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ドラフト入団選手の訃報

阪神のスカウトでも手腕、切通猛(ドラフト9位)が死去

2015年06月18日

6/18、日刊スポーツ4面より

1968阪急ドラフト9位 切通猛 
(東芝・外野手)

阪神は17日、外野手の他2軍トレーニングコーチやスコアラー、スカウトを歴任した切通猛氏(1968阪急9位)が6月15日に宝塚市内の病院で亡くなったと発表した。71歳だった。通夜、告別式は近親者ですでに執り行った。

兵庫県出身。姫路南、芝浦工大、東芝を経て68年ドラフト9位で阪急に入団。阪神に移籍した76年にウエスタン・リーグの本塁打王になり、出場試合数を増やした。実働10年で188試合に出場。打率.239、5本塁打。

スカウトとして関本や浜中(現阪神コーチ)を発掘した。浜中コーチは鳴尾浜で悲報に触れて「プロに入れていただいた恩人です。熱心に誘っていただいた。プロに入ってからも球場でたくさん話をさせてもらいました。僕と関本は一番お世話になっている。オヤジみたいな感じで、本当に感謝しています。残念です」と肩を落としていた。

温和な性格で、先輩、後輩を問わず誰からも慕われた。退団後は宝塚市内でスナックを切り盛りし、自らカウンターに立った。当時1軍監督の岡田彰氏ら阪神関係者が足繁く通う憩いの場となっていた。



下は1968ドラフトで阪急(現オリックス)が指名した選手です。切通猛は9位指名され入団。プロでの成績はこちら

阪急の1968ドラフト指名選手
1位山田 久志富士鉄釜石投手
2位加藤 秀司松下電器内野手
3位長谷部 優岸和田高投手
4位柳橋 明日大山形高投手
5位新井 良夫大宮高投手
6位島崎 基滋大分商高内野手
7位福本 豊松下電器外野手
8位柿本 進星林高内野手
9位切通 猛東芝外野手
10位三好 行夫日鉱佐賀関内野手
11位村上 義則小豆島高投手
12位門田 博光クラレ岡山外野手
13位石井 清一郎大宮工高外野手
14位鈴木 博小山高投手
15位坂出 直倉吉東高投手
プロ入り後の成績


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ドラフト1位入団、法政三羽ガラスの富田勝氏が死去

2015年05月27日

5/27、スポーツニッポン6面より

1968南海ドラフト1位 富田勝 
法政大・内野手・22歳

南海(現ソフトバンク)や巨人、日本ハムなどで活躍した、元プロ野球選手の富田勝氏(1968南海1位)が26日、大阪市の病院で死去した。享年68。

法大時代は田淵幸一(1968阪神1位)山本浩二(1968広島1位)の両氏とともに「法政三羽ガラス」と呼ばれるなどして活躍。同学年の明大・星野仙一氏(1968中日1位)らライバルとともに、東京六大学野球の黄金時代を支えた。プロでは4球団を渡り歩き、史上2人目の全球団本塁打を達成。ファンの記憶に深く刻まれた名選手が逝った。 

「法政三羽ガラス」の一人が、惜しまれながらこの世を去った。64年12月に兵庫・洲本で行われた法大野球部のセレクションで初めて出会ってから、半世紀以上にわたって堅い絆で結ばれてきた田淵氏は「あいつは本当の親友。病状を聞いて気になっていただけに本当に残念。言葉もない」と声を絞り出した。

富田さんは3年ほど前に体調を崩して入院。当時楽天監督だった星野氏と、同ヘッドコーチだった田淵氏が13年、大阪遠征の際に見舞うなどしていた。その時には元気な姿で「優勝、日本一、楽しみにしてるぞ」などと話していたという。

その後も入退院を繰り返していたが、ここにきて病状が悪化。それを伝え聞いた田淵、山本両氏が今月19日に見舞いに訪れ、病室で法政三羽ガラスが再会した。その際に富田さんは薬でもうろうとした状態ながら、2人が話しかけると目をあけてニコッと笑ったという。

それが最後の別れとなり、田淵氏は「(51年前に出会ってすぐに意気投合した。ガッツのある本当のファイターで、私が大学で主将の時も何度も助けてくれた」と個人の死を悼んだ。

法大ではリーグ屈指の三塁手として活躍。通算67試合で打率.302、8本塁打、43打点の成績を残し、ベストナインにも2度選ばれた。68年ドラフト1位で南海に入団して、プロ生活は69年から14年間。計4球団を渡り歩いた。

現役最後の球団は中日。81年8月26日の巨人戦では大学時代からのライバルである星野氏が先発した試合で、5回に右翼へ3号ソロ。「巨人戦で本塁打を打ちたい」が富田氏の口癖で、この一発で史上2人目のプロ野球全球団からの本塁打を記録した。オールドファンの記憶に鮮明に残る昭和の名プレーヤーだった。




下は1968ドラフトで南海(現ソフトバンク)が指名した選手です。富田勝は1位指名され入団。プロでの成績はこちら

南海の1968ドラフト指名選手
1位富田 勝法政大内野手
2位緒方 修巌木高投手
3位松井 優典星林高捕手
4位藤原 満近畿大内野手
5位松村 彰士御所工高内野手
6位前田 四郎高岡商高投手
7位西浦 秋夫日南工高外野手
8位東出 康博星林高内野手
9位鶴橋 鉄行焼津水産高投手
10位梅村 好彦龍谷大捕手
11位藤目 功治津田高投手
プロ入り後の成績



1968ドラフト会議の概要はこちら

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1972ドラフト3位選手が死去

2015年01月24日

1/24、日刊スポーツ6面より
近鉄、ヤクルトで投手として活躍した井本隆氏(1972近鉄3位)が、21日午後11時18分、すい臓がんのため千葉・松戸市内の病院で死去していたことが23日、分かった。64歳。24日午前8時から、松戸市五香1の1の21、「セレモニーホール江戸川会館」で近親者によるお別れの会を開く。喪主は篠原実子さん。

井本氏は高知県出身。伊野商、鐘淵化学を経て72年ドラフト3位で近鉄入団。右の本格派エースとして79年から2年連続15勝をマーク。近鉄のリーグ連覇に貢献した。79年日本シリーズ敢闘賞、83年に鈴木康二朗、柳原隆弘との交換トレードでヤクルトに移籍した。

84年限りで引退。通算320試合81勝75敗8セーブ、防御率4.08。近年は松戸ポニーリーグ総監督も務め、少年野球指導にあたっていた。昨夏、がんが発見され、入退院を繰り返していた。



下は1972ドラフトで近鉄が指名した選手です。井本隆は3位指名され入団。プロでの成績はこちら

近鉄の1972ドラフト指名選手
1位仲根 正広日大桜丘高投手
2位有田 修三新日鉄八幡捕手
3位井本 隆鐘淵化学投手
4位吉田 昌義天理高外野手
5位伊藤 文比古竜野実高投手
6位佐々木 正行初芝高外野手
7位高木 孝治日鉱日立投手
プロ入り後の成績


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1988中日ドラフト2位・大豊泰昭が死去

2015年01月20日

1/20、スポーツ報知4面より

1988中日ドラフト2位 大豊泰昭
中日球団職員・内野手・25歳

台湾出身で中日、阪神で活躍した大豊泰昭氏(1988中日2位)が18日午後10時41分、急性骨髄性白血病により名古屋市内の病院で死去した。19日、中日球団が発表した。51歳だった。1994年に本塁打と打点の2冠に輝くなど、並はずれたパワーでファンを魅了した。通夜、告別式は故人の遺志により、近親者のみの密葬で執り行う。喪主は妻・百合子さん。

病魔との長い闘いの末に逝った。185センチ、95キロの屈強な現役時代の姿からは見る影もない姿で、家族に見守られて静かに息を引き取った。最後まで古巣・中日のことを案じていたという。急性骨髄性白血病を発症したのは2009年3月。同8月に退院したが、翌年3月に再発。以降は入退院を繰り返していた。

台湾の英雄・王貞治さんに憧れて84年、20歳で来日。名古屋商科大を卒業後、日本人扱いで入団するため、中日職員として1年間の練習生生活を送った。25歳になった89年にドラフト2位で中日入団。王さんのシーズン本塁打記録にあやかった「55」の番号を背負うと、いきなり14本塁打の活躍。

00年まで12年連続で2ケタ本塁打をマークした。92年秋からは打法も、尊敬する王さんをまねた「一本足」に取り組んだ。94年には38本塁打、107打点で2冠王に輝き、同年の巨人との「10・8決戦」では4番を務めた。

97年オフに矢野輝弘捕手とともに関川浩一捕手、久慈照嘉内野手との交換トレードで阪神に移籍。00年オフに阪神に自由契約を申し入れ、01年に中日に4年ぶりに復帰。02年限りで現役を引退した。

引退後は中日のアジア地区担当スカウトとして、03年には現オリオールズのチェン・ウェインをスカウト。04年には名古屋市内で中華料理店「大豊飯店」を開業。11年には「大豊ちゃん」として岐阜・海津市に移転。体調が悪くなっても「同じ病に苦しむ患者さんの希望になりたい」と店頭に立ち続けた。

昨年春頃にはナゴヤ球場を訪れて、かつての僚友、山本昌らを激励。同郷の郭源治氏とも昨年秋頃まで連絡を取っていたというが、以降は闘病に専念していた。



下は1988ドラフトで中日が指名した選手です。大豊泰昭は2位指名され入団。プロでの成績はこちら

中日の1988ドラフト指名選手
1位今中 慎二大阪桐蔭高投手
2位大豊 泰昭中日球団職員内野手
3位山口 幸司大宮東高外野手
4位中嶋 治彦王子製紙苫小牧投手
5位酒井 忠晴修徳高内野手
6位清水 雅治三菱自動車川崎内野手
プロ入り後の成績


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あのドラ2選手は今、急死したドカベン香川

2014年09月27日

9/27、日刊スポーツwebsiteより (source)

1979南海ドラフト2位 香川伸行
浪商高・捕手

浪商(現・大体大浪商)、南海、ダイエーで活躍し「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行氏(1979南海2位)が26日午後、心筋梗塞のため福岡県朝倉市の甘木中央病院で急死した。52歳。徳島県出身。葬儀等の日程は未定。同県朝倉郡の自宅で倒れているところを家族が発見。救急搬送されたが帰らぬ人となった。

「ドカベン」が早すぎるゲームセットを迎えた。香川氏が福岡県朝倉郡の自宅で眠るように倒れているのを2人の娘が見つけたのは、午後4時ごろ。弘美夫人が救急車を呼び、朝倉市内の病院に運ばれたが、午後7時過ぎ、心筋梗塞のため帰らぬ人となった。弘美夫人は「突然のことで・・・」と言葉を詰まらせた。

香川氏は3年前から受けている人工透析治療をこの日も受け、自宅に戻っていた。野球をやめた後、腎不全などを患っていた。家族によれば昨年1月にも1度、心筋梗塞で倒れていた。その際は回復していたが、医師に「次、倒れたら危ないかも」と告げられていたという。

高校野球、プロ野球で活躍し、野球ファンから愛されたヒーローだった。大阪の名門浪商では牛島和彦(1979中日1位)とのバッテリーで3年春の甲子園(79年センバツ)で準優勝。夏の甲子園では3試合連続本塁打。太めの体形で強打の捕手だったことから、野球漫画の主人公にちなみ「ドカベン」のニックネームが当時から定着した。

79年ドラフト2位で南海入団。1年目の80年7月8日近鉄戦(日生)で、プロ初打席初本塁打。83年には夏場まで打率1位に立つなど急成長し、球宴初出場。最終的には規定打席不足ながら、3割1分3厘をマークしベストナインにも選ばれた。チームが福岡に移転した89年を最後に引退。野球評論家のほか、実業家としても活動していた。

北九州市から病院に駆けつけた長男英斗さんは遺体と対面し「いつものような顔で死んでいるようには思えない。生きているような顔でした」と話した。香川氏は毎年秋、関係者を招待してチャリティーゴルフを佐賀で開催していた。今年が20回目となる予定で、英斗さんに「今年で最後にする。来年からはお前がやれ」とバトンを渡す予定だった。あまりにも早い別れだった。



下は1979ドラフトで南海(現ソフトバンク)が指名した選手です。香川伸行は2位指名され入団。プロでの成績はこちら

南海の1979ドラフト指名選手
1位名取 和彦日産自動車投手
2位香川 伸行浪商高捕手
3位山内 孝徳電電九州投手
4位水谷 茂雄四日市工高投手
プロ入り後の成績



1979ドラフト会議の概要はこちら


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draftkaigi at 08:19|この記事のURL

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