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ドラフト選手の家庭の事情、宗山塁(明治大)

2024年11月12日

11/12、日刊ゲンダイ22面「ドラフト選手の家庭の事情」より 

2024楽天ドラフト1位 宗山塁
明治大・遊撃手・動画

明大・宗山(動画)は、広島県三次市三良坂町で長男として生まれた。父の伸吉さん(50)は広陵高野球部出身で息子の“大先輩”。ケガで選手の道を断たれ、長男に夢を託した。「塁」という名前がそれを物語る。

宗山は三良坂小1年時に伸吉さんが監督を務める「三良坂少年野球クラブ」で野球を始めた。三良坂中時代に在籍した「高陽スカイバンズ」(軟式)でも3年間、コーチの父から指導を受けた。伸吉さんは宗山が小学校、中学校に通った9年間3285日、一日も欠かさず自宅での練習に付き添った。

「一日も欠かさずというと疑われるかもしれませんが、事実なんです。私はもともと体が強くて、病院には縁がなかった。お世話になったのは整形外科くらい。旅行も1泊することはありましたが、朝に練習をやってから出発し、帰宅してからもバットを振っていました」

伸吉さんは三次市役所三良坂支所の係長。土日は三良坂少年野球クラブの監督を務める。仕事で疲れても練習に付き添い続けたのは、宗山が一度も弱音を吐かなかったからだ。

「私の方がしんどくて、どうしても疲れて休みたいときがある。でも容赦してくれなかった。あの男には休みという概念がないんだと思います。(『毎日練習すると約束できるなら少年野球クラブに入ってもいい』と)こっちが言い出したこと。約束は破れない。中学卒業まで頑張りました」

自宅前の庭に造った練習場の広さは5メートル四方の約25平方メートル。網を張って打撃ケージを造り、トレーニング用のタイヤも設置した。宗山が小学3年時、建設業の知人に頼み、1週間で造り上げた。屋根付きで雨が降っても練習ができる。打撃練習だけでなく、屋根にひもをくくりつけて上れば腕も鍛えられた。

「最初は通販でも売っているような普通のティーバッティングネットを買ったんですが、頻度が高すぎて全然話にならない。小学校1年生のときに買ったけど、1年くらいでダメになりました。毎日やっていたらすぐ壊れて、毎年買うのもガラクタが増えるばっかりになるので、練習場を造っちゃいました。費用? 内緒です(笑)」

練習場の隣にあるあずまやはバーベキュースペース。そばの田んぼの周りを走ったり、川で泳いだり。運動の環境は申し分ない。

宗山は野球を始めて自然と左打ちになった。伸吉さんは宗山が小学4年の頃、右手で箸の使い方をマスターすると、左手に替えて持つよう促した。

「それがどう野球につながるのか分からないけど、やって損はないかなと。食事以外は基本、全部右。右でちゃんと箸が持てるようになったので、親のしつけは終わりかなと思って左に替えさせました。マスターするのに3カ月かかりました」

母の香代さん(54)や長女で姉の楓さん(24)はスポーツに縁がなく、週末は男女に分かれての行動が多かった。自宅は2世帯住宅。ともに父方の祖父・正規さん(76)、祖母・順子さん(74)と暮らす。食事の担当は祖母だ。

「私が結婚したときからずっと作ってもらっています。だから(塁にとっては)『おふくろの味』ではなく、『おばあちゃんの味』ですね。高校までは何でもかんでも食べていたのに、大学に入ったら『揚げ物はダメ、砂糖もダメ』と言うように。ケガをせず、一日でも長く野球を続けるために意識しているのでしょう」

練習も食事管理も、毎日の積み重ねが大切。

「積み重ねることでいつか花開くときが来る。私も、その意識は常に持っています。親として特別なことは何もしていませんが、単純なことを継続してできるかどうか。これが一番簡単そうで難しい。習慣化さえすれば、あとはほっといても自分で考えるようになる。あとは、いちいち口出しをしないことは意識しました。我慢するのは難しいですけどね。子供が失敗しそうなとき、ついつい声をかけたくなりますが、あえて失敗させました。失敗も勉強です。宿題で分からんところがあっても『分からんまま持って行きなさい』と。授業で聞いてなかったら自分の責任。勉強を教えるのは親の仕事じゃないよと」 



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