ドラフト会議情報局 2019高校生ドラフト候補 2019大学生ドラフト候補 2019社会人ドラフト候補
2019ドラフト指名予想 スカウト評価 12球団ドラフト情報まとめ ホームにもどる
オリックス

岸田護(オリックス)、第二の人生は2軍投手コーチ

2019年12月02日

12/2、スポーツニッポン4面より

2005オリックス大・社ドラフト3巡目 岸田護
NTT西日本・投手


引退会見に臨んだオリックス・岸田(2005ドラフト3巡目)の表情はすがすがしかった。「今の率直な心境としてはすっきりしています。悔いがないかといえばゼロではないですが、やりきったという気持ちがあります」。オリックス一筋でプレーした14年間は濃密な時間だった。  

NTT西日本から05年の大学・社会人ドラフト3巡目で入団。球速以上に伸びのある直球を武器に2年目の07年から1軍に定着すると、チームを支える象徴的な存在となった。09年には先発として10勝をマーク。11年には守護神として33セーブを挙げ、優勝争いを演じた14年は中継ぎとして55試合に登板し、4勝12ホールド。

あらゆるポジションで仕事を果たした。だからこそケガにも泣いた。引退の原因も蓄積した疲労からくる負傷だった。

今季、春季キャンプ中に腰痛を発症した。元々、首を傾ける独特の投球フォーム。直球を生かすために行き着いたフォームが腰への負担を大きくし、やがて痛みは首や内転筋にも広がり、フォーム改善を余儀なくされた。夏場まで2軍戦でも投げられず、ブルペンで試行錯誤する苦しい日々。

それでも腐らず、諦めず「ただただ、もう一度、良い球を投げたい」と練習し続けた姿に若手も感化された。選手全員が見守った引退試合のスピーチは感動を呼んだ。

「これからオリックスは強くなります。長い長いトンネルを抜けようとしています。絶対に強くなります。これからのオリックスは面白いです。その先、頂点へ導いてくれるのはいつも熱い声援を送ってくれるファンの皆さんです。ファンの皆さんが、このチームを優勝させます。選手は応えます。これからも末永くオリックスをよろしくお願いします」

後悔があるとすれば「優勝できなかったこと」。その夢は後輩に託した。今は後輩の背中を押すべく、秋季キャンプからは2軍投手コーチとして指導に当たっている。「今の若い選手は、入ってきた頃から今の僕よりも上にいるので、逆に勉強させてもらったことが多い」。教えるというよりも、自らも学ぶ姿勢で選手に寄り添う。そして、同じ夢を追う。



下は2005大学・社会人ドラフトでオリックスが指名した選手です。岸田護は3巡目指名入団。プロ入り後の成績はこちら

オリックスの2005大・社ドラフト指名選手
希望枠平野 佳寿京都産業大投手
1巡目指名権なし
2巡目指名権なし
3巡目岸田 護NTT西日本投手
4巡目森山 周ヤマハ内野手
5巡目中山 慎也JR東海投手
6巡目妹尾 軒作一光投手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 10:20|この記事のURL

岡崎大輔(オリックス戦力外)、育成で再契約

2019年11月29日

日刊スポーツwebsiteより (source)

2016オリックスドラフト3位 岡崎大輔
花咲徳栄高・遊撃手・動画

オリックスを戦力外になった岡崎大輔内野手(2016ドラフト3位)が28日、大阪・舞洲で新たに育成選手契約を結んだ。年俸は今季から50万円ダウンの560万円でサインした。来季からは背番号が「120」に変更される。

「育成契約のお話を頂いたときはうれしさがあった。結果で恩返しがしたい。背番号は3桁になるが、やることは変わらない」。プロ1年目の17年に1軍戦5試合に出場したが、その後は出番がなかった。「球団が思っているよりもレベルアップできていない。その自覚はあった。それが今の結果。もう1度支配下を勝ち取っていきたい」。

守備面に意識を置いた結果、打撃面で成績が残せなかった。「良い意味でターニングポイント。勝負の1年にしたい。もう1年、野球ができる有り難みがある」。

考えた秘策である逆転の発想も明らかにした。守備9で打撃1の3年間だった。「打撃9で守備1の1年間にしても面白いかなと。思い切って3割5分打つ。バッティングを磨こうと思います」。自らの現在地を見つめ直す機会になった。

来季は育成8選手が新たに加入してくる。「競争が激しくなる。(内外野問わず)準備力を鍛えていきたい。まだ寮に住むので、舞洲を思う存分に使いたい。全ての面でレベルアップがしたい」。21歳と、まだ若い。己を信じて、早期の支配下復帰を目指し奮闘する。



下は2016ドラフトでオリックスが指名した選手です。3位・岡崎君のスカウト評はこちら

オリックスの2016ドラフト指名選手
1位 山岡 泰輔 東京ガス 投手
2位 黒木 優太 立正大 投手
3位 岡崎 大輔 花咲徳栄高 内野手
4位 山本 由伸 都城高 投手
5位 小林 慶祐 日本生命 投手
6位 山崎 颯一郎 敦賀気比高 投手
7位 飯田 大祐 ホンダ鈴鹿 捕手
8位 沢田 圭佑 立教大 投手
9位 根本 薫 霞ケ浦高 外野手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:00|この記事のURL

オリックス3位・村西良太、スカウト「将来性豊か」

2019年11月27日

リアルライブより (source)

2019オリックスドラフト3位 村西良太
近畿大・投手・動画

オリックスは26日、ドラフト3位で指名した近畿大学の村西良太投手(動画)と大阪市内のホテルで仮契約を締結した。背番号は「22」。

仮契約後、古屋英夫編成部副部長とともに会見に臨んだ村西は「仮契約を終えて実感がわいてきましたし、地元関西の球団であるオリックスと契約させていただいて、本当にうれしいです。自分の持ち味はストレートだと思っているので、プロの世界でも思い切って投げ込んでいきたいと思います。来年の入寮に向けてしっかりと練習を積んで、まずは開幕一軍を目指して頑張っていきます!」と語り、まずは開幕一軍を目標にすることを明らかにした。

担当の内匠政博スカウトは「サイドハンドからのMAX148キロの力のあるストレートは魅力十分。多彩な変化球を操り、特にカットボールのキレ味は抜群。将来性も豊かで、さらなるレベルアップにも期待できる投手」と村西を評価していた。

大学生活の後半は152キロを記録するなど、ベテランの比嘉幹貴に続くサイドスローの右腕として、即戦力となる可能性を大いに秘めている。本人も話しているように持ち味はストレートだが、スライダーやスピリットにも定評があり、三振率も高い。制球力も安定しており、今年不安定だった中継ぎに回っても面白そうだ。

背番号「22」は、オリックスでは捕手のイメージが強い番号だが、他球団では球界を代表する数々の名投手が背負ってきた番号としても知られている。村西が新たな「22」の歴史を刻んでくれることを期待したい。兵庫県出身で、兵庫の津名高校、近畿大学を経て、関西の球団であるオリックスに入団と、関西ひと筋の野球人生。村西は最高の環境で、プロ生活を迎える。



村西君のスカウト評はこちら

村西君のピッチング動画はこちら


draftkaigi at 07:03|この記事のURL

岩本輝(オリックス戦力外)、現役引退を表明

2019年11月24日

デイリースポーツwebsiteより (source)

2010阪神ドラフト4位 岩本輝 
南陽工高・投手

オリックスから戦力外通告を受けていた岩本輝投手(2010阪神4位)が23日、インスタグラムで現役引退を発表した。12日に大阪市の大阪シティ信用金庫スタジアムで開催された12球団合同トライアウトに参加していたが、他球団から声がかからなかったようだ。

インスタグラムには「今回の戦力外通告を受けて野球を引退することに決めました。プロ野球選手にしてくれた阪神タイガース、再びチャンスをくれたオリックスバファローズ本当に本当に感謝しています。上手くいくことよりも上手くいかないことの方がほとんどでしたけど少しでも憧れられたり感動を与えられることができていれば幸いです」とつづった。

阪神、BCリーグ・福井、オリックスに在籍し「そこで出会った先輩、後輩、同級生、最高な人たちばかりでした。ありがとうございました」と感謝した。

10年度のドラフト4位で阪神に入団。阪神で通算4勝を挙げたが、16年に戦力外通告を受け、17年から福井に在籍。18年7月にオリックスと契約し、NPBに復帰した。同年8月4日・ソフトバンク戦で勝利投手にもなった。今季は0勝2敗、防御率14.73でオフに戦力外通告を受けた。

広島で炎のストッパーとして君臨、32歳の若さで脳腫瘍のため逝去した伝説の津田恒美(登録名・恒実)さんと同じ南陽工出身で、津田さんをほうふつさせる150キロの直球が持ち味の岩本は、「津田二世」と言われたが、NPB通算で5勝6敗、防御率4.05だった。



下は2010ドラフトで阪神が指名した選手です。岩本輝は4位指名され入団。プロ入り後の成績はこちら


阪神の2010ドラフト指名選手
1位 榎田 大樹 東京ガス 投手
2位 一二三 慎太 東海大相模高 投手
3位 中谷 将大 福岡工大城東高 捕手
4位 岩本 輝 南陽工高 投手
5位 荒木 郁也 明治大 外野手
プロ入り後の成績


draftkaigi at 07:00|この記事のURL

ドラフト選手の家庭の事情、宮城大弥(興南)

2019年11月23日

 11/23、日刊ゲンダイ41面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2019オリックスドラフト1位 宮城大弥
興南高・投手・動画

沖縄南部の南風原出身の父・享さん(52)は、中学3年の時、交通事故で左腕の神経を損傷したため、今も自由が利かない。小さいころから腕力や体力には自信があり、中学時代は野球をやっていた。推薦入試で福岡の高校に合格していたが、事故で進学を断念、野球を諦めざるを得なくなった。

それから1年間の浪人生活を経て、地元の定時制高校へ入学。右手1本で、定時制のバドミントンの大会で優勝したこともある。そんな享さんは、もう一つの夢を追いかけた。高校卒業後、コツコツと貯めたお金で一念発起し、単身渡米した。沖縄とロサンゼルスの往復航空運賃は当時、43万円ほどだったという。

「米国で映画関係の仕事をしたかった」と話す享さんはロスに到着するや、空港で帰りのチケットをゴミ箱に捨てた。手持ちはたったの5万円。親類が営んでいたコーヒーショップでアルバイトをしながら、仕事を探した。

そんな折、コロンビア放送(現CBSテレビ)内にメーキャップの養成所があることを知り、入学した。7週間の講義を2度受け、講師として雇ってもらった。授業の傍ら、生徒集めも手伝った。ビューティーショーにも関わり、軌道に乗ってきたかと思われたが、27歳のときに実父が他界。家族のことを考え、帰国することを決断した。1994年のことである。

しかし、帰国後は左腕の後遺症もあって、なかなか定職に就くことが難しかった。そんなある日、ふと通りかかった宝くじショップで、いくらかナンバーズを買った。1点200円を5点で計1000円。あくまで気休めで、特に数字を考えて買ったわけではなかったが、なんと1等180万円を的中させたのだ。

図らずも大金を手に入れた享さん。一瞬、遊びへの誘惑に駆られるも、こう考え直したという。「これはあぶく銭だ。飲み食いして使い果たすくらいなら、人に貸してみよう」

迷ったら前に出る。享さんは、当せん金を元手に貸金業を立ち上げた。自営業者を中心に取引し事業は軌道に乗った。那覇市内に飲食店や沖縄拳法空手道の道場を開設するなど、事業を広げた。「でも、良いときは長くは続きませんでした」と、享さんは言う。

2000年代に入り日本の景気は底を打った。貸したお金が徐々に焦げ付き始め、会社が倒産に追い込まれてしまった。「2001年に大弥が誕生し、4歳下の妹が生まれたばかりでした。さすがに心が折れそうになりました」(享さん)。

今はレンタカー会社に勤める傍ら、興南高校野球部の寮監も務めているが、大弥が高校に入るまでは、苦しい生活が続いたという。享さんが振り返る。

「家族には本当に苦労をかけました。大弥が小学3年から中学3年になるまで6畳一間で暮らしていました。場所を取る冷蔵庫はベランダに置くような生活環境で、水道が止まったこともあります。大弥は中学に入って硬式野球を始めたのに、軟式用のグラブしか買い与えてやれなかった。中学3年時にU15日本代表に選ばれ、福島で行われた試合の遠征に行く際は、家に5000円しかなく、小遣いを3000円しか渡せなかった。すると大弥はこう言ったんです。『あっちにいけば、食べる物があるんでしょ? お金はなくても大丈夫だよ』って」

どんな状況でも、好きな野球に熱中し続けた息子が晴れてプロ入りをする。享さんはこんな覚悟を口にした。

「私にできることがあれば、何でもやってやりたい。もし万が一、(左腕の)大弥が肩や肘をケガするようなことがあれば私の左腕を使ってほしい。私は片手で十分。靱帯や腱、骨が使えるというなら、いくらでも使ってくれて構いません」



宮城君のスカウト評はこちら

宮城君のピッチング動画はこちら


draftkaigi at 07:05|この記事のURL


ドラフトニュース検索