通運投手
3位秋山 翔吾八戸大外野手
4位前川 恭兵阪南大高投手
5位林崎 遼東洋大内野手
6位熊代 聖人王子製紙外野手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 10:40|この記事のURL

あのドラフト選手は今、大野雄次(ドラフト4位)

2020年05月29日

 夕刊フジ25面「俺の人生、第二幕」より

1986大洋ドラフト4位 大野雄次
川崎製鉄千葉・内野手

大洋(現DeNA)、巨人でプレーし、野村ヤクルトでは代打の切り札として2度の日本一に貢献した大野雄次さん(1986大洋4位)は、東京・田町で鰻・牛舌料理店「大乃」を経営。オフィス街という土地柄、新型コロナウイルスの影響が直撃している。

そんな大野さんを支えているのが、2月に急逝した野村克也さんの存在。恩師も認めた味で、苦境を乗り切る。

東京も緊急事態宣言が25日に解除され、夜の営業時間を戻したけど、初日の客足は変わらなかった。うちは、この辺の大企業のお客さんや、接待で利用してくれる。テレワークが続いているので、サラリーマンの人が出勤してこないと、厳しいでしょうね。

1998年限りで現役を引退。2年間修業し、2000年の3月に店を開き、今年で20年を迎えました。2月は何の影響もなかったけど、3月の終わりぐらいから、一気に客足が遠のき、予約の電話もかかってこない。リーマン・ショックなどで売り上げが下がったこともあったけど、ここまで長引くことはなかった。

例年なら3、4月は歓送迎会もあり売り上げがアップするところ。3月は社会人野球時代のJFE東日本(当時川崎製鉄千葉)のメンバーが20周年のお祝いを開いてくれる予定でしたが、それもなくなり、DeNAの慰労会もキャンセル。4月は70%、今月は90%も売り上げが下がっています。

土日祝日は横浜東リトルの総監督として、野球に携わっています。グラウンドは横浜の大黒埠頭で、ダイヤモンド・プリンセス号を横目に毎週練習をしていたのですが、それもアメリカのリトルリーグからの要請が出て、今月いっぱいは自粛。6月から2時間限定の練習で再開することになりました。

一昨年にはテレビ番組の収録で、ヤクルトの監督だった野村克也さんが来てくれた。サプライズで聞かされていなかったので、姿を見たときは震えが止まりませんでした。そのときは、うなぎを食べて「うめぇ」と言ってくれて、「野球をやめた教え子が、しっかりやっていて安心したよ」と喜んでくれました。

昨年のレジェンドマッチに出場したときに、お礼を言いに行き、サインをお願いしたのですが、みんな頼みづらかったのでしょう。私が切り出したことで、次から次へとサイン攻めにあっていました。

1995年、オリックスとの日本シリーズ第1戦で、代打2ラン本塁打を打った。今でもiPadで映像を見るけど、野村さんの喜ぶ姿は目に焼き付いています。そういう経験があるから、この苦境でも頑張ることができる。今度はコロナも吹き飛ばす逆転ホームランといきたいところです。



下は1986ドラフトで大洋(現DeNA)が指名した選手です。大野雄次は4位指名入団。プロでの成績はこちら

大洋の1986ドラフト指名選手
1位 友利 結 興南高 投手
2位 石井 章夫 慶応大 捕手
3位 松村 高明 池田高 投手
4位 大野 雄次 川崎製鉄千葉 内野手
5位 塩崎 兼一 八幡浜高 投手
6位 榊原 勝也 北陽高 外野手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 10:00|この記事のURL

あのドラフト選手は今、平田洋(ドラフト1位)

 中日スポーツ2面より

1993中日ドラフト1位 平田洋
豊田大谷高・投手

名鉄・豊田市駅から車で約10分。工場地帯の一角に豊田鉄工広久手工場がある。衝突時の衝撃を緩和する自動車部品を製造するこの工場で、かつての「ドラ1」は工長として現場を監督する仕事に携わっている。

「簡単に言えば改善作業です。お客さんに品質を保証するために、決められた時間の中で同じ作業を同じ動作で繰り返してもらうのが大事。野球では反復練習はあっても、試合では打者と対戦するわけですから、毎日同じということはなかった。全然違いますよね」

平田さんは24歳で引退した。サラリーマンに転身して21年。小学5年で始めた野球歴よりも、サラリーマン歴の方が長くなった。自分の仕事について説明する口調も今では滑らかだ。

豊田大谷高からドラフト1位で94年、中日に入団。最速148キロの将来のエース候補はまさに期待の星だった。プレッシャーも「目立つことが好きだった」とプラスに捉えた。

プロ1年目のキャンプ。1軍で迎えた。初めてのブルペンですでに球界を代表する左腕だった今中、山本昌の球に衝撃を受けた。それでも怖いもの知らずの18歳。キャンプを過ごしながら「この世界で勝負できる」と自信も湧いていた。圧巻の球威に、周囲は舌を巻いていた。

ところが落とし穴があった。キャンプでいきなりいろいろな人からアドバイスを受けた。「自分の引き出しが少なくて頭が整理できなかった。自分の投球を見失っていました」。高校でも厳しい練習はしてきたが、投球についてあれこれ指導を受けた経験はなかった。

「高校の時の投げ方に戻せばいい」と言われ、何度も高校時代の写真や映像と見比べた。いくら形を戻そうとしても、感覚だけは取り戻せない。「プロでのいい思い出はなかったですね…」。自分の投球ができたと言えるのも、1年目の3月にあった2軍の試合だけだった。

プロ5年目の10月に戦力外通告を受けた。「さみしさもありましたけど、一番はほっとしました。あの時には試合で投げても直球は130キロ台。もう試合で投げなくてもいいんだと安心したのを覚えてます」と当時の心境を打ち明ける。

引退直後に母校の関係者から誘われ、99年に今の会社に入った。「プロ野球の世界では負け組。でも社会人では勝ち組になってやるという強い思いでやってきました」。現場の作業員から班長となり、今はさらに一つ上の工長として32人の部下を持つ立場になった。

テレビでプロ野球を見ることもない。それでも中日に根尾、石川昂が入団したことは耳に入る。「2人とも甲子園で全国制覇。すごい場所で試合をしているわけですから、芯の強さは持ってると思うんです」と自身が貫き通せなかった“我”の強さを感じている。

「プロの変化球の切れは全然違いますし、すぐに活躍するのは難しい。常に自分で考え、自分で弱点を見つけ、課題に取り組むのが大切。下積みが長くなっても、大事なところはぶれない選手が成功すると思うんです」

地元高卒ドラ1の先輩は、陰から2人の成長を見守る。「将来的には3番・根尾君、4番・石川君ですか。見てみたいですね」と頬を緩めた。



下は1993ドラフトで中日が指名した選手です。平田洋は1位指名入団。プロでの成績はこちら

中日の1993ドラフト指名選手
1位平田 洋豊田大谷高投手
2位鳥越 裕介明治大内野手
3位笹山 洋一小林西高投手
4位遠藤 政隆熊谷組投手
5位工藤 友也湖北高投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:00|この記事のURL

あのドラフト選手は今、田村勤(ドラフト4位)

2020年05月28日

夕刊フジ27面「俺の人生、第二幕」より

1990阪神ドラフト4位 田村勤
本田技研和光・投手

1990年代に阪神で守護神を務めた田村勤氏(1990阪神4位)は現在、甲子園球場にほど近い兵庫県西宮市内で「田村整骨院」を営む。選手時代に「たむじい」の愛称で知られた、優しいほほえみは院長になっても健在だ。3密を避けながら施術を続けてきたが、緊急事態宣言が解除されて増え始めた来院者たちに目立つ症状とは-。

2005年12月にこの場所で整骨院を始めたのですが、コロナ禍の影響は大きく4、5月のお客さんは大幅減。一時、営業時間短縮もしました。

3密対策として、消毒やマスク着用などの衛生面はより一層の注意。5つあった施術ベッドも、距離をとるために2つ減らし、窓は開けっ放し。施術時は会話をしない。マスクを持たずに来た患者さんには、こちらから配布。着用しない人がいるだけで、待合室が殺伐とした雰囲気になるんです。世の中の危機感の強さを痛感しました。

私以外の5、6人いるスタッフの気苦労も多い。パンクしてはいけないので日々、注意深く観察しながら、「もう1回、ゴールデンウイークを取ろう」と呼びかけて、5月中旬に4日間、休診日を設けました。

うちは年配の患者さんが多く、緊急事態宣言が出ている間は感染を気にされて、なかなか来院しにくかったようです。関西では5月21日にようやく解除。それと同時に「久しぶり!」と再訪してくれる方もいて、ホッとしました。

自粛期間が思った以上に長くなり、体の不調を訴える方も目立ちます。年配の方だと、家でじっとしていて久々に動いたら、腰やひざを痛めてしまう。若い方でも、慣れない在宅勤務が続いて同様の症状があったり。ウイルスをうつさない、うつらないのは大切ですが、運動不足に陥っているのが手に取るように分かります。

コロナは今後、年単位で戦わないといけない相手。患者さんとの合言葉は「できることからやっていくしかない!」。今までに世間の誰もがこれだけ、共通の話題で話し合うことはなかったと思います。その分、人との絆を感じる機会は増えたなと感じています。

整骨院では予約制で小中学生、大学生、大人向けの野球指導も展開しています。こちらもグラウンドが使えなかったり、チーム活動が止まったりした生徒さんが多く皆、ストレスがたまっている印象受けました。

一方で自粛期間中に、バットスイングの分析アイテムを購入して上達を目指す人もおり、「こんな状況でも野球が好きなんだな」と感心。体を動かしたくてウズウズしている人が多いなと思いました。

5年前からは石川県の金沢龍谷高、静岡県の藤枝明誠高の2校で野球部の非常勤コーチとして、月に1、2度指導に赴いてきました。

こちらもストップしている中で、春のセンバツと夏の甲子園が相次いで中止。選手、監督の気持ちを考えればやりきれないでしょうけど、甲子園出場がかなわなかったことは時間をかけて受け入れるしかない。その上で、これをバネに今後の人生を歩んでもらいたいですね。

プロ野球は何とか開幕までの道筋が見えてきました。私があの世界で最も学んだことは、「予測と準備は最大限やっておく」。これは第2波が警戒されるコロナ対策でも必ず生きます。今も未知の部分が多いですが、手洗い、うがいやマスクの着用、細かい気遣いはまさにそれ。まだまだ大変な日々が続きますが、前向きに戦いましょう!



下は1990ドラフトで阪神が指名した選手です。田村勤は4位指名入団。プロでの成績はこちら

阪神の1990ドラフト指名選手
1位 湯舟 敏郎 本田技研鈴鹿 投手
2位 関川 浩一 駒沢大 捕手
3位 山崎 一玄 静岡高 投手
4位 田村 勤 本田技研和光 投手
5位 嶋田 哲也 王子製紙米子 投手
6位 伴 義太郎 筑陽学園高 投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:01|この記事のURL


ドラフトニュース検索