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あのドラフト選手は今・・・

あのドラフト選手は今、松本正志(ドラフト1位)

2016年12月27日

12/27、東京スポーツ4面「野球探偵の備忘録」より

1977阪急ドラフト1位 松本正志 
東洋大姫路高・投手・18歳

「3年生のときは甲子園に出れば全国制覇、優勝は確実と言われていた。相手は1年生ピッチャー。正直、勝って当たり前やろと思ってましたね。でも、決勝は独特な雰囲気。それが決勝特有の雰囲気なのか、坂本の人気によるものなのか。結局、どこかて意識していたのかもしれない」

77年夏の甲子園決勝、聖地はバンビフィーバーに沸いた。きゃしゃな体格と甘いマスク、東邦の1年生エース坂本は「バンビ」の愛称でもはやアイドル的存在。東洋大姫路はアウェーの試合を強いられた。

「それまで打たれたヒットは6本が最多」だった松本(1977阪急1位)だが、この試合では被安打10。それでも要所を締め、1―1の同点のまま試合は延長戦にもつれ込んだ。

10回裏、一死二塁のチャンスで打席に立った松本は敬遠。続く4番、主将で女房役だった安井が捉えた打球は、右翼ラッキーゾーンへ。夏の甲子園決勝では史上初となるサヨナラ本塁打。劇的な幕切れは2人のエースの人気を過熱させるには十分だった。

「坂本ばかりフィーチャーされていたけど、僕もそれなりにモテたんですよ。ファンレターが段ボール3箱ぐらい。なかには『あなたが憎い』とか真っ黒な便箋に『死ね』とか、不吉なファンレターも交じってましたけど(笑い)」

77年のドラフト会議で阪急に1位指名されて入団。プロ1年目から日本シリーズのマウンドにも上がった。だが、その後、伸び悩んだ。通算成績は1勝3敗、防御率6.83。プロ2年目の80年に挙げた1勝だけで87年に現役を引退した。

「いろんなコーチからいろんなことを聞いて、フォームが分からなくなってしまったというのもあります。でも、今の子はメジャーとか、プロに入ってからも夢があるでしょ。僕はプロになるのが夢で、そこが終着駅だった。目標を失っていたのかもしれない」。

引退後は打撃投手など裏方に転身し、球団に貢献。現在は用具担当を務めている。かつて夏の頂点を競った坂本氏も大学、社会人と結果を残せず現役を退いたが、2人の交流は今でも続く。

「3年ぐらい前かな、遠征で名古屋に行ったとき、森脇監督(当時オリックス監督)と坂本の3人で食事に行ったんですよ。森脇さんが僕より1つ下で、坂本は2つ下。それでアイツ、僕のところに先に料理を取り分けるんですよ。年はそうやけど、監督の方が先やろと(笑い)」

前身の阪急時代からのオリックスの栄光と低迷の歴史両方を知る、生き字引のような存在。

「選手時代を含めて今年で39年ですから、年上はいても僕より古参は一人もいない。入ってからの20年はBクラスになったのが1回くらいで、あとの20年はAクラスが1、2回(笑い)。僕がいる間に、もう1回、胴上げをして、優勝パレードをしてほしいですね」

甲子園決勝唯一のサヨナラ本塁打から40年。立場や場所は違えど、かつての優勝投手は今も日本一を夢に見る。



下は1977ドラフトで阪急が指名した選手です。松本正志は1位指名入団。プロでの成績はこちら

阪急の1977ドラフト指名選手
1位松本 正志東洋大姫路高投手
2位三浦 広之福島商高投手
3位米村 理奈良郡山高内野手
4位小林 晋哉神戸製鋼外野手
5位工藤 博義新日鉄八幡外野手
6位金本 誠吉本田技研鈴鹿投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 10:00|この記事のURL

あのドラフト選手は今、近田怜王(ドラフト3位)

2016年12月24日

12/24、東京スポーツ4面「野球探偵の備忘録」より

2008ソフトバンクドラフト3位 近田怜王
報徳学園高・投手・18歳

2012年シーズン限りでプロの舞台を去った元ソフトバンク・近田怜王氏(2008ソフトバンク3位)。報徳学園では1年時から本格派左腕として注目を集め、ドラフト3位で入団したが、わずか4年、22歳で戦力外。その後に活躍の場を求めたJR西日本でもすでにボールを置き、現在は同社の業務をこなす。

そんな近田氏が短かった野球人生の舞台裏を明かした。

「高1の秋が自分の中では一番良かった。あそこが僕の野球人生の頂点ですかね。プロで活躍はできなかったけど、恵まれた野球人生だったと思います」。2006年秋、怪物と呼ばれた1学年上の中田翔(現日本ハム)に本塁打を浴びながらも近畿大会で強豪・大阪桐蔭相手に1失点完投勝利。一躍、全国区になった。

だが07年、高2の夏に灼熱の甲子園のマウンドに調子を狂わされた。初戦の青森山田戦で熱中症を起こして7回途中降板。そのときはそれほど深刻ではなかったが、試合に敗れて、学校に戻った3日後の練習で突如意識を失った。

「医者からは目覚めなかったら植物状態だと言われたそうです。幸い3日間の入院で済んだんですが、そこからイップスになってしまって」

ボールを思ったところに投げられない。わずか5メートルでさえキャッチボールが届かない。一時はボールを握ることさえできなかった。そんな恐怖心を何とか克服して、08年の最後の夏は全国8強まで勝ち上がったが、一番良かったころの投球に戻ることはついになかった。

一度発症したイップスには、プロの世界に入った後も苦しめられた。ドラフト3位でソフトバンクに入団して、わずか4年で戦力外。3ヶ月前に野手転向を発表した矢先だった。

「覚悟はしていたし、驚きはなかった。4年で早いとか言われますけど、毎年戦力外になる人を見ていると、クビを切られるタイミングはなんとなくわかるんですよ。それに、これは本当に球団には申し訳ないんですが、野手転向は自分から言いだしたんです」

当時、戦力外を意識し、すでにセカンドキャリアを見据えていた。次に掲げた目標は指導者の道。そのための勉強として無理を言って野手のことを学ばせてもらったという。

「そろそろクビを切られるなと思ったとき、その前にちょっとでもプロの知識を吸収しておきたかった。バッティングはもちろん、守備や走塁の面でも、短い分、濃い内容を学ばせてもらいましたし、本当に感謝しているんです」

それでも「周りの声に後押しされて」トライアウトには臨んだが、結果を残せず、将来をにらんで大学進学を決意。その直後、JR西日本の後藤寿彦総監督から声をかけられた。

「本気で大学進学を考えていて難しい時期だったので悩みましたね。でも、拾ってもらえたのはありがたかった。22歳で、ちょうど入社する大卒と同い年。そういう意味でも、恵まれていたんだと思います」

選手としてプレーを続け都市対抗にも出場したが、15年に現役を引退。その後、ヒザと肩を手術すると長年の疲労によって、すでにボールを投げることさえできない状態になっていた。現在はJR三ノ宮駅のホームでの案内業務などをこなす。

「いずれはJR西日本の指導者になりたい。でも、社会人野球では、野球人である前に企業人。今は一旦、野球とは離れて(業務後は)資格勉強の毎日です。プロ野球選手のセカンドキャリアあっせん?。欲を言えばしたいですけど、将来、この会社で偉くなれたら、ですかね(笑い)」

早すぎた戦力外から4年。近田氏の第2の人生は、まだ始まったばかりだ。



下は2008ドラフトでソフトバンクが指名した選手です。近田怜王は3位指名入団。プロでの成績はこちら

ソフトバンクの2008ドラフト指名選手
×大田 泰示  
1位巽 真悟近畿大投手
2位立岡 宗一郎鎮西高内野手
3位近田 怜王報徳学園高投手
4位有馬 翔日南学園高投手
5位摂津 正JR東日本東北投手
6位金 無英四国九州IL福岡投手
7位鈴木 駿也山形中央高投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:07|この記事のURL

あのドラフト選手は今、高木豊(ドラフト3位)

2016年12月22日

週刊新潮 12月28日・1月5日新年特大号より

1980大洋ドラフト3位 高木豊
中央大・内野手・22歳

「往年の名選手」が水商売に手を出したと聞けば、頭をよぎるのは転落や困窮といった言葉である。だが、横浜大洋ホエールズのスーパーカートリオで鳴らした高木豊氏(1980大洋3位)に、そんな悲愴感は皆無。札幌が誇るネオン街にガールズバーを構え、そのコーチ術で黒字経営に導いていたのだ。

忘年会シーズン真っ只中の12月15日・・・。前夜からの大雪にもかかわらずすすきのは、大勢の酔客で溢れ返っていた。そんな歓楽街の雑居ビルにあるのが、高木氏が経営する「Second」だ。店名を聞いて「二塁手(セカンド)」として活躍した、彼の現役時代を思い出す野球ファンも少なくなかろう。

6席ほどのカウンターにボックスシートが3つ。20~30代の女の子が客を出迎える、いかにもガールズバーだ。1セット1時間で2500円と、地元の相場に照らして価格は良心的。そのせいか、午後9時を過ぎた頃から常連客が続々と来店し、まもなく満席となった。

それにしても、俊足好守のミートの名手は、なぜこの店を始めたのか。女の子に交じって笑顔で接客をこなし、ファンとの記念撮影にも気さくに応じる、高木氏ご本人に尋ねると

「これまでは解説や講演の仕事がメインでしたが、いつか飲食店を出したいと考えていたんです。もちろん、生活を安定させることも考慮してね。ただ、それ以上に野球ファンと触れ合う機会を作りたかった。それで、16年6月に店をオープンさせました。中大の後輩の阿部慎之助に、中田翔や森福允彦なんかも顔を出してくれます」

ちなみに、すすきので店を開いた理由については

「たまたま、すすきので何軒も飲食店を手掛けている経営者と出会ったのがきっかけです。僕は子供の頃に帯広に住んでいて、現役の最後は日本ハムファイターズだから北海道に縁もある。それに、失敗しても東京で勝負するよりは痛手が少ないだろう、と」



続きは本屋さんで・・・。430円です。

下は1980ドラフトで大洋(現DeNA)が指名した選手です。高木豊は3位指名され入団。プロでの成績は
こちら

大洋の1980ドラフト指名選手
1位広瀬 新太郎峰山高投手
2位堀井 恒雄大阪商大投手
3位高木 豊中央大内野手
4位市川 和正東海大捕手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:47|この記事のURL

あのドラフト選手は今、星野真澄(育成ドラフト1位)

2016年12月21日

12/21、スポーツ報知websiteより (source)

2009巨人(育成)ドラフト1位 星野真澄
BCリーグ信濃・投手・25歳

元プロ野球選手で巨人に在籍した星野真澄さん(2009育成1位)が20日放送のテレビ朝日系「中居正広のミになる図書館 今夜は特別編 2016年スポーツ総決算」(後11時15分)に出演し、引退後の生活を語った。

星野さんは2009年の育成ドラフト1位で巨人に入団し、1年目に支配下選手登録され、1勝を挙げたものの14年オフに戦力外通告を受け退団。現在はフィットネスクラブ「ゴールドジム」の店長をしていることが紹介された。「勤務して6割くらい掃除をしています」と器具の不具合のチェックも兼ねて掃除をする日々だ。

さらにサプリメントにはまり「サプリメントばかり調べている時がある。そっちの領域に踏み入れている。マニア、オタクですね」と現状を語った。

番組には夫人の侑奈さんと一緒に出演。戦力外通告の1か月後に無職で結婚式を挙げたことを紹介された。MCのSMAP・中居正広が「野球続けて欲しくなかったの?」と問いかけると、侑奈さんは「どこからか声がかかったら一人で行って」と当時を振り返って発言。

中居が「そばにいたいとかそういうのはないの?」の問いかけには「そうしちゃうと負担がかかるから」と応えた。やさしい夫人の気遣いに独身の中居は「奥さんっていいね」とつぶやいていた。



下は2009育成ドラフトで巨人が指名した選手です。星野真澄は1位指名され入団。プロでの成績はこちら

巨人の2009育成ドラフト指名選手
育1位星野 真澄BCリーグ信濃投手
育2位河野 元貴九州国際大付高捕手
育3位陽川 尚将金光大阪高内野手
育4位大立 恭平岡山商科大投手
育5位神田 直輝群馬大教育学部投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 08:28|この記事のURL

あのドラフト選手は今、今井圭吾(ドラフト2位)

12/21、サンケイスポーツ6面「絆トーク」より

1996日本ハムドラフト2位 今井圭吾
近畿大・投手・22歳

日本ハムの2軍施設(千葉・鎌ケ谷)で、近大の先輩でもある元日本ハム投手の今井圭吾さん(1996日ハム2位)と再会した。1996年のドラフト2位。記者の3学年上で大学時代は部屋長だった。

母校の野球部寮はほぼ全員が2人部屋で、今井さんは2段ベッドの下、私は上で寝ていた。絶対的エースで存在感は抜群。緊張して夜11時の消灯直前まで、部屋に戻ることができなかったことを思い出した。

今井さんは現在、故郷の愛媛で松山シニアの監督を務め、中学生を指導している。「子供たちが成長するのを見るのは本当に楽しい。いつかプロに送り込みたいんだ」。プロでは故障の連続で通算1勝に終わったが、第2の野球人生は充実していた。



下は1996ドラフトで日本ハムが指名した選手です。今井圭吾は2位指名され入団。プロでの成績はこちら

日本ハムの1996ドラフト指名選手
1位矢野 諭帝京五高投手
2位今井 圭吾近畿大投手
3位小笠原 道大NTT関東内野手
4位生駒 雅紀日立製作所投手
5位高橋 憲幸日本石油投手
6位村上 真哉ヨークベニマル投手
7位高橋 信二津山工高捕手
8位林田 堅吾アリゾナウエスタン短大投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 08:11|この記事のURL

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