ドラフト選手の家庭の事情、西川史礁(青山学院大)
2024年11月14日
11/14、日刊ゲンダイ22面「ドラフト選手の家庭の事情」より
「自主練習の環境は、どこの家庭にも負けません」。姉、兄の3人きょうだいの末っ子として生まれた青学大・西川(動画)の父・凌滋さん(59)は、こう言って胸を張る。
凌滋さんは和歌山県日高郡の建設会社「株式会社西川組」の社長を務める。従業員は約20人。西川の母・マリさん(54)が事務として会社をサポートしている。建設業の“特権”を生かし、4学年上の長男・藍畝さん(26)が小学4年、西川が幼稚園のころ、約280坪の自宅の敷地内に、20坪ほどの大きな練習場を自作した。
足場は黒土で固め、少年野球用のプレート(16メートル)と硬式野球用のプレート(18.44メートル)も埋め込んだ。夜間でも練習できるよう、約2500ワットの照明も付けた。
「仕事柄、球場の工事で土を扱うことがあり、そこで余った土を有効活用しました。ちっちゃい時から“洗脳”やないけど、甲子園の土みたいなイメージを伝えたくて。おそらく甲子園の土は春と夏とで違いがあり、いろいろな土地の黒土を混ぜていると思いますが、ウチの黒土は鹿児島から取り寄せた。自分で足場を組んで、網で囲ったバッティングスペースをつくって。
硬式は(ボールの)回転数がすごいんで、すぐ網が破れる。何重にも重ねてヨソに飛ばないよう、補修しながら練習していました。普通に工事したらウン百万円はいくでしょう。軟球のボールはヒビが入って割れるし、硬式のボールも糸が切れるので、その都度入れ替えました。ウチは柴犬を1匹飼っていて、今は一部をドッグランにしましたが、(史礁が)『野球する間はそのまま置いといてくれ』って言うので、いつでも練習できるよう網も土もそのまま。普段は近所の子らが練習で使ってくれています」
凌滋さんは毎日欠かさず自宅での自主練習に付き合った。
「日によって差はありますけど、長男と2人合わせて毎晩、だいたい400~500球はティーを上げていました。長男は硬式で次男は軟球。練習場が広いから真正面から放れる。(打席の)5メートルくらい前に網のついたてを置いて下からトスを上げる。
距離がある分、打球の角度が分かるんですが、ボールが跳ね返って後ろから飛んで来るから、長男が中学で硬式になったタイミングでキャッチャー用の面とヘルメットを買いました。成長するにつれて打球も速くなるから命懸けです(笑)。次男が小学1年から野球を始めて、長男が平安高校に入学するまでの5年間ほどは2人を相手にしていたから、体力的にも大変でした」
凌滋さんが仕事から帰ると、息子2人はバットをブンブン振って臨戦態勢。帰宅が遅くなるとLINEで「いつ帰ってくる?」と“催促”されたという。
「ボールも照明も用意して待っとるんです。家に近づくと、照明がついとるのが見えて、ブンブンとバット振って待っとる。仕事でお酒を飲んでふらふらになっても練習です。毎日やるクセをつけないと、『今日はなし』とお互い妥協したら終わりです。自分の都合で投げんわけにいかんし、待たれたらこっちも負けじとやるしかありません」
西川は、中学時代のボーイズ、平安高、青山学院大と、兄の藍畝さんと同じ道を歩んだ。
「ずっと長男のケツを追いかけてました。史礁は優しい性格で僕と全然似ていない(笑)。でも、野球になったらスイッチが入るっちゅうか、急に変わる。小学1年の時からレギュラーを取るくらい頑張りましたけど、試合の日の朝になると『オレ行きたくない』と言って泣く(笑)。でも連れて行くと普通にやるんですけどね」
一緒に切磋琢磨した兄の藍畝さんは一般企業で営業マンとして働いているという。紀州の地でたくましく育った将来の中軸候補は間もなく、新天地へと旅立つ。
西川君のスカウト評はこちら
西川君のバッティング動画はこちら
2024ロッテドラフト1位 西川史礁 青山学院大・外野手・動画 |
「自主練習の環境は、どこの家庭にも負けません」。姉、兄の3人きょうだいの末っ子として生まれた青学大・西川(動画)の父・凌滋さん(59)は、こう言って胸を張る。
凌滋さんは和歌山県日高郡の建設会社「株式会社西川組」の社長を務める。従業員は約20人。西川の母・マリさん(54)が事務として会社をサポートしている。建設業の“特権”を生かし、4学年上の長男・藍畝さん(26)が小学4年、西川が幼稚園のころ、約280坪の自宅の敷地内に、20坪ほどの大きな練習場を自作した。
足場は黒土で固め、少年野球用のプレート(16メートル)と硬式野球用のプレート(18.44メートル)も埋め込んだ。夜間でも練習できるよう、約2500ワットの照明も付けた。
「仕事柄、球場の工事で土を扱うことがあり、そこで余った土を有効活用しました。ちっちゃい時から“洗脳”やないけど、甲子園の土みたいなイメージを伝えたくて。おそらく甲子園の土は春と夏とで違いがあり、いろいろな土地の黒土を混ぜていると思いますが、ウチの黒土は鹿児島から取り寄せた。自分で足場を組んで、網で囲ったバッティングスペースをつくって。
硬式は(ボールの)回転数がすごいんで、すぐ網が破れる。何重にも重ねてヨソに飛ばないよう、補修しながら練習していました。普通に工事したらウン百万円はいくでしょう。軟球のボールはヒビが入って割れるし、硬式のボールも糸が切れるので、その都度入れ替えました。ウチは柴犬を1匹飼っていて、今は一部をドッグランにしましたが、(史礁が)『野球する間はそのまま置いといてくれ』って言うので、いつでも練習できるよう網も土もそのまま。普段は近所の子らが練習で使ってくれています」
凌滋さんは毎日欠かさず自宅での自主練習に付き合った。
「日によって差はありますけど、長男と2人合わせて毎晩、だいたい400~500球はティーを上げていました。長男は硬式で次男は軟球。練習場が広いから真正面から放れる。(打席の)5メートルくらい前に網のついたてを置いて下からトスを上げる。
距離がある分、打球の角度が分かるんですが、ボールが跳ね返って後ろから飛んで来るから、長男が中学で硬式になったタイミングでキャッチャー用の面とヘルメットを買いました。成長するにつれて打球も速くなるから命懸けです(笑)。次男が小学1年から野球を始めて、長男が平安高校に入学するまでの5年間ほどは2人を相手にしていたから、体力的にも大変でした」
凌滋さんが仕事から帰ると、息子2人はバットをブンブン振って臨戦態勢。帰宅が遅くなるとLINEで「いつ帰ってくる?」と“催促”されたという。
「ボールも照明も用意して待っとるんです。家に近づくと、照明がついとるのが見えて、ブンブンとバット振って待っとる。仕事でお酒を飲んでふらふらになっても練習です。毎日やるクセをつけないと、『今日はなし』とお互い妥協したら終わりです。自分の都合で投げんわけにいかんし、待たれたらこっちも負けじとやるしかありません」
西川は、中学時代のボーイズ、平安高、青山学院大と、兄の藍畝さんと同じ道を歩んだ。
「ずっと長男のケツを追いかけてました。史礁は優しい性格で僕と全然似ていない(笑)。でも、野球になったらスイッチが入るっちゅうか、急に変わる。小学1年の時からレギュラーを取るくらい頑張りましたけど、試合の日の朝になると『オレ行きたくない』と言って泣く(笑)。でも連れて行くと普通にやるんですけどね」
一緒に切磋琢磨した兄の藍畝さんは一般企業で営業マンとして働いているという。紀州の地でたくましく育った将来の中軸候補は間もなく、新天地へと旅立つ。
西川君のスカウト評はこちら
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