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あのドラフト選手は今・・・

あのドラ1選手は今・・・トラック車内で寝ていた

2018年06月07日

スポニチwebsiteより (source)

1985南海ドラフト1位 西川佳明
法政大・投手・22歳

PL学園時代にチームをセンバツ初優勝に導き、南海にドラフト1位で指名された西川佳明さん(1985南海1位)が5日放送のテレビ東京「マジか!その後の人生 栄光を掴んだ天才達 今を大追跡SP」に出演。現在の暮らしを明かした。

西川さんは1年から名門野球部で活躍。3年生時には全5試合を完投し、PL学園をセンバツ初優勝に導いた天才投手だった。法大を経て南海にドラフト1位で入団。1年目から2桁勝利をマークするなど、プロでも活躍を見せた。

ところが、2年目から成績が下降。「高校大学とやってきて故障もあったし、ボロボロというか体のメンテナンスができていなかった」と巻き返すことができないまま戦力外通告を受けた。その後はプロゴルファーを目指しキャディーに転身したが、プロテストは不合格。35歳で配送会社に就職したが会社が倒産。離婚も経験した。

4度の転職を繰り返し、現在は運送会社でトラック運転手を行い生計を立てている。「トレーラーを停めるところがない」と狭い車内に巨体を横たわらせ就寝することが多いという。歩合制で月50万円ほどの収入があるそうだが、「しんどいっす・・・」と本音も。それでも再婚後、子宝にも恵まれて「今は幸せです」と笑顔も見せていた。



下は1985ドラフトで南海(現ソフトバンク)が指名した選手です。西川佳明は1位指名入団。プロでの成績はこちら

南海の1985ドラフト指名選手
1位西川 佳明法政大投手
2位中村 弘道北海道拓銀投手
3位広永 益隆徳島商高投手
4位西山 秀二上宮高捕手
5位坂田 和隆九州産大投手
6位安田 秀之享栄高外野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、岩下修一(ドラフト4位)

2018年06月02日

デイリースポーツwebsiteより (source)

1999オリックスドラフト4位 岩下修一
三菱自動車岡崎・投手

今では病気の影すら見当たらない。日本ハム・岩下修一打撃投手(1999オリックス4位)。17年前に急性骨髄性白血病を患いながら、驚異的な回復力で現役復帰。引退後もユニホームに袖を通し、グラウンドに立ち続けている。

「退院してからは、血液の異常も全くなかった。今は普通の人と全く変わりのない生活。もう何年前になるかな。病院に来なくていいと言われたしね」。

かつては治療困難とされていた白血病。今なお命に関わる深刻な病気であることに変わりはないが、医学の進歩で治療成績は着実に向上している。私にも白血病を患った家族がいるが、岩下打撃投手のような存在は同じ病と闘う人々にとって希望の光だ。

岩下打撃投手はオリックスで現役選手だった01年、白血病を患い、神戸市内の病院に入院した。風邪のような症状に加え、歯茎からの出血、目の充血もひどかったという。

約4カ月、過酷な抗がん剤治療を経験したが、「すぐに病院を出て野球がしたい」という一心で病室でもトレーニングに励み、翌年の開幕戦で復帰登板を果たした。06年に引退するまで、左の中継ぎとして98試合に登板。3勝0敗、防御率4.57の成績を残した。

白血病の治療法は化学療法や骨髄移植などさまざま。岩下打撃投手は抗がん剤の効きが良く、合併症などが出なかったことも早期回復につながった。ただ、入院中は深夜にストレッチャーが慌ただしく動く音が聞こえてきたり、患者がいたはずの病室が空室になっていたり、命の危険を感じる毎日を送っていたという。

「一日一日だった。5年後、10年後なんて考えられなかった」。大きな経験を乗り越え、今は家族にも恵まれ、野球人として充実した日々を送る。「毎日が楽しいよ。消えてここにいなかったかもしれない訳だから。この空間、この場所に自分が存在していることがうれしい」。

病気に対する恐怖心や不安はなくなった。ただ、「一日一日」という思いは消えない。「自分の最後が突然、くるかもしれない。だから、その日できることを精いっぱいやろうと思う。一球一球、できるだけいい球を投げたいね」。現役時代と変わらず、“一球入魂”の精神でチームを支えている。




下は1999ドラフトでオリックスが指名した選手です。4位指名入団・岩下修一のプロでの成績はこちら

オリックスの1999ドラフト指名選手
1位 山口 和男 三菱自動車岡崎 投手
2位 葛城 育郎 立命館大 外野手
3位 迎 祐一郎 伊万里商高 投手
4位 岩下 修一 三菱自動車岡崎 投手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、田上秀則(ドラフト3巡目)

2018年05月24日

5/24、西日本スポーツ24面より 

2001中日ドラフト3巡目 田上秀則
九州共立大・捕手・21歳

元福岡ソフトバンクの捕手で、ベストナインにも輝いた田上秀則氏(2001中日3巡目)が、今年2月1日付で、母校・大産大付高の野球部監督に就任した。「高校野球の指導をしたかった」と現役引退後の2016年、学生野球の指導資格を回復。05年の選抜大会以降、甲子園出場から遠ざかり、昨夏の大阪大会は初戦で敗退するなど低迷する母校の再建へ、OBの田上氏に白羽の矢が立った。

資格回復制度の導入後では、大阪府で初のNPB経験者の監督。その新たなる挑戦を追った。就任前の1月、田上監督は何度も母校のグラウンドに足を運んだ。教え子となる後輩たちの練習を観察するためだった。「感想としては、うーん・・・と思いました」。

打撃練習中、ぼんやりと外野で球拾いをする選手が目に留まった。ホークスなら、打撃練習と同時並行で、内野では走塁練習、バックネット前ではティー打撃が行われる。グラウンド内に空きスペースはなく、室内でも打撃練習の音が響き渡る。手持ち無沙汰の選手など、もちろんいない。

「東大に行く子は、勉強の仕方を分かっているじゃないですか。野球だって、練習の仕方が分かっているのといないとでは、全然違いますよね」

そこで就任後、部員58人をA、Bの2班に分けた。A班がメイングラウンドでノックを受けているとき、B班は室内で打撃練習。それを時間ごとに入れ替え、練習の効率を上げた。「ティー打撃一つにしても、こう打ってみたら? こっちから投げてみたら?と」。プロのコツも、少しずつ、注入している。

初采配となった今春の大阪府大会、開明との2回戦(初戦)は28-0で圧勝。続く3回戦は昨夏の大阪大会準優勝校の大冠に13-11で競り勝ち「選手の自信になる」。4回戦は刀根山に5-6で惜敗した。

初の夏へ向けて「全員が横一線」と田上監督は強調。力の伸び具合や練習態度を見る一方、AB間で選手の入れ替えを行いながら、府大会のベンチ入り20人を決める。競争原理の導入も現代っ子の気質に合わせた強化法の一つだ。

「僕らが高校の頃くらいまでですかね? 監督や先輩から厳しい指導を受けて『やれ』と言われたら、やっていたじゃないですか。でも今は、それでは、誰も付いてこない。僕らの時代が正しいとか、今が正しいとかではなく、理解をさせた上で、教えていかないといけないんです」

(以下略)



下は2001ドラフトで中日が指名した選手です。田上秀則は3巡目指名入団。プロでの成績はこちら

中日の2001ドラフト指名選手
自由枠 (行使せず)
自由枠(行使せず)
1巡目 前田 章宏 中京大中京高 捕手
2巡目(指名権なし)
3巡目田上 秀則九州共立大捕手
4巡目久本 祐一河合楽器投手
5巡目前田 新悟明治大内野手
6巡目山井 大介河合楽器投手
7巡目都築 克幸日大三高内野手
8巡目高橋 聡文高岡第一高投手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、玉野宏昌(ドラフト1位)

2018年05月23日

デイリースポーツwebsiteより (source)

1996西武ドラフト1位 玉野宏昌
神戸弘陵高・内野手・18歳

巨人へFA移籍した清原和博氏の背番号3を1996年に継承した西武のドラフト1位、玉野宏昌(1996西武1位)さんは今、保険の営業マンとして新宿を一望できる高層ビルで働いていた。今年2月、ソニー生命保険株式会社へと転職。3カ月間の研修を終えたばかりの玉野さんは、目を輝かせながら新天地での飛躍を誓った。

兄貴分の急死が転機となった。玉野さんと同じ年、ドラ2で入団したのが森慎二投手だった。新日鉄君津から入団した速球派右腕はメジャーリーグにも挑戦。その後、西武投手コーチを務めていた昨年6月、遠征先で体調を崩し、多臓器不全で亡くなった。一緒によく飲みに出掛け、「何でも相談できるお兄ちゃんみたいな存在でした」と突然の死に大きなショックを受けた。

玉野さんは森さんの死より以前、2つの国家資格を得ていた。1つは宅地建物取引士、もうひとつはファイナンシャルプランナー(FP)という、いずれも難易度の高いもの。宅建の合格率は15~16%しかない。

プロ野球界での宅建取得は玉野さんも「西武時代にお世話になったコーチの伊原(春樹)さんが持っていると聞いたことがありますけど、他にはいないのでは」という。前職の一般企業勤務時に金融や不動産に興味を持ち「宅建は4年前、FPの方は3年前に合格しました。平日は3時間、土日は5時間ぐらい毎日勉強していました」と振り返った。

森さんの死に直面し、「僕も結婚して子供がいるので死の価値観が変わって・・・。保険の知識を持っているので、何か人の役に立てるかなと思いました」とFPの資格を生かせる保険会社への転職を決意した。

高卒で入団した西武時代、華々しい活躍はできなかった。3年目の1999年に初めて1軍昇格したがわずか6試合の出場に止まった。3年間で結果を出せず、背番号も33に変更された。西武在籍の8年間の成績は123試合で260打数54安打、4本塁打、26打点、打率.208だった。

(以下略)



下は1996ドラフトで西武が指名した選手です。玉野宏昌は1位指名入団。プロでの成績はこちら

西武の1996ドラフト指名選手
1位玉野 宏昌神戸弘陵高内野手
2位森 慎二新日鉄君津投手
3位谷中 真ニ小西酒造投手
4位和田 一浩神戸製鋼捕手
5位馬渕 隆雄同朋大投手
6位青木 和義九州産業大外野手
7位古屋 剛新日鉄君津内野手
プロ入り後の成績


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あのドラフト選手は今、渡真利克則(ドラフト2位)

2018年05月20日

沖縄タイムスより (source)

1980阪神ドラフト2位 渡真利克則
興南高・内野手・18歳

1980年に夏の甲子園で8強入りした興南高の主軸で、184センチ、77キロ。強肩強打の大型三塁手としてドラフト2位で阪神に入団した。22歳から1軍の試合に出始めたが、ポジションを争うのは当時球界屈指の強打者の掛布雅之選手。出場機会に恵まれなかった。

その中でも85年は特別だった。10月16日のヤクルト戦延長十回裏、最後の打者の投ゴロが、途中出場で一塁を守っていた渡真利さんに渡ってセ・リーグ優勝を決めた瞬間は、猛虎ファンの脳裏に焼き付いている。日本一にもなり「野球人生で一番の宝」という思い出は、引退後も野球に携わるきっかけとなった。

92年にダイエー(現ソフトバンク)で現役引退。プロ通算成績は268試合で打率2割5分5厘、126安打、14本塁打だった。

30歳で審判になり、順調に経験を積んだ。心臓発作で倒れたのは、そろそろ日本シリーズなど大舞台を任されるかという時期だった。「一瞬だけ記憶がない。体は強いはずだったのに、まさか自分が」。すぐに意識を取り戻したが病院へ。手術を経て主治医からも復帰OKが出たものの、セ・リーグから審判員を辞めるよう促された。

約2カ月の静養後に同リーグ関西事務所で内勤に就き、慣れないパソコン業務で視力が落ちた。「デスクワークは向いていない」阪神園芸へ2010年に入社した。同社は昨年のクライマックスシリーズ(CS)第1ステージの阪神―DeNAで降雨後にできた水たまりをあっという間になくして注目を集めた、グラウンド整備のプロフェッショナル集団だ。

渡真利さんは整備第一課主任として20代の若手をまとめている。2軍の試合がある日は朝7時30分から整備を始めて本番を見守る。「土の状態は毎日違う。少しでもイレギュラーがあるとドキッとする」。元選手としての感覚を大事に、入念に土を踏み締める。

あと5年で60歳。体力と時間との勝負にも「好きでやっていることで、若い選手たちを間近で見ることができる。体が続く限り続けたいですね」。第3の野球人生を満喫している。



下は1980ドラフトで阪神が指名した選手です。渡真利克則は2位指名入団。プロでの成績はこちら

阪神の1980ドラフト指名選手
1位中田 良弘日産自動車投手
2位渡真利 克則興南高内野手
3位石橋 功行島根・大田高投手
4位山田 和英大阪商大投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:01|この記事のURL

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