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ドラフトのウラ話

イチローを発掘した名スカウト、自殺の真相(その8)

2017年07月25日

7/22、日刊ゲンダイ42面「球界への遺言」より 

1998オリックストドラフト1位 新垣渚
沖縄水産高・投手・18歳



編成部長の三輪田勝利が沖縄の賃貸マンションから身を投げて亡くなり、こちらから矢野清管理部長以下、数人が現地に足を運んだ。その中のひとり、あれはスカウトの流敏晴の話だったと思う。彼らが地元の警察に挨拶に行ったとき、三輪田の遺体はまだ、署内にあった。若い事件担当の警察官が上司に対して、盛んにこう言ったそうだ。

「これは事件ですから、解剖にしましょう」。三輪田が賃貸マンションから身を投げた一件は当時、新聞やテレビが大事件として大々的に報じていた。「事件」なら解剖に出すべきだという若手警察官の言い分は理解できる。しかし、彼の上司は、取りつく島もなかったという。「いいんだ、いいんだ。これは自殺だ。ハッキリしているのだから、解剖なんか必要ない」

彼らのやりとりを目の前で聞いていた流も不自然に感じたようで、警察官の上司の態度は、むしろ解剖をさせまいとしているように受け取れたという。

それと、わたしが見たわけではないが、ウチの何人かは三輪田が身を投げた直後、現場を見ている。スカウトのだれが言ったのか失念したが、飛び降りたマンションの壁には、ガーッという、ものすごい引っかき傷が残っていたそうだ。覚悟を決めて飛び降りたとすれば、果たして、そんな引っかき傷がつくだろうか。あるいは、だれかに突き落とされたのか。だから、ひどい傷がついたのか。

三輪田はくだんの賃貸マンションの存在すら、当初は知らなかったと思う。裏金によって重い扉は完全に開いたはずなのに、交渉の数時間前に身を投げるということ自体、そもそも、わたしには信じられなかった。加えて繁華街のホテル、妙な賃貸マンション、警察官の上司の発言、賃貸マンションに残された壁の引っかき傷・・・おかしなことがたくさんある。

ともあれ、三輪田の死は自殺と断定され、翌99年、労災と認定されたのは、残された家族のことを思えば救いだった。三輪田には奥さんと2人の娘さんたちがいた。結果として部下である三輪田を死なせてしまったことについて、球団であり、わたしの責任は重い。

沖縄水産の栽監督、現地で事後処理をした矢野管理部長、警察官のやりとりを聞いていた流スカウト・・・当時の関係者の多くがすでに鬼籍に入った今となっては、事件の真相にたどり着けるはずもなく、頭の中では今も疑問符が渦巻いている。三輪田の最後の気持ちを酌んでやることができないままでいるのは、彼に対して申し訳ない思いでいっぱいだ。



上の記事はオリックス・元球団代表の井箟重慶氏が書かれたものです。

下は1998ドラフトでオリックスが指名した選手です。新垣渚は1位指名されるも入団拒否しました。

オリックスの1998ドラフト指名選手
1位新垣 渚沖縄水産高投手
2位川越 英隆日産自動車投手
3位相川 良太東海大内野手
4位木村 昌広日立製作所投手
5位徳元 敏東農大生産学部投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:06|この記事のURL

イチローを発掘した名スカウト、自殺の真相(その7)

2017年07月24日

7/21、日刊ゲンダイ27面「球界への遺言」より 

1998オリックストドラフト1位 新垣渚
沖縄水産高・投手・18歳



沖縄に事後処理に出掛けた管理部長の矢野清によれば、三輪田勝利編成部長は賃貸マンションから身を投げる前、那覇の繁華街のど真ん中にあるホテルに行ったらしい。そこまで三輪田を乗せたというタクシー運転手の話が本当だとすればだ。

そのホテルはいかにも裏社会の連中が出入りしそうな、汚くて、とてもじゃないがフツーの旅行者が抵抗なく飛び込めるような場所ではなかったという。三輪田の泊まっていたワシントンホテルから見て、そのホテルは、身を投げた賃貸マンションとは正反対の方角にある。

三輪田は山本公士スカウトにも内緒で、なぜ、そんな訳のわからないホテルに行かなければならなかったのか。裏金の5000万円によって話はほとんどついていたのだ。ここから先はわたしの想像だ。三輪田は得体の知れないホテルに呼び出され、そこで脅されたのではないか。

5000万円の要求をあっさりのんだわけだから、もうちょっと上乗せしろと。1000万円か2000万円か、あるいはもっとなのか。いずれにせよ、新たな要求をされたと思うのだ。

三輪田は5000万円でも、エラいことだと言っていた。「会社に迷惑をかけて申し訳ない。自分は辞めなければならない。もう交渉はやめましょう」と、一時は切羽詰まった口調だった。そういう三輪田をなだめ、わたしが責任を持つから5000万円の要求に応じるように指示したのだ。仮に5000万円にさらなる裏金を上積みされたら、三輪田はこれ以上のことはもう、自分にはできないと思ったのではないか。

自殺した賃貸マンションにしても、おかしな場所だった。わたしも実際に足を運んでみたら、三輪田が飛び降りたといわれている最上階の11階は、ほとんど一般人の住居ではなく、事務所になっていた。玄関の表札は、なんとか興業といった怪しい会社の名前ばかり。不思議なマンションだと思った。

勘繰れば、裏社会の連中がかかわって、繁華街の得体の知れないホテルでいったん三輪田を脅し、うまくいかずに自分たちのテリトリーに連れて行って、そこでもう一度、交渉をしたのか、あるいは、そこから突き落としたのか。

彼が本当に自分の意思で身を投げたのならともかく、脅されたり、何かをされたとすれば、人目の多い繁華街のホテルというのは場所として不自然だ。それで彼らの地場に引きずり込まれ、再び脅されて身を投げたのか。

三輪田はなぜ、繁華街の怪しげなホテルや、最上階にフツーの人が住んでいないような賃貸マンションに行ったのか。身を投げたのならなぜ、そのマンションなのか。死を選ぶにしても、他にいくらでも方法があったと思うのだ。他にも解せないことはあった。(つづく)



上の記事はオリックス・元球団代表の井箟重慶氏が書かれたものです。

下は1998ドラフトでオリックスが指名した選手です。新垣渚は1位指名されるも入団拒否しました。

オリックスの1998ドラフト指名選手
1位新垣 渚沖縄水産高投手
2位川越 英隆日産自動車投手
3位相川 良太東海大内野手
4位木村 昌広日立製作所投手
5位徳元 敏東農大生産学部投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:52|この記事のURL

イチローを発掘した名スカウト、自殺の真相(その6)

2017年07月22日

7/20、日刊ゲンダイ31面「球界への遺言」より 

1998オリックストドラフト1位 新垣渚
沖縄水産高・投手・18歳



なぜ、どうして・・・いったい、何があったのか・・・。1998年11月27日午後、三輪田勝利編成部長が沖縄の賃貸マンションから身を投げたと聞いた瞬間、驚きと、悲嘆と、落胆と、疑念が頭の中で交錯した。

1週間前のドラフトで「ダイエー以外は進学」の沖縄水産高・新垣渚を指名。当初、栽弘義監督は三輪田に会うことを避けていたが、5000万円の裏金で軟化。三輪田は栽監督から「新垣を取ってくれ」とまで言われ、当日は夕方6時に山本公士スカウトと新垣の実家を訪れる予定だった。「これで新垣は取れますよね」と言った三輪田の声は明らかに弾んでいた。

それから24時間もしないうちに、しかも交渉を前に、なぜ、自ら死を選ばなければならなかったのか。

三輪田は那覇市内のワシントンホテルに宿泊していた。山本によれば、当日は午前中に2人で朝食を取り、午後から現地に向かう予定だったという。三輪田は山本にこう言ったそうだ。「何か手土産を持っていかなければならないので、用意しておいてください。自分は(手持ちが少ないので)、ちょっと銀行に行って、カネを下ろしてきます。1時にホテルのロビーで待ち合わせましょう」

ところが、約束の午後1時を過ぎても、三輪田は現れない。おかしいと思っていたら、身を投げていたという。一緒に朝食を取った山本は、三輪田に特に変わった様子はなかったと言った。だとすれば、山本と別れてからの数時間に、いったい、何があったのか。

三輪田が亡くなって数日後、管理部長だった矢野清を沖縄へ行かせた。「悪いけど、現地へ行って、後始末をしてきてくれ。いろいろと迷惑をかけたわけだから」。役所や警察などを回って挨拶とお詫びをしてきた彼が、戻るなりこう言った。

「代表、向こうでおかしな話を聞いたんですよ」。おかしな話?。「タクシーで方々を回ったら、夕方、運転手が『きょういろいろなところに行かれましたけど、オリックスの方ですよね?』と。そうだと答えると、『実は三輪田スカウトが亡くなった日、自分は彼をタクシーに乗せた』と言うんです」

聞けば、その運転手は当日の昼ごろ、ワシントンホテルから三輪田スカウトを乗せ、身を投げた賃貸マンションとは別のあるホテルに案内したという。で、矢野が実際に足を運んでみたそのホテルは、那覇の繁華街のど真ん中にあった。薄汚れていて、どちらかといえば、いかがわしい感じ、フツーの旅行者がポンと飛び込めるようなホテルではなかったとか。運転手によれば、三輪田をそのホテルまで連れて行き、そこで降ろしたのは間違いないという。(つづく)



上の記事はオリックス・元球団代表の井箟重慶氏が書かれたものです。

下は1998ドラフトでオリックスが指名した選手です。新垣渚は1位指名されるも入団拒否しました。

オリックスの1998ドラフト指名選手
1位新垣 渚沖縄水産高投手
2位川越 英隆日産自動車投手
3位相川 良太東海大内野手
4位木村 昌広日立製作所投手
5位徳元 敏東農大生産学部投手
プロ入り後の成績


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イチローを発掘した名スカウト、自殺の真相(その5)

2017年07月21日

7/19、日刊ゲンダイ31面「球界への遺言」より 

1998オリックストドラフト1位 新垣渚
沖縄水産高・投手・18歳



「いや~、栽監督はヒドいですよ」。1998年11月26日の夕方、電話をかけてきた三輪田勝利の第一声がこれだった。20日のドラフト会議で「ダイエー以外なら進学」の新垣渚投手(沖縄水産高)を1位指名。交渉役で編成部長の三輪田は現地へ飛んだが、本人はもちろん、沖縄水産高野球部の栽弘義監督に会うことすらできない。

栽監督の知人から持ち掛けられた裏金5000万円の要求をのむと伝え、ようやく会えることに。栽監督と話をしてきた三輪田は堰を切ったようにこう続けた。

「だって代表、僕はここに1週間いて、話をするどころか、会うことすらかなわなかったんですよ。それがきょう、グラウンドに行って、タクシーから降りるなり、監督の方から僕の方に近づいてきたんですから」。これまでグラウンドにいながら顔も見せなかった栽監督が、自分から挨拶に出向いてきたというのだ。三輪田があきれたのは無理もない。こちらが裏金の要求に応じたとたん、態度が豹変したのだから。

三輪田の話は続く。「三輪田君、君はすごいね。早稲田ってのは、すごい力を持ってるね。僕はこの3日間、早稲田のOBからものすごく責められたよ。三輪田をこれ以上、困らせるなってね。僕はもう、どうしようもない。早稲田に負けたよ。新垣を取ってくれと、栽監督はこういう言い方をするんですから」

なにはともあれ、とりあえず、道は開けた。「そうか、良かったやないか。結局、カネが効いたんやないか」、「会社には迷惑をかけることになりますけど、これで新垣は取れますよね?」。新垣獲得に関して確信にも似た感触が生じたのだろう。三輪田の声は弾んでいた。

「栽監督は、早稲田のOBに迷惑をかけるといかんから、僕が全部、新垣に会う段取りをする、三輪田君、あすには会えるからもう心配するなと、こうですよ」、「それは良かったやないか。あした、すぐに会え!」

聞けば、翌27日夕方6時に自宅で本人と両親に会う段取りになっているという。こちらからは三輪田と九州担当スカウトの山本公士の2人が出向くことになった。三輪田とは、新垣家への手土産は何にしたらよいかといった話もした。

栽監督が「新垣を取ってくれ」と言っている以上、何も心配することはない。我々にとっては万々歳じゃないかと、そんな会話もあった。三輪田の声のトーンは明らかに明るかった。しかし、三輪田との会話はこれが最後になった。(つづく)



上の記事はオリックス・元球団代表の井箟重慶氏が書かれたものです。

下は10年前(2007年)の日刊サイゾーの記事ですが、本当の話だったんですね。

「アマチュア球界・プロ野球界は裏金で成り立ってきた過去がある。特に名将といわれる監督ほど黒い噂は絶えない。5月に逝去した沖縄水産高校の栽弘義監督が、沖縄本島に栽御殿と呼ばれる豪邸を建てたのは有名な話」。スポーツ紙記者がそう語るように、西武ライオンズのスカウト活動に伴う不正行為に端を発したアマチュア球界の裏金問題。(以下略)



下は1998ドラフトでオリックスが指名した選手です。新垣渚は1位指名されるも入団拒否しました。

オリックスの1998ドラフト指名選手
1位新垣 渚沖縄水産高投手
2位川越 英隆日産自動車投手
3位相川 良太東海大内野手
4位木村 昌広日立製作所投手
5位徳元 敏東農大生産学部投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:06|この記事のURL

イチローを発掘した名スカウト、自殺の真相(その4)

2017年07月20日

7/15、日刊ゲンダイ43面「球界への遺言」より 

1998オリックストドラフト1位 新垣渚
沖縄水産高・投手・18歳



「何を言っているんだ! ここまできて、降りられるか! 5000万円だろうと、1億円だろうと、カネについてはオレが責任をもつから、いくぞ。カネで解決するのなら、いくらでもええやないか。ウチは引っ込むわけにはいかない」。わたしは交渉の打ち切りを訴えてきた三輪田勝利編成部長にこう言った。

1998年のドラフト会議でオリックスは「ダイエー入り以外は進学」の沖縄水産高・新垣渚投手を1位指名した。翌日、担当の三輪田が沖縄に飛んだが、新垣サイドはかたくなだった。沖縄水産高野球部監督の栽弘義を突破口にしようとしたものの、彼も頑として三輪田に会おうとしない。

そのうち栽監督と親しいという沖縄の人物が交渉に入ってきて、5000万円の裏金を要求された。三輪田は裏金で5000万円なんてとんでもない、会社にそんな大金を使わせるわけにはいかないと考えていた。

「いや、もう、代表、それはやめましょう。5000万円といったら、実際は税金も入れて1億円を払うんですよ。僕はね、会社に1億円も使わせるわけにいきませんよ。いいです、僕が責任を取りますから、この話はなかったことにしましょう」

辞任まで示唆して切羽詰まった様子の三輪田をなだめ、カネのことは自分がなんとかするから要求をのむよう説得した。カネで片が付く、突破口が開けるならいくべきだと判断したものの、三輪田は執拗だった。「うぉー、僕はそんなカネを会社に使わせるわけにいかんのです」、「いや、いいんだ。カネはオレが何とかする」

そんなやりとりが続いてようやく、三輪田は納得したようだった。「本当にいいんですね? それなら裏金を払うと返事をします」。ドラフト会議から5日後、11月25日のことだ。

翌26日、朝一番で三輪田から電話がかかってきた。「栽監督に会えることになりました!」。声が心持ち、弾んでいる。「どうしたんや」、「きのう代表に言われた通り、ウチはカネを払うと。裏金で5000万円を払うと言ったのです。そうしたら先ほど、返事がきて、きょう栽監督が会うと言ってくれました」

「よかったじゃないか、カネで解決したんやないか」、「そうですね。とにかく、きょう、僕はグラウンドに行ってきますから」。税金を含め1億円の裏金で、これまでビクともしなかった重い扉が開いた。暗闇の中で出口も見えず、もがいていた私たちに、ついに光が差し込んだと思った。三輪田から再び連絡が入ったのは、その日の夕方だった。 (つづく)



上の記事はオリックス・元球団代表の井箟重慶氏が書かれたものです。

下は1998ドラフトでオリックスが指名した選手です。新垣渚は1位指名されるも入団拒否しました。

オリックスの1998ドラフト指名選手
1位新垣 渚沖縄水産高投手
2位川越 英隆日産自動車投手
3位相川 良太東海大内野手
4位木村 昌広日立製作所投手
5位徳元 敏東農大生産学部投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:05|この記事のURL

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