あのドラフト選手は今、桧山泰浩(ドラフト1位)
2023年01月27日

1985近鉄ドラフト1位 桧山泰浩 東筑高・投手 |
1985年、東筑高(福岡県)から近鉄にドラフト1位で指名され入団した桧山泰浩氏は近鉄を退団した翌92年に韓国プロ野球に挑戦も、同年限りで引退。現在は司法書士になっていた。福岡市内に「桧山泰浩司法書士事務所」を構えて26年、遺産相続や不動産登記など、日々、依頼人の要望に向き合っている。
元プロ野球選手として異色のキャリアを歩む桧山氏は、「仕事は楽しい。同じ案件はひとつもありませんから」と、こう話す。
「例えば、遺産相続の手続きひとつ取っても、それぞれに依頼者の要望がある。それに沿って案件を済ませたら、やっぱり達成感がありますね。これを毎回味わえるのです。自己破産の場合なら、依頼者が人生を再スタートできるように、背中を押すこともできる。やりがいや楽しさがないと、26年間も続けられませんよ」
依頼人の意向をくみ取りながら、解決策を提案するため、最初から答えがあるわけではない。法律も目まぐるしく変わる。
「勉強の毎日です。イチローだって、引退するまでは毎日学ぶことがあっただろうし、それと同じ。どの仕事だってきっとそうでしょう」
もともと勉強は得意だった。幼少期からプロ野球選手になることを夢見ていたが、人生には勉強も不可欠だと考えていた。一般受験で入学した東筑高にしても、県内トップの進学校だ。
「ずっと野球中心の生活をしていましたが、“野球バカ”にはなりたくなかった。もしプロになれても、早ければ20歳過ぎで引退するかもしれない。野球だけじゃアカンって思っていたんです。だから、高校3年で春のセンバツに出場して、『プロ注目』なんて言われても、野球だけに没頭しなかった。指名漏れや、予期せぬケガのリスクもある。そうなった際は、早大か慶大への進学を志望していましたからね」
NPBでは一軍出場を果たせず、25歳という若さでユニホームを脱いだ後、司法書士として第二の人生をスタートさせた。この資格を取ったのは、さまざまな選択肢を考えた上での消去法だった。
韓国から帰国後、知人が経営する衣料品関係の会社に就職。主に事務作業員として2年間勤めたが、雇われの立場であるサラリーマンに居心地の悪さが募った。
「野球はチームプレーだけど、投手は自分を中心に考える。ずっと投手をやってきたからか、仕事を自分でやりたいと思うようになったんです。飲食店などの経営も考えたけど、資金がない。それなら何か資格を取ろう、と。どんな資格があるのか調べるために、まずは本屋に行きました。当時は弁護士を含め、難関といわれる資格は大卒者に限られていた。高卒でも取れるのが司法書士だけで、これにするか、と(笑)」
このとき27歳。参考書を手にした日から、人生が再び大きく動き出した(つづく)

近鉄の1985ドラフト指名選手 | |||
1位 | 桧山 泰浩 | 東筑高 | 投手 |
2位 | 山田 真実 | 高野山高 | 投手 |
3位 | 福島 明弘 | 大宮東高 | 投手 |
4位 | 池上 誠一 | 滝川高 | 投手 |
5位 | 福地 経人 | 九州産大 | 投手 |
6位 | 吉川 啓一 | 鎮西高 | 捕手 |
★プロ入り後の成績★ |
draftkaigi at 07:00│
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