ドラフト選手の家庭の事情、町田隼乙(BC埼玉)
2024年11月22日
11/22、日刊ゲンダイ23面「ドラフト選手の家庭の事情」より
阪神からは強肩強打が買われ、《打てる捕手として正捕手を担うことができる可能性を秘めた、将来が楽しみな選手》と期待されている。
身長186センチ、体重88キロの恵まれた体は、バス会社に勤める父・光信さん(51=身長181センチ)譲りだ。母・秀子さん(54)との間に、4歳上の長女、2歳上の次女に続いて2003年、末っ子として生まれた。
強いスイング、鋭い送球を支える強靱な下半身は幼少期から培われていた。秀子さんは長女を幼稚園に送り迎えする際、幼い次女と町田から目を離すわけにはいかず、必ず同行させていた。
「特別な習い事や運動はさせていないので、プロに行けるような体を育んだ原点はあの日々にあると思います」と、秀子さんがこう振り返る。
「家から幼稚園までは大人の足で10分ほど。行きは上り坂が続き、ベビーカーでは回り道が必要なほど勾配がきつい箇所もある。でも、隼乙はとにかく歩くのが大好きな子だったんです。ハイハイを卒業してからというもの、大人が汗をかくような坂道をズンズン上っていった(笑)。一応、抱っこ紐を準備していましたが、必要になった記憶はありません」
町田は次女の通園にも同行していたため、歩き始めてから卒園までの約5年間、図らずも「下半身トレ」を積んでいたことになる。
もともと夫婦の趣味はスポーツ観戦。光信さんは社会人になってから父(町田の祖父)も所属する地元のソフトボールチームで汗を流す日々。家族で横浜スタジアムに繰り出すこともあった。
町田は幼い頃から遊び感覚で野球に触れ、少年野球チームで本格的に取り組むのは時間の問題と思われた。が、小学2年になって突然、「サッカーをやりたい」と言い出した。
「夫は直接反対はしませんでしたが、すごくガッカリしていました。『君がついていながら、なぜ野球じゃないんだ』なんてボヤいたことも(笑)。サッカーを始めて1年ほど経ったころ、隼乙が自ら『やっぱり野球がいい』と。夫はすぐさまスポーツショップに連れていき、用具一式を買い揃えたほどの喜びようでした」(秀子さん)
小学3年で門を叩いた秦野ドリームスは、女子プロ野球選手として活躍した加藤優、平井菜生を輩出したチームとして知られる。
中学に上がると平塚ボーイズに入団。自宅から自転車で40~50分かかる距離でも躊躇しなかった。見学に訪れた際、先輩選手のパンパンに膨らんだ太ももの筋肉に憧れたのが決め手になった。
光明相模原高3年時にプロ志望届を提出し4球団から調査書が届くも、指名漏れを経験。声がかかっていた強豪大学の誘いを蹴って、独立リーグの埼玉武蔵ヒートベアーズを選んだ根底にはプロへの強い思いがあった。
「今の時代、将来を考えれば進学した方が無難ですが……。『とにかく野球だけに集中できる環境で、最短コースで夢を追いたい』と。ほとんど迷うことなく12月ごろには入団手続きを済ませ、翌1月からは球団寮へ移り住みました」(秀子さん)
新天地ではルーキーイヤーから正捕手として台頭。オフは生活資金を稼ぐためのアルバイトにもいそしみながら、大学に進むよりも1年早く夢の扉をこじ開けた。目標は「阪神のクリーンアップ&正捕手」。物心つく前から鍛え抜いた下半身で球界にどっしり根を張っていく。
町田君のバッティング動画はこちら
2024阪神ドラフト4位 町田隼乙 埼玉武蔵ヒートベアーズ・捕手・動画 |
阪神からは強肩強打が買われ、《打てる捕手として正捕手を担うことができる可能性を秘めた、将来が楽しみな選手》と期待されている。
身長186センチ、体重88キロの恵まれた体は、バス会社に勤める父・光信さん(51=身長181センチ)譲りだ。母・秀子さん(54)との間に、4歳上の長女、2歳上の次女に続いて2003年、末っ子として生まれた。
強いスイング、鋭い送球を支える強靱な下半身は幼少期から培われていた。秀子さんは長女を幼稚園に送り迎えする際、幼い次女と町田から目を離すわけにはいかず、必ず同行させていた。
「特別な習い事や運動はさせていないので、プロに行けるような体を育んだ原点はあの日々にあると思います」と、秀子さんがこう振り返る。
「家から幼稚園までは大人の足で10分ほど。行きは上り坂が続き、ベビーカーでは回り道が必要なほど勾配がきつい箇所もある。でも、隼乙はとにかく歩くのが大好きな子だったんです。ハイハイを卒業してからというもの、大人が汗をかくような坂道をズンズン上っていった(笑)。一応、抱っこ紐を準備していましたが、必要になった記憶はありません」
町田は次女の通園にも同行していたため、歩き始めてから卒園までの約5年間、図らずも「下半身トレ」を積んでいたことになる。
もともと夫婦の趣味はスポーツ観戦。光信さんは社会人になってから父(町田の祖父)も所属する地元のソフトボールチームで汗を流す日々。家族で横浜スタジアムに繰り出すこともあった。
町田は幼い頃から遊び感覚で野球に触れ、少年野球チームで本格的に取り組むのは時間の問題と思われた。が、小学2年になって突然、「サッカーをやりたい」と言い出した。
「夫は直接反対はしませんでしたが、すごくガッカリしていました。『君がついていながら、なぜ野球じゃないんだ』なんてボヤいたことも(笑)。サッカーを始めて1年ほど経ったころ、隼乙が自ら『やっぱり野球がいい』と。夫はすぐさまスポーツショップに連れていき、用具一式を買い揃えたほどの喜びようでした」(秀子さん)
小学3年で門を叩いた秦野ドリームスは、女子プロ野球選手として活躍した加藤優、平井菜生を輩出したチームとして知られる。
中学に上がると平塚ボーイズに入団。自宅から自転車で40~50分かかる距離でも躊躇しなかった。見学に訪れた際、先輩選手のパンパンに膨らんだ太ももの筋肉に憧れたのが決め手になった。
光明相模原高3年時にプロ志望届を提出し4球団から調査書が届くも、指名漏れを経験。声がかかっていた強豪大学の誘いを蹴って、独立リーグの埼玉武蔵ヒートベアーズを選んだ根底にはプロへの強い思いがあった。
「今の時代、将来を考えれば進学した方が無難ですが……。『とにかく野球だけに集中できる環境で、最短コースで夢を追いたい』と。ほとんど迷うことなく12月ごろには入団手続きを済ませ、翌1月からは球団寮へ移り住みました」(秀子さん)
新天地ではルーキーイヤーから正捕手として台頭。オフは生活資金を稼ぐためのアルバイトにもいそしみながら、大学に進むよりも1年早く夢の扉をこじ開けた。目標は「阪神のクリーンアップ&正捕手」。物心つく前から鍛え抜いた下半身で球界にどっしり根を張っていく。
町田君のバッティング動画はこちら
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│阪神