あのドラフト選手は今・・・
あのドラフト選手は今、山本徹矢(ドラフト5位)
2023年02月01日

2008ロッテドラフト5位 山本徹矢 神戸国際大付高・投手 |
2020年に人材派遣会社「W-TK株式会社」を立ち上げた山本徹矢氏(2008ロッテ5位)が起業家を志したのは、現役引退する13年のシーズン中だった。
投手として神戸国際大付高(兵庫)から08年ドラフト5位でロッテに入団。11年に一軍初登板を果たしたが、12年のキャンプで右肘を故障。だましだまし投げているうちに肩も痛め、フォームまで崩れた。13年は一度も試合で投げることができず、リハビリの日々を送った。
「あの頃はとにかく暇で。空いた時間のほとんどは読書に充てていました。ジャンルは自己啓発本とビジネス本。もともと好きだったんですよ。高校時代のリハビリ期間中、監督から『これをノートに丸写ししなさい』と、目標設定について書かれた1冊の本を渡された。半年ほどかけて取り組んだのはいい思い出です。これがきっかけで、本を読むようになりました」
起業家が記した本や、やり手ビジネスマンの思考法について書かれた本を読んでいるうちに、いつしか自分も起業家になりたいと思い始めた。
右肩、右肘に復調の兆しが見えなかった13年9月、あるコーチから引退後について尋ねられた時のことだ。「年収500万円は欲しい」と何げなく答えると、コーチの顔色が変わった。
「即座に、『そんな仕事ないで! 手取り15万円なんてザラやぞ!』と叱られてしまった。『え~!』とビックリしましたね。高卒でプロ入りしたから、いまいち世間の賃金の感覚が分かってなかった(笑)。稼ぐためにも引退後は起業するしかないと一層、強く思いました」
この年に戦力外を告げられた。事業を起こしたいという思いはあっても、明確なビジョンはなかった。一般社会のこともきちんと理解できていなかった。
「いま起業しても無理だろうから、まずは社会勉強をしようと。その後の人生に生きるように、一番しんどいだろう仕事を探しました。知人に相談すると、テレビの番組制作会社をすすめられた。その人のコネで、面接なしですんなり入社。派遣のアシスタントディレクター(AD)になりました」
入社して間もなく、バラエティー番組に配属された。過酷な仕事を求めて入社したとはいえ、想像していたよりもはるかに厳しい地獄のような日々が続いたという。「入社3日目には、上司を殴りたいと思うようになっていました(笑)」 (つづく)

ロッテの2008ドラフト指名選手 | |||
1位 | 木村 雄太 | 東京ガス | 投手 |
2位 | 長野 久義 | ホンダ | 外野手 |
3位 | 上野 大樹 | 東洋大 | 投手 |
4位 | 坪井 俊樹 | 筑波大 | 投手 |
5位 | 山本 徹矢 | 神戸国際大付高 | 投手 |
6位 | 香月 良仁 | 熊本Gラークス | 投手 |
★プロ入り後の成績★ |
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あのドラフト選手は今、桧山泰浩(ドラフト1位)
2023年01月27日

1985近鉄ドラフト1位 桧山泰浩 東筑高・投手 |
1985年、東筑高(福岡県)から近鉄にドラフト1位で指名され入団した桧山泰浩氏は近鉄を退団した翌92年に韓国プロ野球に挑戦も、同年限りで引退。現在は司法書士になっていた。福岡市内に「桧山泰浩司法書士事務所」を構えて26年、遺産相続や不動産登記など、日々、依頼人の要望に向き合っている。
元プロ野球選手として異色のキャリアを歩む桧山氏は、「仕事は楽しい。同じ案件はひとつもありませんから」と、こう話す。
「例えば、遺産相続の手続きひとつ取っても、それぞれに依頼者の要望がある。それに沿って案件を済ませたら、やっぱり達成感がありますね。これを毎回味わえるのです。自己破産の場合なら、依頼者が人生を再スタートできるように、背中を押すこともできる。やりがいや楽しさがないと、26年間も続けられませんよ」
依頼人の意向をくみ取りながら、解決策を提案するため、最初から答えがあるわけではない。法律も目まぐるしく変わる。
「勉強の毎日です。イチローだって、引退するまでは毎日学ぶことがあっただろうし、それと同じ。どの仕事だってきっとそうでしょう」
もともと勉強は得意だった。幼少期からプロ野球選手になることを夢見ていたが、人生には勉強も不可欠だと考えていた。一般受験で入学した東筑高にしても、県内トップの進学校だ。
「ずっと野球中心の生活をしていましたが、“野球バカ”にはなりたくなかった。もしプロになれても、早ければ20歳過ぎで引退するかもしれない。野球だけじゃアカンって思っていたんです。だから、高校3年で春のセンバツに出場して、『プロ注目』なんて言われても、野球だけに没頭しなかった。指名漏れや、予期せぬケガのリスクもある。そうなった際は、早大か慶大への進学を志望していましたからね」
NPBでは一軍出場を果たせず、25歳という若さでユニホームを脱いだ後、司法書士として第二の人生をスタートさせた。この資格を取ったのは、さまざまな選択肢を考えた上での消去法だった。
韓国から帰国後、知人が経営する衣料品関係の会社に就職。主に事務作業員として2年間勤めたが、雇われの立場であるサラリーマンに居心地の悪さが募った。
「野球はチームプレーだけど、投手は自分を中心に考える。ずっと投手をやってきたからか、仕事を自分でやりたいと思うようになったんです。飲食店などの経営も考えたけど、資金がない。それなら何か資格を取ろう、と。どんな資格があるのか調べるために、まずは本屋に行きました。当時は弁護士を含め、難関といわれる資格は大卒者に限られていた。高卒でも取れるのが司法書士だけで、これにするか、と(笑)」
このとき27歳。参考書を手にした日から、人生が再び大きく動き出した(つづく)

近鉄の1985ドラフト指名選手 | |||
1位 | 桧山 泰浩 | 東筑高 | 投手 |
2位 | 山田 真実 | 高野山高 | 投手 |
3位 | 福島 明弘 | 大宮東高 | 投手 |
4位 | 池上 誠一 | 滝川高 | 投手 |
5位 | 福地 経人 | 九州産大 | 投手 |
6位 | 吉川 啓一 | 鎮西高 | 捕手 |
★プロ入り後の成績★ |
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あのドラフト選手は今、社長になった香月良仁
2023年01月22日

2008ロッテドラフト6位 香月良仁 熊本ゴールデンラークス・投手・24歳 |
「アスリートから、どうやって起業すればいいですか、なんて相談されることがありますが……」。
苦笑しながらこう話すのは、投球専門の野球教室やイベント事業を手掛ける「R&Associates」の代表取締役・香月良仁氏(2008ロッテ5位)だ。この問いかけに、いまだ適切な答えを見つけられないのは、氏のマインドが一風変わっているからだ。
プロ入り前の社会人野球時代から起業家になりたいという目標があった。念願のプロ入りを果たしてからも経営本を読み漁り、遠征先では現地の経営者やサラリーマンと交流。チームメートと外食することは少なかったという。
2016年にロッテを退団すると、古巣の鮮ど市場に戻り、19年に退団。起業を決意した。
「多くの人は“コレを事業にする”と決めてから起業すると思います。でも、僕は違った。本を読んで、人とも会って、たくさん知識をインプットしていました。それが実際に使えるものなのか、社会という実戦で試していくために会社をつくった。まずは経営者の目線に立ってみたかったのです」
衣食住に困らなければ何が起きても問題ないと考えている。事業に行き詰まったとしても、日雇いバイトを30日間やれば約30万円になる。これだけで十分に生活できるというわけだ。
それでもリスクヘッジは欠かせない。心掛けているルールは3つある。貯金を使い果たさないこと、大きな借金をしないこと、他人に迷惑を掛けないこと。
「僕のチャレンジに対し、周りから『失敗する』などとネガティブな声を聞くこともある。でも、3つのルールを守っている限り、何が起きても僕にとっては失敗ではありません。勉強代です」
2020年3月に起業。当初は高校野球の指導やパーソナルトレーナーなどをしていたが、直後にコロナ禍に見舞われた。そこにビジネスチャンスがあった。
「日本中で感染症対策グッズが不足しましたが、僕はコロナ関連商品を扱う商社と縁があった。そこから大量に仕入れて、不足している施設や法人に販売する営業代行を始めました。多い月で100万円ほどの収入を得ることができました」
もっとも、当初は手探りの日々だった。「飛び込み営業しても、普通に断られて(笑)。『どうしたら買ってくれますか』なんて聞くと、見積もりや請求書、納品書などが必要だと初めて知ったくらい。慌てて会社の口座もつくりました」
紆余曲折を経て成功を収めたが、「売り手」を続けることの限界も感じていた。=つづく

ロッテの2008ドラフト指名選手 | |||
1位 | 木村 雄太 | 東京ガス | 投手 |
2位 | 長野 久義 | ホンダ | 外野手 |
3位 | 上野 大樹 | 東洋大 | 投手 |
4位 | 坪井 俊樹 | 筑波大 | 投手 |
5位 | 山本 徹矢 | 神戸国際大付高 | 投手 |
6位 | 香月 良仁 | 熊本Gラークス | 投手 |
★プロ入り後の成績★ |
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あの甲子園優勝投手は今、南竜次(ドラフト4位)
2023年01月17日

1990日本ハムドラフト4位 南竜次 天理高・投手 |
「もともと全然大したことない選手でしたから、プライドが邪魔をするなんてことはありませんでした」。こう話すのは、現在、家電製品の設置や飲食店経営などを手掛ける「株式会社AIRECサービス」の代表取締役を務める南氏(1990日本ハム4位)だ。
天理高時代の1990年、夏の甲子園優勝投手となり、日本ハムにドラフト4位で入団。4年目に肘を痛めたことが原因で、97年に戦力外に。一軍での登板はわずか11試合にとどまった。翌年、米独立リーグに挑戦するも、半年後に帰国。最初に就いた職は引っ越しのアルバイトだった。
「大阪の実家に帰って、すぐバイトを始めました。日本ハムからもらった契約金は両親に渡していましたが、もう残ってなかったんですよ(笑)。とりあえず割のいい仕事ということで日当1万円ほどの引っ越しバイトを。『あれ、南君じゃない?』なんて話しかけられても、恥ずかしいとかまったく思わなかった。元プロ野球選手だぞ! 甲子園V投手だぞ! なんて、おごることもない。そもそも甲子園優勝はトーナメントによる運も大きいですから!」
一般人が音を上げるような作業でも難なくこなし、3カ月ほどで正社員に勧誘された。しかし、給料面の問題で断り、次に灯油の巡回販売員のアルバイトに就いた。
灯油を積んだ車で、スピーカーで宣伝しながら決められた道を巡回するこの仕事の給与は歩合制。繁忙期の冬は朝7時に出社し、8時ごろにタンクローリーに乗り込む。順路の途中で灯油が空になったら、事務所に戻って補給し、中断地点から再開。仕事を終えて会社に戻るのは夜10時ごろで、そこから精算作業をすると、退社時には日付が変わっていたという。
「週6回の勤務でした。そんな生活を送りながら、引退後初めての冬を越しました。月収は70万円ぐらい。しんどかったけど、稼げたんです。この会社は冬に灯油を売り、夏はエアコンの設置を請け負っていた。だから、夏場は先輩の見習いとしてエアコン設置に付いていき、ノウハウを学びました」
会社の業績は好調で、99年10月には名古屋支店がオープン。南氏にとっては願ってもない展開となった。
「現役時代から付き合っていた当時の彼女で今の妻は、名古屋に住んでいました。それまで、大阪から会いに行っていたので、本当にラッキーだと。名古屋支店の立ち上げメンバーに立候補して、正社員になった。支店の課長の肩書も付きました。店長と私の2人だけでしたけどね(笑)。ちょうどこの時期に結婚しました」
新生活を始めた南氏だが、思わぬ事態に見舞われる。(つづく)

日本ハムの1990ドラフト指名選手 | |||
1位 | 住吉 善則 | プリンスホテル | 内野手 |
2位 | 石本 努 | 別府大付高 | 内野手 |
3位 | 小島 善博 | NTT九州 | 投手 |
4位 | 南 竜次 | 天理高 | 投手 |
5位 | 小牧 雄一 | 三菱自動車水島 | 捕手 |
6位 | 真栄喜 正和 | 川崎製鉄水島 | 外野手 |
★プロ入り後の成績★ |
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あのドラフト選手は今、野田昇吾(ドラフト3位)
2022年11月03日

2015西武ドラフト3位 野田昇吾 西濃運輸・投手 |
第二の人生が開幕する。ついにデビューを果たす野田昇吾(2015西武3位)が、前検一番時計の6秒53をマークして強い思いを口にした。
「すごく楽しみです。マウンドとは違った緊張感がありますね。スタートラインと言うか、ボートレーサーの第一歩だなと思う。一番時計はびっくりしているけど、ハンデをいただいたと思って楽しみたい」
プロ野球・埼玉西武ライオンズで中継ぎ左腕として活躍し、2018年は自己最多の58試合に登板。10年ぶりのパ・リーグ優勝に貢献したが、20年オフに戦力外通告を受けた。
「ボートレースは野球時代からファンとして知っていたし、野球が駄目だったら、ボートと決めていました。身長も小さいし、身近に感じていた。戦力外通告を受けたときに第一にボートレーサーが思いついた」
12球団合同トライアウト後に引退を発表。野球界には別れを告げたが、アスリートとしてプロスポーツにこだわる姿勢は崩さなかった。身長167センチ。小柄な体格を生かせるボートレーサーを志して養成所の門を叩き、1953年の早瀬薫平(阪急時代は早瀬猛)以来、69年ぶり2人目のプロ野球からの転身を遂げた。
1走目に向けては「妻から『全て初めての経験。いろんなことを試してきな』と言われました。迷惑をかけないように走りたいけど、舟券に絡みたい気持ちが一番強いです」と静かに闘志を燃やす。自身のツイッターに多くのファンからメッセージが届いており、「ファンあってのスポーツ。感謝の気持ちで一走、一走、走りたい」と決意を新たにする。
注目のデビュー戦はオープニング1R。6号艇で登場する。大きな挫折を味わった苦労人が、舞台を変えて再び輝きを放つ。

西武の2015ドラフト指名選手 | |||
1位 | 多和田 真三郎 | 富士大 | 投手 |
2位 | 川越 誠司 | 北海学園大 | 外野手 |
3位 | 野田 昇吾 | 西濃運輸 | 投手 |
4位 | 大滝 愛斗 | 花咲徳栄高 | 外野手 |
5位 | 南川 忠亮 | JR四国 | 投手 |
6位 | 本田 圭佑 | 東北学院大 | 投手 |
7位 | 呉 念庭 | 第一工大 | 内野手 |
8位 | 国場 翼 | 第一工大 | 投手 |
9位 | 藤田 航生 | 弘前工高 | 投手 |
10位 | 松本 直晃 | 四国IL香川 | 投手 |
★プロ入り後の成績★ |
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