ドラフト会議情報局 2024高校生ドラフト候補 2024大学生ドラフト候補 2024社会人ドラフト候補
2024ドラフト全指名選手 スカウト評価 ドラフト候補の動画 ホームにもどる

仲田慶介(ソフトB戦力外)、西武と育成契約

2024年11月25日

11/25、スポーツニッポン4面より 

2021ソフトバンク育成14位 仲田慶介
福岡大・外野手・スカウト評

西武は24日、今オフにソフトバンクを戦力外となっていた仲田慶介内野手と23日に育成選手契約を結んだと発表した。背番号は140で年俸700万円。

投手以外の全ポジションを守れる両打ちのユーティリティープレーヤーで、粘り強い打撃が魅力。今季は開幕1軍入りし、代走や守備固めなど24試合に出場して打率.214。

「泥くさいプレーが持ち味なので、それを春季キャンプからアピールして支配下登録を勝ち取り、レギュラー争いに加わっていきたい」とコメントした。


draftkaigi at 06:50|この記事のURL│ │戦力外通告 

中西聖輝(青山学院大)、中日「勝てる投手」

2024年11月23日

11/23、スポーツ報知8面より 

中西聖輝(青山学院大・投手)
182cm・右投右打・動画

大学の部は、東都リーグの春秋V、全日本大学選手権制覇と合わせた大学4冠を目指す青学大が福岡大との投手戦を制し、準決勝に駒を進めた。智弁和歌山のエースとして2021年夏の甲子園を優勝した実績のある中西聖輝投手が、先発で5回まで完全投球。8回途中無失点の好投で勝利に貢献した。

王者・青学の“負けない男”中西の神経は研ぎ澄まされていた。大学4冠への大切な初戦。智弁和歌山3年の夏、甲子園で頂点に立った経験を持つ右腕は「リーグ戦とは違って負けたら終わり。一つのミス、1失点が命取りになる。高校の時を思い出してマウンドに上がりました」。

明治神宮大会初登板で、5回までパーフェクト、わずか46球で打者15人を退ける快投を披露。「無駄な球がそれほどなく、テンポ良くいけました」。145キロ前後のキレのある直球をコーナーに決め、スライダー、フォークもさえた。

6回の先頭打者に初安打を浴び、8回に内野安打と死球で1死一、二塁のピンチを招くとマウンドを降りた。「自分の弱さが出た。完封できるレベルではない。悔しい気持ちでした」と思いを明かしたが、試合後は笑顔で仲間と勝利を喜び合っていた。「トーナメントということを考えると、やはり勝てたのがうれしかった。自然と笑顔になりました」と笑った。

来秋ドラフト候補に挙がる最速152キロ右腕。リーグ戦では通算19試合に登板して8勝無敗の成績を誇る。視察した中日・岡野スカウトは「投手として全体的なレベルが高い。ストライク先行で自分から崩れることがない。勝てる投手です」と高評価を与えた。

(11月22日 明治神宮大会準々決勝 青学大 2―1 福岡大)


draftkaigi at 07:01|この記事のURL│ │中日 

ドラフト選手の家庭の事情、麦谷祐介(富士大)

11/23、日刊ゲンダイ36面「ドラフト選手の家庭の事情」より 

2024オリックスドラフト1位 麦谷祐介
富士大・外野手・動画

「やんちゃ坊主で、ずっと家にいられない子でした」。こう話す麦谷の父・尚文さん(55)は、石川・能登出身で、いまは仙台市内に勤める。中学校まで野球をやり、親の勧めもあり、高校からやり投げを始めた。

強肩を生かして高校1年から3年連続でインターハイに出場。八種競技でも高校2年時にインターハイ4位、高3時は国体で3位に入った。中大3年時にもやり投げで関東インカレ3位に入った実力の持ち主だ。4年時は総勢600人いる男子寮の寮長も務めた。

「やり投げと野球では投げ方も違いますし、技術的なアドバイスをしたことはほとんどありません。ただ、土日は近所の公園でキャッチボールしたり、通っていた小学校のグラウンドが開放されていたので、そこで僕がフライを打って祐介が捕る練習をしたりしていました」

姉と2人きょうだいの麦谷が野球を始めたのは、母・佳子さん(55)の「子供にスポーツをやらせたい」という思いから。4歳ごろから野球とサッカーを始め、小学2年時に楽天アカデミー(軟式)に入り、野球に専念。中学では楽天リトルシニアの1期生に。同チームで麦谷を指導した古川翔輝コーチ(34)は言う。

「第一印象はずいぶん場慣れした小学生だなと。リトルシニアができて初めてのチームだったので、メディアから取材を受けていたんですが、受け答えが流暢で度胸があるなと思いました。体はひときわ小さく、新入生で1、2番目くらいに小さかった。今とは別人ですけど、運動神経は抜群でした」

麦谷は実家を離れ、野球強豪校の健大高崎(群馬)に入学するも、1年の冬に中退した。入学直後、寮内で2年生数人が1年生数人に対して暴力事件を起こした。被害を受けた1年生の中に、麦谷もいた。

日本学生野球協会は不祥事として、健大高崎に1カ月の対外試合禁止処分を下したが、部内暴力は続いた。尚文さんが野球部の監督、コーチと話し合いの場を設けようと動いたタイミングで、麦谷本人から「もう無理」とSOSが届いた。

「部の練習中にグラウンドから家に連れて帰りました。『今から寮の荷物をまとめて帰ります』と。(麦谷)本人は『耐えられる』とは言っていましたが、僕は『耐えられなくなったら連絡をくれ』と伝えていました。先のことは何も決まっておらず、本人がどうしても嫌なら、野球をやめてもいいと思っていました」

前出の楽天リトルシニアの古川コーチはその間、麦谷家から相談を受けたという。

「当時の麦谷は『野球はもういい』という表情でした。リトルシニアの部員の保護者で大崎中央高で教員をやられている方がおり、それが(転校の)決め手になったのかもしれません」

健大高崎で学年末テストを受け、1年生を修了。大崎中央に2年生として編入した。群馬で学年末テストを受けるため、尚文さんは1週間会社を休み、学校近くのホテルに同宿。4日間のテスト期間、尚文さんは車で送り迎えをした。

大崎中央では早速、野球部に入部。同校野球部の平石朋浩監督(37)は、「まずは技術的なことより気持ちのケアが必要だなというのは接していて感じました」と、こう続ける。

「麦谷が入寮するタイミングで部員を集めて(転校した)経緯を伝え、『一度決めた進路を変えるのは、すごく勇気のいること。そこを受け入れて一緒に頑張っていくのが大事だよね』という話をしました。麦谷と同級生数人で自主練習するなど、『多く交わる』ことを意識しました。1カ月も経たないうちに他の部員たちと仲良くなっていたので、安心しました」

3年夏の宮城県大会(コロナによる代替大会)は3回戦で敗れたものの、2試合で6盗塁を決め、確かな足跡を残した。富士大では、1年春からセンターのレギュラーを獲得。走攻守三拍子揃った大型外野手として、オリックスから1位指名された。尚文さんは言う。

「本人はあの(健大高崎での)出来事について、『今はどうでもいいんだ』と言っています。私自身も、もういいのかなと。(1位指名でプロ入りする)今の状態になったことで、もう見返せたんだと思っています」


麦谷君のスカウト評はこちら

麦谷君のバッティング動画はこちら


draftkaigi at 07:00|この記事のURL│ │オリックス 

怪物1年・織田翔希(横浜)、西武「素晴らしい素材」

2024年11月22日

日刊スポーツwebsiteより (source)

織田翔希(横浜高・投手)
185cm・右投右打・動画

横浜・織田翔希投手(動画)が全国大会デビューを2安打完封勝利で飾った。全国へのごあいさつだ。冬の神宮で2安打完封。27年前、OB松坂大輔氏も完封デビューではなかった。「投げきることを(村田)監督と約束して、それを果たすことができました」。二塁を踏ませたのはわずか1度だけ。ぴょんと軽やかに整列へ加わった。

気温11度の寒空で、この日最速145キロで丹念に四隅を突いた。外でフライを量産し、内ではゴロ。明徳義塾打線もしつこく対応してきた。「徹底力を感じました。どんどん向かってきて」。その強豪を相手に完封。「投げるボールには自信を持っているので、そこはびびらず」と言葉にはすでに風格がある。

北九州の中学軟式野球から、横浜にやって来た。08年生まれ。松坂氏はすでに海を渡ってメジャーで活躍していた時期にあたるものの、織田の高校選択の決め手になった人物でもある。「テレビとかニュースとかいろいろ見て、そこから調べたりして。自分もこの舞台で投げたいなって」。ヒーローもできなかった神宮完封で、出場が決定的になっている来春センバツにも弾みをつけた。

プロ球界も興味津々だ。西武・前田チーフスカウトは「まだ(気が)早いよ」と笑いながらも「細いけれど素晴らしい素材。腕の振りもいい。松坂とは違うし、涌井とも違う。誰タイプとか抜きに、このまま順調に育ってほしいです」とこの先を楽しみにする。いつか“憧れられる”投手になるだけの存在だ。

(11月21日 明治神宮大会2回戦 横浜 2―0 明徳義塾)



織田君のスカウト評はこちら

織田君のピッチング動画はこちら

draftkaigi at 07:05|この記事のURL│ │西武 

ドラフト選手の家庭の事情、町田隼乙(BC埼玉)

11/22、日刊ゲンダイ23面「ドラフト選手の家庭の事情」より  

2024阪神ドラフト4位 町田隼乙
埼玉武蔵ヒートベアーズ・捕手・動画

阪神からは強肩強打が買われ、《打てる捕手として正捕手を担うことができる可能性を秘めた、将来が楽しみな選手》と期待されている。

身長186センチ、体重88キロの恵まれた体は、バス会社に勤める父・光信さん(51=身長181センチ)譲りだ。母・秀子さん(54)との間に、4歳上の長女、2歳上の次女に続いて2003年、末っ子として生まれた。

強いスイング、鋭い送球を支える強靱な下半身は幼少期から培われていた。秀子さんは長女を幼稚園に送り迎えする際、幼い次女と町田から目を離すわけにはいかず、必ず同行させていた。

「特別な習い事や運動はさせていないので、プロに行けるような体を育んだ原点はあの日々にあると思います」と、秀子さんがこう振り返る。

「家から幼稚園までは大人の足で10分ほど。行きは上り坂が続き、ベビーカーでは回り道が必要なほど勾配がきつい箇所もある。でも、隼乙はとにかく歩くのが大好きな子だったんです。ハイハイを卒業してからというもの、大人が汗をかくような坂道をズンズン上っていった(笑)。一応、抱っこ紐を準備していましたが、必要になった記憶はありません」

町田は次女の通園にも同行していたため、歩き始めてから卒園までの約5年間、図らずも「下半身トレ」を積んでいたことになる。

もともと夫婦の趣味はスポーツ観戦。光信さんは社会人になってから父(町田の祖父)も所属する地元のソフトボールチームで汗を流す日々。家族で横浜スタジアムに繰り出すこともあった。

町田は幼い頃から遊び感覚で野球に触れ、少年野球チームで本格的に取り組むのは時間の問題と思われた。が、小学2年になって突然、「サッカーをやりたい」と言い出した。

「夫は直接反対はしませんでしたが、すごくガッカリしていました。『君がついていながら、なぜ野球じゃないんだ』なんてボヤいたことも(笑)。サッカーを始めて1年ほど経ったころ、隼乙が自ら『やっぱり野球がいい』と。夫はすぐさまスポーツショップに連れていき、用具一式を買い揃えたほどの喜びようでした」(秀子さん)

小学3年で門を叩いた秦野ドリームスは、女子プロ野球選手として活躍した加藤優、平井菜生を輩出したチームとして知られる。

中学に上がると平塚ボーイズに入団。自宅から自転車で40~50分かかる距離でも躊躇しなかった。見学に訪れた際、先輩選手のパンパンに膨らんだ太ももの筋肉に憧れたのが決め手になった。

光明相模原高3年時にプロ志望届を提出し4球団から調査書が届くも、指名漏れを経験。声がかかっていた強豪大学の誘いを蹴って、独立リーグの埼玉武蔵ヒートベアーズを選んだ根底にはプロへの強い思いがあった。

「今の時代、将来を考えれば進学した方が無難ですが……。『とにかく野球だけに集中できる環境で、最短コースで夢を追いたい』と。ほとんど迷うことなく12月ごろには入団手続きを済ませ、翌1月からは球団寮へ移り住みました」(秀子さん)

新天地ではルーキーイヤーから正捕手として台頭。オフは生活資金を稼ぐためのアルバイトにもいそしみながら、大学に進むよりも1年早く夢の扉をこじ開けた。目標は「阪神のクリーンアップ&正捕手」。物心つく前から鍛え抜いた下半身で球界にどっしり根を張っていく。



町田君のバッティング動画はこちら

draftkaigi at 07:03|この記事のURL│ │阪神 


ドラフトニュース検索