ドラフト選手の家庭の事情、麦谷祐介(富士大)
2024年11月23日
11/23、日刊ゲンダイ36面「ドラフト選手の家庭の事情」より
「やんちゃ坊主で、ずっと家にいられない子でした」。こう話す麦谷の父・尚文さん(55)は、石川・能登出身で、いまは仙台市内に勤める。中学校まで野球をやり、親の勧めもあり、高校からやり投げを始めた。
強肩を生かして高校1年から3年連続でインターハイに出場。八種競技でも高校2年時にインターハイ4位、高3時は国体で3位に入った。中大3年時にもやり投げで関東インカレ3位に入った実力の持ち主だ。4年時は総勢600人いる男子寮の寮長も務めた。
「やり投げと野球では投げ方も違いますし、技術的なアドバイスをしたことはほとんどありません。ただ、土日は近所の公園でキャッチボールしたり、通っていた小学校のグラウンドが開放されていたので、そこで僕がフライを打って祐介が捕る練習をしたりしていました」
姉と2人きょうだいの麦谷が野球を始めたのは、母・佳子さん(55)の「子供にスポーツをやらせたい」という思いから。4歳ごろから野球とサッカーを始め、小学2年時に楽天アカデミー(軟式)に入り、野球に専念。中学では楽天リトルシニアの1期生に。同チームで麦谷を指導した古川翔輝コーチ(34)は言う。
「第一印象はずいぶん場慣れした小学生だなと。リトルシニアができて初めてのチームだったので、メディアから取材を受けていたんですが、受け答えが流暢で度胸があるなと思いました。体はひときわ小さく、新入生で1、2番目くらいに小さかった。今とは別人ですけど、運動神経は抜群でした」
麦谷は実家を離れ、野球強豪校の健大高崎(群馬)に入学するも、1年の冬に中退した。入学直後、寮内で2年生数人が1年生数人に対して暴力事件を起こした。被害を受けた1年生の中に、麦谷もいた。
日本学生野球協会は不祥事として、健大高崎に1カ月の対外試合禁止処分を下したが、部内暴力は続いた。尚文さんが野球部の監督、コーチと話し合いの場を設けようと動いたタイミングで、麦谷本人から「もう無理」とSOSが届いた。
「部の練習中にグラウンドから家に連れて帰りました。『今から寮の荷物をまとめて帰ります』と。(麦谷)本人は『耐えられる』とは言っていましたが、僕は『耐えられなくなったら連絡をくれ』と伝えていました。先のことは何も決まっておらず、本人がどうしても嫌なら、野球をやめてもいいと思っていました」
前出の楽天リトルシニアの古川コーチはその間、麦谷家から相談を受けたという。
「当時の麦谷は『野球はもういい』という表情でした。リトルシニアの部員の保護者で大崎中央高で教員をやられている方がおり、それが(転校の)決め手になったのかもしれません」
健大高崎で学年末テストを受け、1年生を修了。大崎中央に2年生として編入した。群馬で学年末テストを受けるため、尚文さんは1週間会社を休み、学校近くのホテルに同宿。4日間のテスト期間、尚文さんは車で送り迎えをした。
大崎中央では早速、野球部に入部。同校野球部の平石朋浩監督(37)は、「まずは技術的なことより気持ちのケアが必要だなというのは接していて感じました」と、こう続ける。
「麦谷が入寮するタイミングで部員を集めて(転校した)経緯を伝え、『一度決めた進路を変えるのは、すごく勇気のいること。そこを受け入れて一緒に頑張っていくのが大事だよね』という話をしました。麦谷と同級生数人で自主練習するなど、『多く交わる』ことを意識しました。1カ月も経たないうちに他の部員たちと仲良くなっていたので、安心しました」
3年夏の宮城県大会(コロナによる代替大会)は3回戦で敗れたものの、2試合で6盗塁を決め、確かな足跡を残した。富士大では、1年春からセンターのレギュラーを獲得。走攻守三拍子揃った大型外野手として、オリックスから1位指名された。尚文さんは言う。
「本人はあの(健大高崎での)出来事について、『今はどうでもいいんだ』と言っています。私自身も、もういいのかなと。(1位指名でプロ入りする)今の状態になったことで、もう見返せたんだと思っています」
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2024オリックスドラフト1位 麦谷祐介 富士大・外野手・動画 |
「やんちゃ坊主で、ずっと家にいられない子でした」。こう話す麦谷の父・尚文さん(55)は、石川・能登出身で、いまは仙台市内に勤める。中学校まで野球をやり、親の勧めもあり、高校からやり投げを始めた。
強肩を生かして高校1年から3年連続でインターハイに出場。八種競技でも高校2年時にインターハイ4位、高3時は国体で3位に入った。中大3年時にもやり投げで関東インカレ3位に入った実力の持ち主だ。4年時は総勢600人いる男子寮の寮長も務めた。
「やり投げと野球では投げ方も違いますし、技術的なアドバイスをしたことはほとんどありません。ただ、土日は近所の公園でキャッチボールしたり、通っていた小学校のグラウンドが開放されていたので、そこで僕がフライを打って祐介が捕る練習をしたりしていました」
姉と2人きょうだいの麦谷が野球を始めたのは、母・佳子さん(55)の「子供にスポーツをやらせたい」という思いから。4歳ごろから野球とサッカーを始め、小学2年時に楽天アカデミー(軟式)に入り、野球に専念。中学では楽天リトルシニアの1期生に。同チームで麦谷を指導した古川翔輝コーチ(34)は言う。
「第一印象はずいぶん場慣れした小学生だなと。リトルシニアができて初めてのチームだったので、メディアから取材を受けていたんですが、受け答えが流暢で度胸があるなと思いました。体はひときわ小さく、新入生で1、2番目くらいに小さかった。今とは別人ですけど、運動神経は抜群でした」
麦谷は実家を離れ、野球強豪校の健大高崎(群馬)に入学するも、1年の冬に中退した。入学直後、寮内で2年生数人が1年生数人に対して暴力事件を起こした。被害を受けた1年生の中に、麦谷もいた。
日本学生野球協会は不祥事として、健大高崎に1カ月の対外試合禁止処分を下したが、部内暴力は続いた。尚文さんが野球部の監督、コーチと話し合いの場を設けようと動いたタイミングで、麦谷本人から「もう無理」とSOSが届いた。
「部の練習中にグラウンドから家に連れて帰りました。『今から寮の荷物をまとめて帰ります』と。(麦谷)本人は『耐えられる』とは言っていましたが、僕は『耐えられなくなったら連絡をくれ』と伝えていました。先のことは何も決まっておらず、本人がどうしても嫌なら、野球をやめてもいいと思っていました」
前出の楽天リトルシニアの古川コーチはその間、麦谷家から相談を受けたという。
「当時の麦谷は『野球はもういい』という表情でした。リトルシニアの部員の保護者で大崎中央高で教員をやられている方がおり、それが(転校の)決め手になったのかもしれません」
健大高崎で学年末テストを受け、1年生を修了。大崎中央に2年生として編入した。群馬で学年末テストを受けるため、尚文さんは1週間会社を休み、学校近くのホテルに同宿。4日間のテスト期間、尚文さんは車で送り迎えをした。
大崎中央では早速、野球部に入部。同校野球部の平石朋浩監督(37)は、「まずは技術的なことより気持ちのケアが必要だなというのは接していて感じました」と、こう続ける。
「麦谷が入寮するタイミングで部員を集めて(転校した)経緯を伝え、『一度決めた進路を変えるのは、すごく勇気のいること。そこを受け入れて一緒に頑張っていくのが大事だよね』という話をしました。麦谷と同級生数人で自主練習するなど、『多く交わる』ことを意識しました。1カ月も経たないうちに他の部員たちと仲良くなっていたので、安心しました」
3年夏の宮城県大会(コロナによる代替大会)は3回戦で敗れたものの、2試合で6盗塁を決め、確かな足跡を残した。富士大では、1年春からセンターのレギュラーを獲得。走攻守三拍子揃った大型外野手として、オリックスから1位指名された。尚文さんは言う。
「本人はあの(健大高崎での)出来事について、『今はどうでもいいんだ』と言っています。私自身も、もういいのかなと。(1位指名でプロ入りする)今の状態になったことで、もう見返せたんだと思っています」
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