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あのドラフト選手は今・・・

センバツ甲子園優勝投手の渡辺智男は今・・・

2017年03月24日

3/24、スポニチwebsiteより (source)

1988西武ドラフト1位 渡辺智男
NTT四国・投手・21歳

球児の晴れ舞台を冷静な目で見つめているのがプロ野球のスカウトたち。1回戦が終了する6日目までは全員が各方面からチェックして秋からの成長、思わぬ逸材などをメモしていく。そんな中、西武の渡辺智男スカウト(1988西武1位)も第1試合からグラウンドに目を光らせた。

40代以上の野球ファンなら、この名前を聞けば思い出す大会があるだろう。今から32年前、1985年のセンバツで初出場の伊野商(高知)を優勝に導いたエース。準決勝では桑田、清原のKKコンビを擁するPL学園と対戦し清原から衝撃の3三振を奪った。大本命のPLを破った勢いで決勝でも帝京を完封。この試合では2ランも放って投打のヒーローとなった。

「今でもセンバツ前になると取材してもらったりしますよ。これも桑田と清原がいてくれたおかげ。PL戦が決勝戦と思っている人もいるからね」と話す。当時は携帯電話もネット情報もないから「それがかえって良かったね」と怖いもの知らずで立ち向かったという。

この日第3試合に登場した帝京五の小林昭則監督は、その決勝戦で投げ合った人。これも縁。「小林も苦労してきたからね」と、かつての球友に温かな視線を送った。



下は1988ドラフトで西武が指名した選手です。渡辺智男は1位指名入団。プロでの成績はこちら

西武の1988ドラフト指名選手
1位渡辺 智男NTT四国投手
2位石井 丈裕プリンスホテル投手
3位垣内 哲也日高中津分校高捕手
4位青野 信二佐伯豊南高内野手
5位小久保 浩樹泉尾高外野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、小林昭則(ドラフト2位)

3/24、中日スポーツ10面「満薗文博の光と影と」より

1989ロッテドラフト2位 小林昭則
筑波大・投手・22歳

「やはり、年とったねえ」と言うと、帝京五の小林昭則監督(1989ロッテ2位)「そりゃそうですよ」と笑いながら応えた。そうなのだ、1985年春、伊野商の渡辺智男と決勝で投げ合い、0―4で帝京の準優勝投手になった日から、32年が流れていた。49歳になって、小林昭則は甲子園に帰ってきた。

PL学園の桑田・清原のKKコンビと同期。かつてのライバル、渡辺からは前夜、激励の電話が入ったという。筑波大、プロ野球・ロッテと渡り歩き、母校の帝京で助監督などを務めて、系列の帝京五で監督になったのは昨年の春。すぐに、この高校を48年ぶりの甲子園に導いた。

試合前、ナインに与えた言葉はこうだ。「君たちの心の中にある敵は、相手のユニホームと学校の名前だ。同じ高校生、何も臆することはない」

だが、昨夏の覇者、作新学院にいきなり1回に3点を奪われると、勢いを出す間もなくしぼんだ。1―9の完敗。「負けたのは、私が選手をはつらつと動かせなかったから。もっと高いレベルの野球を子どもたちと追い求めたい」

左袖のEHIMEの刺しゅうを除くと、あの春に17歳で着たユニホームと同じである。8月には50歳。「夏に必ず戻ってきます」と言った。

(3月23日 センバツ高校野球大会 作新学院 9―1 帝京五)




下は1989ドラフトでロッテが指名した選手です。小林昭則は2位指名入団。プロでの成績はこちら

ロッテの1989ドラフト指名選手
1位小宮山 悟早稲田大投手
2位小林 昭則筑波大投手
3位鈴木 俊雄日立製作所捕手
4位南渕 時高東芝内野手
5位鹿野 浩司帝京高内野手
6位林 博康鹿児島実高外野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、美口博(ドラフト2位)

2017年03月21日

3/21、中日スポーツ9面「満薗文博の光と影と」より 

1975中日ドラフト2位 美口博
中村高・投手・18歳

一塁側・中村高校アルプス席に立すいの余地はない。そんな中に、中日スポーツの美口博整理部長(1975中日2位)はいた。40年もの、長い道のりを経て、たどり着いた甲子園だった。

中村の甲子園出場は、伝説となった1977(昭和52)年春、たった12人で成し遂げた初出場で準優勝の「二十四の瞳」以来、実に40年ぶりである。当時のエース、山沖之彦さん(1981阪急1位)らもスタンドにいた。彼らは美口部長の2年後輩だ。

75年の夏、中村はエース・美口を擁して甲子園切符に王手をかけたことがある。当時は1県1代表制ではなく、南四国大会で切符を争ったが、惜しくも夢はかなわなかった。美口投手は、その年のドラフト会議でドラゴンズに2位指名されて入団。

しかし、不運な交通事故もあり、5年でプロ生活に別れを告げた。以降、中日新聞社でボールをペンに持ち替えた。6月には60歳の定年を迎える。

1―5。前橋育英に善戦しながら後輩たちが敗れた後で、美口部長の目は赤かった。「感動で胸が締め付けられ、泣きました。勝って校歌は歌えなかったけれど、2回と7回にアルプス全体で歌いました」

実は、この2月、美口部長は、元プロが学生野球を指導できる資格を回復させている。「故郷に帰ります。子供たちと野球を楽しみたい」。還暦球児に、かなわなかった甲子園への夢が宿っている。

(3月20日 センバツ高校野球大会 前橋育英 5―1 中村)




下は1975ドラフトで中日が指名した選手です。美口博は2位指名され入団。プロでの成績はこちら

中日の1975ドラフト指名選手
1位田尾 安志同志社大外野手
2位美口 博中村高投手
3位青山 久人国府高投手
4位早川 実西濃運輸投手
5位福田 功中央大捕手
6位関東 孝雄日通浦和内野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、中谷仁(ドラフト1位)

2017年03月18日

3/18、スポーツ報知5面より

1997阪神ドラフト1位 中谷仁
智弁和歌山高・捕手・18歳

元巨人捕手の中谷仁氏(1997阪神1位)が、4月に母校・智弁和歌山のコーチに就任することが17日、分かった。名将・高嶋仁監督をサポートし、名門復活に尽力する。

春夏通じて3度の全国制覇を誇る智弁和歌山だが、2011年夏(3回戦敗退)から甲子園で白星がなく、15年夏を最後に甲子園から遠ざかっている。

学校や高嶋監督から指導を要請された中谷氏は「どれだけ力になれるかは分からないけど、恩師の高嶋先生の手助けができるのは幸せなこと。また一緒に甲子園で優勝して、高嶋先生を胴上げしたい」とコーチ就任を決めた。

中谷氏は主将を務めた1997年夏の甲子園で優勝し、同年のドラフト1位で阪神入団。99年に左目を負傷し、一時は選手生命の危機に立たされたが、2002年に1軍昇格。楽天時代の09年後半は、野村監督にリードなどを評価されて正捕手として起用された。

12年は巨人でプレーして現役引退。14年に、学生野球を指導するために必要な「学生野球資格」を取得。野球解説や阪神のジュニアコーチなどを務め、今年1月からは臨時コーチとして母校で指導している。

歴代1位の甲子園春夏通算63勝を挙げている高嶋監督は、15年に一度は勇退を表明。学校側の慰留を受けて続投し、熱心な指導を続けているが、5月には71歳となる。近い将来の継承を見据えて、中谷氏に帝王学を授けていくことになりそうだ。




下は1997ドラフトで阪神が指名した選手です。中谷仁は1位指名され入団。プロでの成績はこちら


阪神の1997ドラフト指名選手
1位中谷 仁智弁和歌山高捕手
2位井川 慶水戸商高投手
3位橋本 大祐富士大投手
4位坪井 智哉東芝外野手
5位山岡 洋之東北福祉大投手
6位奥村 武博土岐商高投手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、G.G.佐藤(ドラフト7巡目)

2017年03月14日

3/13、デイリースポーツニッポン20面より

2003西武ドラフト7巡目 佐藤隆彦(G.G.佐藤)
法政大卒・捕手・25歳

WBCに日本列島が熱狂する中、最年長侍青木(アストロズ)に思いを託す男がいた。西武、ロッテなどでプレーしたGG佐藤(本名・佐藤隆彦)氏。それは9年前の、あのプレーが脳裏から離れないからだ。

2014年オフにロッテを退団、同年限りで現役引退した佐藤氏は、現在、父・克彦さんが社長を務める測量会社「トラバース」(本社・千葉県市川市)に就職。東京営業所(水道橋)で営業マネジャーとして約50人の従業員を束ねている。

朝9時から夕方6時まで、社内業務をこなすうえ、作業着に着替え建設現場に足を運ぶ毎日。測量士補、2級土木施工管理技術の資格も取得した。「父がつくって残してくれた会社を守っていきたい」と、1人の営業マンとして、第二の人生を確かな足取りで歩んでいる。

一方、多忙な仕事の合間を縫って、講演やテレビ出演も精力的にこなす。WBCを前にして、イベントなどで引っ張りだこ。殺到する理由は、やはり、あのプレーに凝縮される。11年間のプロ人生で思い出されるのは、08年の北京五輪。準決勝・韓国戦で2度の落球・・・。いずれも痛恨の適時失策となり、結果的に金メダルを逃したことは、苦い記憶として残っている。

だが、佐藤氏はあえて、発信しようとしている。既に過去の記憶として心の整理がついていると思いきや、そうではない。

「いまだに悔しいです。もしもう1回やり返せるならやり返したいですよ、今でも。出演した番組などで当時のVTRを見なきゃいけないことはありますけど、自ら再生ボタンを押すことはないですね。今も傷は癒えていない。何回映像見ても落とすじゃないですか。そりゃ今から捕れるわけないけど。何回も落としているの見ると、本当、悔しいですよね」

これまでの人生で味わったことのない緊張感と重圧。

「極限状態だったと思いますよ。本当に。1個エラーしたあと、恐怖しかなかったですし。『飛んでくるな、飛んでくるな』と心から思っていた。ああいう心理状況になったこと、今までないです」

失った平常心。動揺。日本中から期待された金メダルを逃し、戦犯の目が向けられることで、「もう逃げてしまいたかった」。だが、佐藤氏が最も悔いているのは、エラーではない。

3位決定戦の米国戦で、名誉挽回の奮起に期待した星野仙一監督は、佐藤氏を再びスタメン起用した。

だが、「やめてくれと心の中では思いました。2つエラーした時点で、もう気持ちが切れてしまっていた。もう使われることはないと思って決めつけてしまって、何も準備していなかったんです。金メダルしかいらないと思って乗り込んだのに、自分のエラーのせいでそれが途絶えて、もう終わったと思ってしまった。スタメンと聞いて、そこから慌てて準備しても、うまくいくわけがなかった」

前日に犯したミスの大きさから失意のどん底にあった佐藤氏は、もはや「次」が考えられなかった。ショックと動揺を引きずったまま臨んだ米国戦で、再び落球。またも適時失策を犯してしまう。佐藤氏は言った。

「去年、リオ五輪を見ていて、改めて強く思ったんです。あのとき、金を逃しても、銅メダルでもいいから取りに行くべきだった。どんなに落ち込んでいても、気持ちを切り替えてしっかり準備すべきだった・・・。これが、野球人生での唯一の後悔です」

プロとして、野球人として、ベストを尽くせなかったことが、今も胸に引っかかっている。日の丸の重みを嫌と言うほど味わった男。

「自分がミスをしたことで、反面教師というか、小久保監督も守備の使い方とか多少気を遣うこともあるかもしれない。そういう意味では、ああいうことも起こり得るというひとつの出来事として、後世に伝える、じゃないですけど、自分はそういう役割なのかなと思ったりします」

2月末に行われた侍ジャパンの宮崎合宿では、トークショーにゲスト出演。キューバ戦が行われた7日、オーストラリア戦が行われた8日には、都内でWBC応援イベントに参加し、野球ファンとともに盛り上がった。

9年前、ともに北京五輪でプレーした青木は、今も日本代表として世界の頂点へと挑んでいる。佐藤氏は神妙に話した。

「あのとき一緒に戦った仲間が、唯一残っている。青木が金メダルを取ってきてくれれば、僕の傷も癒えるような気がする」。そして、日の丸戦士たちに向け、心の底から願った。「最高の準備をしてほしい。ベストの準備、ベストの気持ちで、ベストを尽くして欲しい」・・・




下は2003ドラフトで西武が指名した選手です。G・G・佐藤(佐藤隆彦)は7巡目指名され入団。プロでの成績はこちら

西武の2003ドラフト指名選手
自由枠山崎 敏平成国際大投手
自由枠(行使せず)
1巡目(指名権なし)
2巡目黒瀬 春樹県岐阜商高内野手
3巡目(指名権なし)
4巡目松川 誉弘港高投手
5巡目松坂 健太東海大仰星高 外野手
6巡目岡本 篤志明治大投手
7巡目佐藤 隆彦法政大卒捕手
8巡目杉山 春樹専修大投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:04|この記事のURL

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