あのドラフト選手は今、小野剛(ドラフト7位)
2023年02月08日

2000巨人ドラフト7位 小野剛 武蔵大・投手 |
「本当に周りの方に恵まれて、ここまでやってこれています」。こう話すのは飲食事業や不動産事業、野球教室などを手掛ける小野剛氏(2000巨人7位)だ。昨年10月からは、人材紹介会社「KSキャリア」の顧問も務めている。
武蔵大から2000年ドラフト7位で巨人に入団。一軍登板のないまま02年に戦力外となった翌03年、イタリアのプロ野球に挑戦したのも、恩人の一言があったからだ。
「引退を考えていた僕に、ソフトバンク前監督の工藤公康さん(当時・巨人)が言ってくれたんです。『若くて体が動くのに、野球を諦められるの? オレなら絶対、しがみついてでも続ける』と。プロ2年目のオフに工藤さんの自主トレに加えてもらってから、野球選手としてはもちろん、人生の師として尊敬していました。この言葉で心に火が付いた。その頃、スポーツ紙にイタリアリーグの記事が載っていたのを見て、即座にブローカーと連絡を取りました」
こうしてセリエA・T&Aサンマリノへの入団にこぎつけると、その1週間後にはマウンドに立った。イタリアでは1つのミスで即座にクビになるのがザラ。常に殺伐とした雰囲気が漂っていた。厳しい環境ながら、給料は月10万円ほど。住居はチームメートとの相部屋だった。
大学卒業直後に結婚した妻と生後間もない息子をイタリアに呼び寄せることを決めると、大富豪の跡取り息子だというチームメートがサンマリノ中心街のマンションを無料で貸してくれた。
「英語を話せる妻には通訳代わりにもなってもらいました。そのおかげで同僚とは一層仲良くなり、旅行もした。ガイド本に載っていないような裏路地を探索したりと、地元民視点の旅は忘れられません」
イタリアでは思いがけない出会いがあった。当時、セリエA・パルマに所属していたサッカー界のレジェンド中田英寿氏である。イタリアで身を立てるアスリートの先輩として、同氏がファンに向けて運営していたウェブサイトから連絡を送ったことがきっかけだった。
「中田さんが僕のメッセージに目を通してくれたんです。まず、中田さんのマネジャーさんとつながり、妻子も含めて試合に招待してもらった。観戦後に出待ちしてお礼を伝えたら、『ご飯でもどう?』って。食事の席で、工藤さんの誕生日プレゼント用のワインについてアドバイスをもらおうとすると、『ワインセラーの蔵を買い取ったから、オレがチョイスするよ。住所だけ教えて』とまで言ってくれて。本当に格好良かった。会話の中で忘れられないことがある。中田さんは『サッカー以外にやりたいことが見つかれば、そちらにチャレンジする』と話していた。超一流なのに、そんな生き方もあるんだなって。これは引退後の生活に相当影響しました。僕はどう生きようかと」
中田英寿氏との出会い──。かけがえのないものを得た小野氏は03年限りで帰国し、翌04年に西武の選手としてNPB復帰を果たした。いくつかの球団へ入団テストを志願したが、西武にはツテがなく、連絡すら取っていなかった。なのに、西武の方から入団テストのオファーがあった。
「恐らく、(西武でプレー経験がある)工藤さんが働きかけてくれたのだと思います。僕にはそんなことを一切言ってませんけどね(笑)」(つづく)

巨人の2000ドラフト指名選手 | |||
1位 | 阿部 慎之助 | 中央大 | 捕手 |
2位 | 上野 裕平 | 立教大 | 投手 |
3位 | 三浦 貴 | 東洋大 | 投手 |
4位 | 根市 寛貴 | 光星学院高 | 投手 |
5位 | 川本 大輔 | 広陵高 | 投手 |
6位 | 山下 浩宜 | 九共大八幡西高 | 内野手 |
7位 | 小野 剛 | 武蔵大 | 投手 |
8位 | 李 景一 | 敦賀気比高 | 捕手 |
★プロ入り後の成績★ |
draftkaigi at 06:30│
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