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ドラフト選手の家庭の事情

ドラフト選手の家庭の事情 (ヤクルト4位・中尾輝)

2016年11月23日

11/23、日刊ゲンダイ30面「ドラフト選手の家庭の事情」より 

2016ヤクルトドラフト4位 中尾輝
名古屋経済大・投手・動画

「女手ひとつ」・・・。そのひと言では片づけられない苦労があった。中尾輝(動画)は愛知県名古屋市で中尾家の次男として産声を上げた。兄・翔さんとともにすくすく育ったが、中尾が5歳の時に両親が離婚。母の美恵さんが2人の息子を引き取った。

サッカーに夢中だった兄に対し、中尾は野球に関心を持つように。野球を始めた春日野小学校4年の時、キャッチボールをしようとした美恵さんだったが、ボールのスピードと威力に驚き、思わず逃げてしまったという。親子でのキャッチボールはその一度だけだ。

桜田中学校に進学すると、愛知津島ボーイズに所属した。美恵さんが言う。

「中学の時、最初は学校の部活動で野球をやっていました。その頃、私がダイエット目的で週1回、大江ゴルフスクールというところでゴルフを習っていたんです。練習嫌いだけど、コースに出るのは好きというタイプ。コンペにはよく行っていて、そこに偶然、津島ボーイズの監督と代表が参加されていたのがきっかけです。私のゴルフの先生も野球経験者の方で、『クラブチームに入った方がもっと野球が身に付く」と勧められて、輝に聞いたら『やりたい』というので入れることにしました」

しかし、母ひとりで家庭を支えるのは容易ではない。生活費だけでなく、野球を続けるための活動費や道具代を稼ぐため、早朝から日中は在宅介護のヘルバー、夜はスナックを経営してママとして働く毎日。

「とにかく負けず嫌いで、お父さんのいる家庭と同じように立派に育ててやるんだ、と思っていたので、死ぬ気で働いた」と振り返る美恵さんだったが、ある時、張りつめていた緊張の糸が切れる。

「平日は朝から晩まで働いて、土日は1時間かけて練習場に送り迎え。父母会にも参加しないといけなかったし、介護の仕事をしていた時は朝方5時ごろにオムツを替えに行ったりするので、体がすごくつらかった。ある時、輝に『ごめんね、お母さんもう、いっぱいいっぱいで疲れちゃった。野球、やめてくれないかな・・・』と言っちゃったんです。そうしたら『いいよ』と。その言葉を聞いてハッとして、私の負けず嫌いが出てきて、そう言われると逆にやってやると思ったところもありました。今でもそうですが、輝は一度も私に痛いとかつらいと弱音を吐いたことがなくて。私が野球をよく知らないからかもしれませんが(笑い)」

ここまできたらやるしかない、と腹をくくった美恵さん。名古屋市内に4LDKの一軒家を構え、食事面のサポートも強化した。1日5食、スタミナのつく手料理をふるまい、杜若高校入学時に62キロだった体重は3年になる頃には83キロに増加。

その料理の腕を生かし、中尾の高校卒業時には自宅から自転車で5分ほどの距離に「ほんわか安らぎのお店 居酒屋 団」をオープンした。

「息子がいつ帰ってきてもいいように、ご飯を用意して店で待っています。輝は豚汁とか、団なべという、鶏団子と豚バラがたくさん入った鍋が好きですね。ドラフト当日はお店を貸し切って、常連のお客さんと一緒に見守りました。ドラフト会議を見るためにお店のテレビも大きいものに新調して。指名されて良かった。今はファンの方がお花やヤクルトグッズを持ってきてくれます」

16日にヤクルトと契約金4500万円、年俸700万円で仮契約。以前から「温泉旅行をプレゼントしたい」と話していた。初任給の使い道は母親孝行となりそうだ。



下は2016ドラフトでヤクルトが指名した選手です。4位・中尾君のスカウト評はこちら


ヤクルトの2016ドラフト指名選手
1位寺島 成輝履正社高投手動画
2位星 知弥明治大投手動画
3位梅野 雄吾九州産業高投手動画
4位中尾 輝名古屋経済大投手動画
5位古賀 優大明徳義塾高捕手動画
6位菊沢 竜佑相双リテック投手動画
育1大村 孟BCL・石川捕手動画


draftkaigi at 12:12|この記事のURL

ドラフト選手の家庭の事情 (中日1位・柳裕也)

2016年11月22日

11/22、日刊ゲンダイ26面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2016中日ドラフト1位 柳裕也
明治大・投手・動画

柳裕也(動画)は、12歳にして父の葬儀の喪主を務めた。当時、小学6年生。母の薫さんは喪主を息子に頼んだのかどうか覚えていない。ただ葬儀の前夜、柳が一人、手紙を書いていた姿は今も目に焼きついている。

「プロ野球選手になって、お母さんと(2歳下の妹)幸奈を守ります。だから安心してください」。柳は翌日、涙を見せることなく手紙を読みあげた。宮崎県都城市内で運送業を営んでいた父・博美さんが仕事中の事故で亡くなった2006年8月のことだった。

「男はどんなにつらくても泣いちゃ駄目だ」。博美さんは生前、柳にこう伝えていた。薫さんは「父への思いが深かったから、手紙にしたためて言葉にしようと思ったのかもしれません」と言う。

博美さんは休日、幸奈さんを連れて、柳の練習や試合に付き添った。185センチの父は野球経験はなかったが、教本を買い与え、木材を自ら加工してバットを作った。キャッチボールの相手もした。

柳の小学6年時には所属していた「志比田スポーツ少年団」の会長を務め、チームはその夏、学童の全国大会である「マクドナルド杯」に出場。その年は茨城県水戸市で開催された。事故が起きたのは水戸から帰宅してわずか数日後。前日はチームの役員同士で反省会を開いていた。

父親を亡くしても気丈に振る舞う柳を、薫さんは支え続けた。ひたむきにプロ野球選手を目指す息子の姿に、薫さんもまた、支えられたという。外へ出ることがつらく感じた時期もあったが、薫さんの母、つまりは柳の祖母にも協力してもらいながら、練習から帰ってくるのを待って、温かいご飯を食卓に並べた。

薫さんは「今までと変わらないように、寂しく、冷たい思いだけはさせたくなかった」と振り返る。中学1年の12月に「都城リトルシニア」に入団すると、薫さんは毎日、車で送り迎えをした。

中学3年の夏、シニアの日本代表として世界選手権に出場、最優秀投手になった柳は、全国の高校から誘いを受ける中、少年時代からテレビで見た甲子園大会での「YOKOHAMA」のユニホームに憧れがあった。

「横浜高校は野球が強いところなんでしょ? プロ野球選手になるためにも、行きなよ」。薫さんはこう言って柳の背中を押した。遠く離れることになったが横浜高の家族的なムードの中で、指導者や仲間が支えてくれていると感じていたから、寂しいとは感じなかったという。

夏の予選など節目の試合には、宮崎から神奈川へ向かった。「来れる? 無理してない?」。柳は常に母を気遣った。「大丈夫、絶対いくから」。薫さんは息子の試合をスタンドから見守ることを励みにした。

高校2年の1月、柳はある社会人チームから誘いを受ける。「働いてお金をもらいながら、プロを目指すよ」。柳は薫さんにこう告げた。薫さんは進路について自分なりに精いっぱい考えた結果だろうと思った。ただ、進学したい気持ちがあることもわかっていた。大学での出会いは大人になってからも財産になる。そう思ったからこそ「大学へ行きなさい」と伝えた。

明大進学後も、折を見て神宮へ飛んだ。柳にとって大学最後の試合となった明治神宮大会の準決勝、決勝にも、1泊2日の日程で駆けつけた。

柳は高校、大学と私学だった。授業料は安くなかったし、家を出る分、仕送りも必要だった。薫さんは時間を見つけて幼稚園の手伝いなどをしながら生計を立てた。経済的な負担は決して小さくなかったが、学費は奨学金を借りて賄った。

「お父さんがいるという感覚で育ててきましたし、我慢をさせたくなかった。お金は少しずつ返していけばいい。私自身、今という時間を大切にしたいと思ってきました」と、薫さんは言う。

柳が明大在学中のある日、薫さんは一人、野球部寮がある京王線の多磨霊園駅(府中市)に向かった。その日は晴天が広がっていた。街を歩いていると、20年前がフラッシュバックした。柳はこの地で生まれ、3歳まで過ごしたのだ。

中学時代の同級生だった博美さんと薫さんは高校卒業後、それぞれ宮崎から東京に出た。地元での成人式で再会、結婚して府中に居を構えた。信号や建物を目印に当時の記憶を思い返しながら、かつて住んでいたマンションへたどり着いた。

柳は幼少期を過ごした場所で4年間、プロ野球選手への夢を追いかけることになった。94年に3314グラムで誕生、電車が好きで毎日、電車の模型を手に遊んでいた姿が昨日のことのように蘇った。薫さんは「不思議な縁を感じた」と振り返る。

晴れて夢がかなった柳は来年から拠点を名古屋に移す。新天地ではどんなことが待っているのだろうか。薫さんに楽しみが一つ増えた。



下は2016ドラフトで中日が指名した選手です。1位・柳君のスカウト評はこちら

中日の2016ドラフト指名選手
1位柳 裕也明治大投手動画
2位京田 陽太日本大内野手動画
3位石垣 雅海酒田南高内野手動画
4位笠原 祥太郎新潟医療福祉大投手動画
5位藤嶋 健人東邦高投手動画
6位丸山 泰資東海大投手動画
育1木下 雄介四国IL・徳島投手動画


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ドラフト選手の家庭の事情 (巨人1位・吉川尚輝)

2016年11月19日

11/19、日刊ゲンダイ45面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2016巨人ドラフト1位 吉川 尚輝
中京学院大・遊撃手・動画

吉川尚輝(動画)の父・好さんは、岐阜県羽島市出身。東海道新幹線の岐阜羽島駅から南に数キロ、長良川の近くで育った。今の自宅も近所にある。76年夏、市岐阜商高の「1番・中堅」で夏の甲子園に出場。元甲子園球児の好さんがこう言う。

「監督や先輩との上下関係が厳しくて、今では考えられませんが、殴る蹴るは当たり前の時代。最初は同級生が50人ほど入部しましたが、最後は17人になっていました。尚輝は足が速いといわれますが、私も足には自信がありまして、50メートルは5秒台。打球が三遊間へ飛べば内野安打になっていました」

高校卒業後、社会人野球の東邦ガスに入社。都市対抗には届かなかったものの、11年間現役生活を続けた。同社に勤続40年。現在も営業職に就くかたわら、吉川も所属した岐阜南ボーイズ(当時・羽島フジボーイズ)で監督を務め、今も中学生を指導している。

「大事にしているのは礼儀と勉強。昔は野球だけでも良かったかもしれませんが、今は野球だけじゃ高校に行けません。チームは強くありませんが、硬式ボールに慣れるとか体づくりとか、中学生には勝つことよりも大事なことがたくさんあります。どうせ全国大会に行くなら、中学より高校で甲子園に行った方がいいですから」(好さん)

吉川が野球を始めたのは2人の兄の影響も大きい。小学生になるか、ならないかの頃、一番上の友規さん、2番目の圭太さんと一緒に自宅の庭に「野球場」を造った。打席までの距離は大人用の18.44メートル。マウンドには土を盛った。そこで2人の兄と白球を追った。

「家が田んぼの真ん中にポツンとある環境でして、庭といっても田んぼと一体化しているんですよ。稲刈りした後なら走ったりはできます。ただ、稲の根本は残っていますから、ボールはイレギュラーしますよね。柔軟なグラブさばきが身についた? 多少はあるかもしれません(笑い)」(好さん)

愛知県名古屋市出身の母・陽子さんもスポーツウーマンだ。愛知県内の高校を卒業後、東邦ガス女子バレーボール部に所属。身長は163センチでセッターとして全国大会に出場した経歴を持つ。2人は社内結婚である。陽子さんがこう言う。

「尚輝が中学3年の時、野球をやめようとしたことがあるんです。チームは弱いし、勉強、勉強と言われて窮屈さを感じていたんだと思います。この時は高校野球の夏の予選を見せに行って何とか踏みとどまったんですが、今度は『中京高校に行きたい』と言い出しました(苦笑い)。寮生活だし、同じ岐阜でも遠いんです。ただ、『誰も知らない環境で野球をやりたい』って。末っ子で口数も多い方ではなくて、何を考えているのか分かりかねているところがあったんですが、初めて自分の意見を言ったので、よく覚えています」

好さんは「3人兄弟の中で一番センスがあるから大丈夫かな」と快く送り出した。その後、進んだ中京学院大・近藤正監督もこう証言する。

「野球センスがズバぬけていて中京高校の頃から知っていました。先輩の菊池(現広島)の大学4年時と比べても、ほぼ同レベル。同じショートですが、守備は吉川の方が少し上でしょうか。お父さんも足が速い選手でした。高校時代に甲子園経験があって東邦ガスでも1番を打っていました。お母さんもバレーボールの選手でしょう。能力が高いのは親譲り。菊池の時同様、とにかく野球が嫌いにならないように、口うるさく言わないようにしました。教えるなんておこがましい。私はただ見守っただけです」

14日に巨人と契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円の最高額で仮契約を結んだ。背番号「0」に決まった「菊池2世」は、両親から受け継いだ驚異的な身体能力を武器に、低迷している巨人に風穴をあける。



下は2016ドラフトで巨人が指名した選手です。吉川君のスカウト評はこちら

巨人の2016ドラフト指名選手
1位 吉川 尚輝 中京学院大 内野手 動画
2位 畠 世周 近畿大 投手 動画
3位 谷岡 竜平 東芝 投手 動画
4位 池田 駿 ヤマハ 投手 動画
5位 高田 萌生 創志学園高 投手 動画
6位 大江 竜聖 二松学舎大付高 投手 動画
7位 廖 任磊 台湾・開南大 投手 動画
育1 高井 俊 BCL・新潟 投手 動画
育2 加藤 脩平 磐田東高 外野手 動画
育3 山川 和大 BFL・兵庫 投手 動画
育4 坂本 工宜 関学大・準硬式 投手 動画
育5 松原 聖弥 明星大 外野手 動画
育6 高山 竜太朗 九州産業大 捕手 動画
育7 堀岡 隼人 青森山田高 投手 動画
育8 松沢 裕介 四国IL・香川 外野手 動画


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ドラフト選手の家庭の事情 (西武3位・源田壮亮)

2016年11月18日

11/18、日刊ゲンダイ27面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2016西武ドラフト3位 源田壮亮
トヨタ自動車・遊撃手・動画

源田壮亮(動画)が生まれ育った大分市北明野。新日鉄住金大分製鉄所のお膝元として、発展したという歴史がある。

「大分製鉄所は新日鉄が最後に造った製鉄所です。建設は昭和46年。明野地区はそれ以前から住宅地として開発されていたようですが、社宅を中心に発展した経緯があるんです。私も新日鉄に勤務。堅い職業なんですよ(笑い)」。こう話すのは父の光明さん。大分製鉄所の安全環境防災部安全健康室に勤務している。

「今は嘱託ですが、昔から部署は同じでした。主な仕事は社内の安全教育ですね。災害や安全に関する法律などを教えたりしています」。

そんな堅い父の下に生まれた源田が最初に経験したのは、ソフトボールだった。

「明野地区は野球よりソフトボールが盛んなんです。おそらく、大分製鉄所が発足した当初の社員に、好きな人が多かったんじゃないですかね。九州は福岡や鹿児島などソフトボールが人気ですが、大分は明野以外は少年野球が多いですから」。

源田は小学校3年生の時、2歳上の兄と共に明野西小学校でソフトボールを始めた。6年になって遊撃を守り、卒業後は明野ビッグボーイズに入団。野球経験がないにもかかわらず、1年で遊撃のレギュラーを取ったのだから驚きだ。

「みなさん、そこを勘違いする人が多いんですよ。でも、ソフトボールには野球をする上で必要なものが詰まっているんです。まず、硬式球より重いソフトボールのボールを扱えば、肩が強くなる。例えば軟式出身の中学生だと、ベースの対角線上に送球が届かないことがある。肩だけに注目すれば、その差は歴然ですね。阪神の福留選手も、小学生の頃は地元鹿児島でソフトボールをやっていましたからね」。

光明さんは、さらにこう続ける。

「ゴロを打った時のバウンドも軟式は大きく跳ねるけど、ソフトボールは硬式に近い弾み方をします。ベース間が野球より短いので、内野も送球の素早さが求められる。捕球してすぐに投げる癖がつくのも、ソフトボールの特徴です。壮亮も高校や大学の指導者の方々から、『捕ってから投げるまでが早い』と評価されたと聞いています」。

スカウト陣からは「打撃は非力」と課題を挙げられながらも、内野守備はピカイチと評価の高い源田。ソフトボールで培った基礎力が、そのまま野球にも生きたということだろう。

「いや、私も、もしかしたら・・・とは思っていましたけど、まさかプロ野球で、しかもドラフト3位とは・・・。まさか、まさかですよ」。そう言って照れる光明さんは、次男坊を「ヤンチャな子でした」と評する。

しかし、そんな光明さんの背中に母の靖子さんが「ヤンチャじゃない」とひと言。「え、じゃあ何だ?」と父が問いかけると、母は「元気だった!」と返した。ほほ笑ましくなる夫婦のやりとりの後、光明さんは「そうそう、元気な子だった(笑い)」と、こう続ける。

「一日中、外で遊んでいる子でしたね。周囲にゲームにハマるような友達もいなかったので、運よく元気に育ってくれました(笑い)」。

4LDKのマンション住まい。長男が就職して家を出たので、現在は夫婦2人で暮らしている。「子供が2人いた時はそうでもなかったんですけど、今はすっかり広くなっちゃいましたね」と言う光明さん。西武で活躍し、両親の住む九州までその名をとどろかせたいところだ。



下は2016ドラフトで西武が指名した選手です。3位・源田君のスカウト評はこちら

西武の2016ドラフト指名選手
1位今井 達也作新学院高投手動画
2位中塚 駿太白鴎大投手動画
3位源田 壮亮トヨタ自動車内野手動画
4位鈴木 将平静岡高外野手動画
5位平井 克典ホンダ鈴鹿投手動画
6位田村 伊知郎立教大投手動画


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ドラフト選手の家庭の事情 (楽天1位・藤平尚真)

2016年11月17日

11/17、日刊ゲンダイ31面「ドラフト選手の家庭の事情」より

2016楽天ドラフト1位 藤平尚真
横浜高・投手・動画

185センチの大型右腕・藤平(動画)は東京湾に面する千葉県南部の富津市で育った。市内の吉野小学校1年のときからボールに触れると、6年のとき「ロッテマリーンズ・ジュニア」に入団。このときはエースになれず、中継ぎ投手としてマウンドに立っていた。

富津市立大貫中学校ではなぜか1年時にバドミントン部、3年時に軟式野球部に所属したが、実際は「千葉市リトルシニア」で投手兼サードとしての活動が中心だった。それでも、人並み外れた運動神経は学校中で有名になり、各部活動で大会が近づくと、助っ人としてお呼びがかかったという。

陸上部からヘルプコールが起こると、ジュニアオリンピックの走り高跳び部門で190センチを跳んで金メダル(自己ベストは201センチ)。県大会前の地区予選ではハードル部門で優勝した。大貫中学校体育科教師の千艘裕一郎さんはこう話す。

「1年生のときは少しやんちゃな部分もありましたが、2年生からは礼儀正しくて言葉の使い分けもしっかりとできていました。身体能力に関しては他の子よりも頭2つ、3つ抜けていて、スイッチが入ったときの集中力は凄まじかった。努力も怠らない真面目な子でしたね。3年生のとき体育祭の応援団長をやったんですが、その年の夏に侍JAPAN(U―15)に選ばれて公欠したり、歯にウイルスが入って化膿したために入院したりして応援団の練習を休むことも多くあった。それなのに、1回振り付けを見ただけでほとんど覚えていたのには驚きました」

千葉シニアの加藤正次監督もこう証言する。

「投げることが大好きで、順調に育てばプロに行くだろうなと思っていました。3年の夏にシニア選手権の初戦(新潟シニア戦)でプレーボールから10者連続三振を取ったときは圧巻でした。その試合も次の試合も完投させたので、3戦目(準々決勝)は休ませてレフトを守らせたんですが、2番手のピッチャーが打ち込まれたんです。ふっとレフトを見たら、藤平がベンチに向かって肩をぐるぐる回してアピールしていたんです」

その姿を意気に感じた監督は最終回に登板させると、初球で138キロを計測した。

闘志むき出しの性格を見せる一方で、親思いの一面も。両親は共働きで、母の直美さんは美容院を経営し、父の武美さんも会社員。野球の練習相手はもっぱら祖父の鎌田幸一さんだった。かつて少年野球の監督も務めていた幸一さんの自宅も藤平家からほど近い富津市内だったため、そこでキャッチボールや素振りをする孫を叱咤激励していたという。

両親も多忙の合間を縫って、毎週末のように千葉市内にあるシニアのグラウンドへ向かった。自宅から車で片道1時間半かけて息子の応援に行った。そんな両親の支えに藤平は、中学3年の夏、日本選手権の壮行会で両親に宛てた手紙を朗読。ボロボロと涙をこぼしながら、感謝の気持ちを伝えたという。

ドラフト会議が終わり、プロ入りが決まった10月末、大貫中学校ではこんなこともあったという。

「ドラフトの直後、藤平くんに『母校の生徒に話をしてくれないか』と頼んだところ、快諾してくれて、先月末、道徳の授業の一環で3年生のクラスにスペシャルゲストとして呼びました。24人の生徒の前で『夢や目標を諦めないで続けよう』とか『挫折を乗り越えれば大きく成長できる』といった話を堂々とした様子で話していた。立派で貫禄さえ感じましたね。母校や恩師のことを忘れず、恩義を大切にする男だなと改めて思いました」(前出の千艘先生)

杜の都でどこまで成長するか。



下は2016ドラフトで楽天が指名した選手です。1位・藤平君のスカウト評はこちら

楽天の2016ドラフト指名選手
1位藤平 尚真横浜高投手動画
2位池田 隆英創価大投手動画
3位田中 和基立教大外野手動画
4位菅原 秀大阪体育大投手動画
5位森原 康平新日鉄住金広畑投手動画
6位鶴田 圭祐帝京大・準硬式投手動画
7位野元 浩輝佐世保工高投手動画
8位石原 彪京都翔英高捕手動画
9位高梨 雄平JX-ENEOS投手動画
10位西口 直人甲賀専門学校投手動画
育1千葉 耕太花巻東高投手動画
育2南 要輔明星大内野手動画
育3向谷 拓巳BFL・兵庫内野手動画
育4木村 敏靖履正社専門学校投手動画


draftkaigi at 07:28|この記事のURL


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