あのドラフト選手は今・・・
あのドラフト選手は今、社長になった香月良仁
2023年01月22日

2008ロッテドラフト6位 香月良仁 熊本ゴールデンラークス・投手・24歳 |
「アスリートから、どうやって起業すればいいですか、なんて相談されることがありますが……」。
苦笑しながらこう話すのは、投球専門の野球教室やイベント事業を手掛ける「R&Associates」の代表取締役・香月良仁氏(2008ロッテ5位)だ。この問いかけに、いまだ適切な答えを見つけられないのは、氏のマインドが一風変わっているからだ。
プロ入り前の社会人野球時代から起業家になりたいという目標があった。念願のプロ入りを果たしてからも経営本を読み漁り、遠征先では現地の経営者やサラリーマンと交流。チームメートと外食することは少なかったという。
2016年にロッテを退団すると、古巣の鮮ど市場に戻り、19年に退団。起業を決意した。
「多くの人は“コレを事業にする”と決めてから起業すると思います。でも、僕は違った。本を読んで、人とも会って、たくさん知識をインプットしていました。それが実際に使えるものなのか、社会という実戦で試していくために会社をつくった。まずは経営者の目線に立ってみたかったのです」
衣食住に困らなければ何が起きても問題ないと考えている。事業に行き詰まったとしても、日雇いバイトを30日間やれば約30万円になる。これだけで十分に生活できるというわけだ。
それでもリスクヘッジは欠かせない。心掛けているルールは3つある。貯金を使い果たさないこと、大きな借金をしないこと、他人に迷惑を掛けないこと。
「僕のチャレンジに対し、周りから『失敗する』などとネガティブな声を聞くこともある。でも、3つのルールを守っている限り、何が起きても僕にとっては失敗ではありません。勉強代です」
2020年3月に起業。当初は高校野球の指導やパーソナルトレーナーなどをしていたが、直後にコロナ禍に見舞われた。そこにビジネスチャンスがあった。
「日本中で感染症対策グッズが不足しましたが、僕はコロナ関連商品を扱う商社と縁があった。そこから大量に仕入れて、不足している施設や法人に販売する営業代行を始めました。多い月で100万円ほどの収入を得ることができました」
もっとも、当初は手探りの日々だった。「飛び込み営業しても、普通に断られて(笑)。『どうしたら買ってくれますか』なんて聞くと、見積もりや請求書、納品書などが必要だと初めて知ったくらい。慌てて会社の口座もつくりました」
紆余曲折を経て成功を収めたが、「売り手」を続けることの限界も感じていた。=つづく

ロッテの2008ドラフト指名選手 | |||
1位 | 木村 雄太 | 東京ガス | 投手 |
2位 | 長野 久義 | ホンダ | 外野手 |
3位 | 上野 大樹 | 東洋大 | 投手 |
4位 | 坪井 俊樹 | 筑波大 | 投手 |
5位 | 山本 徹矢 | 神戸国際大付高 | 投手 |
6位 | 香月 良仁 | 熊本Gラークス | 投手 |
★プロ入り後の成績★ |
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あの甲子園優勝投手は今、南竜次(ドラフト4位)
2023年01月17日

1990日本ハムドラフト4位 南竜次 天理高・投手 |
「もともと全然大したことない選手でしたから、プライドが邪魔をするなんてことはありませんでした」。こう話すのは、現在、家電製品の設置や飲食店経営などを手掛ける「株式会社AIRECサービス」の代表取締役を務める南氏(1990日本ハム4位)だ。
天理高時代の1990年、夏の甲子園優勝投手となり、日本ハムにドラフト4位で入団。4年目に肘を痛めたことが原因で、97年に戦力外に。一軍での登板はわずか11試合にとどまった。翌年、米独立リーグに挑戦するも、半年後に帰国。最初に就いた職は引っ越しのアルバイトだった。
「大阪の実家に帰って、すぐバイトを始めました。日本ハムからもらった契約金は両親に渡していましたが、もう残ってなかったんですよ(笑)。とりあえず割のいい仕事ということで日当1万円ほどの引っ越しバイトを。『あれ、南君じゃない?』なんて話しかけられても、恥ずかしいとかまったく思わなかった。元プロ野球選手だぞ! 甲子園V投手だぞ! なんて、おごることもない。そもそも甲子園優勝はトーナメントによる運も大きいですから!」
一般人が音を上げるような作業でも難なくこなし、3カ月ほどで正社員に勧誘された。しかし、給料面の問題で断り、次に灯油の巡回販売員のアルバイトに就いた。
灯油を積んだ車で、スピーカーで宣伝しながら決められた道を巡回するこの仕事の給与は歩合制。繁忙期の冬は朝7時に出社し、8時ごろにタンクローリーに乗り込む。順路の途中で灯油が空になったら、事務所に戻って補給し、中断地点から再開。仕事を終えて会社に戻るのは夜10時ごろで、そこから精算作業をすると、退社時には日付が変わっていたという。
「週6回の勤務でした。そんな生活を送りながら、引退後初めての冬を越しました。月収は70万円ぐらい。しんどかったけど、稼げたんです。この会社は冬に灯油を売り、夏はエアコンの設置を請け負っていた。だから、夏場は先輩の見習いとしてエアコン設置に付いていき、ノウハウを学びました」
会社の業績は好調で、99年10月には名古屋支店がオープン。南氏にとっては願ってもない展開となった。
「現役時代から付き合っていた当時の彼女で今の妻は、名古屋に住んでいました。それまで、大阪から会いに行っていたので、本当にラッキーだと。名古屋支店の立ち上げメンバーに立候補して、正社員になった。支店の課長の肩書も付きました。店長と私の2人だけでしたけどね(笑)。ちょうどこの時期に結婚しました」
新生活を始めた南氏だが、思わぬ事態に見舞われる。(つづく)

日本ハムの1990ドラフト指名選手 | |||
1位 | 住吉 善則 | プリンスホテル | 内野手 |
2位 | 石本 努 | 別府大付高 | 内野手 |
3位 | 小島 善博 | NTT九州 | 投手 |
4位 | 南 竜次 | 天理高 | 投手 |
5位 | 小牧 雄一 | 三菱自動車水島 | 捕手 |
6位 | 真栄喜 正和 | 川崎製鉄水島 | 外野手 |
★プロ入り後の成績★ |
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あのドラフト選手は今、野田昇吾(ドラフト3位)
2022年11月03日

2015西武ドラフト3位 野田昇吾 西濃運輸・投手 |
第二の人生が開幕する。ついにデビューを果たす野田昇吾(2015西武3位)が、前検一番時計の6秒53をマークして強い思いを口にした。
「すごく楽しみです。マウンドとは違った緊張感がありますね。スタートラインと言うか、ボートレーサーの第一歩だなと思う。一番時計はびっくりしているけど、ハンデをいただいたと思って楽しみたい」
プロ野球・埼玉西武ライオンズで中継ぎ左腕として活躍し、2018年は自己最多の58試合に登板。10年ぶりのパ・リーグ優勝に貢献したが、20年オフに戦力外通告を受けた。
「ボートレースは野球時代からファンとして知っていたし、野球が駄目だったら、ボートと決めていました。身長も小さいし、身近に感じていた。戦力外通告を受けたときに第一にボートレーサーが思いついた」
12球団合同トライアウト後に引退を発表。野球界には別れを告げたが、アスリートとしてプロスポーツにこだわる姿勢は崩さなかった。身長167センチ。小柄な体格を生かせるボートレーサーを志して養成所の門を叩き、1953年の早瀬薫平(阪急時代は早瀬猛)以来、69年ぶり2人目のプロ野球からの転身を遂げた。
1走目に向けては「妻から『全て初めての経験。いろんなことを試してきな』と言われました。迷惑をかけないように走りたいけど、舟券に絡みたい気持ちが一番強いです」と静かに闘志を燃やす。自身のツイッターに多くのファンからメッセージが届いており、「ファンあってのスポーツ。感謝の気持ちで一走、一走、走りたい」と決意を新たにする。
注目のデビュー戦はオープニング1R。6号艇で登場する。大きな挫折を味わった苦労人が、舞台を変えて再び輝きを放つ。

西武の2015ドラフト指名選手 | |||
1位 | 多和田 真三郎 | 富士大 | 投手 |
2位 | 川越 誠司 | 北海学園大 | 外野手 |
3位 | 野田 昇吾 | 西濃運輸 | 投手 |
4位 | 大滝 愛斗 | 花咲徳栄高 | 外野手 |
5位 | 南川 忠亮 | JR四国 | 投手 |
6位 | 本田 圭佑 | 東北学院大 | 投手 |
7位 | 呉 念庭 | 第一工大 | 内野手 |
8位 | 国場 翼 | 第一工大 | 投手 |
9位 | 藤田 航生 | 弘前工高 | 投手 |
10位 | 松本 直晃 | 四国IL香川 | 投手 |
★プロ入り後の成績★ |
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失踪で世間を騒がせた門倉健氏(元中日)は今・・・
2022年01月20日

1995中日ドラフト2位 門倉健 東北福祉大・投手・22歳 |
昨年5月以降、計3度にわたる失踪騒動で世間を騒がせた中日ドラゴンズの元二軍投手コーチ・門倉健氏(1995中日2位)。中日は、1度めの騒動を受け、5月26日に退団を発表。不可解な失踪劇はワイドショーでもたびたび報じられた。
8月には、「週刊文春」に北陸地方の海の家で働いている様子を報じられたが、それ以降、再び行方知れずになっていた。
そんな門倉氏が、昨年11月28日、騒動以来初めて公の場に姿を現わしていた。近畿地方でおこなわれた少年野球大会の始球式に “登板” していたのだ。少年野球チームの保護者の一人、Aさんが語る。
「門倉さんはアントニオ猪木の入場曲に乗って登場し、直球をど真ん中に投げ込みました。子供たちからは、歓声が上がっていましたよ。終始楽しげな様子で、写真撮影やサインにも気さくに応じていましたね。皆さんも報道のことは知っていましたが、門倉さんのあまりのいい人ぶりに、『すばらしい人やなあ』と口を揃えていたほどです」
Aさんは、この始球式の数カ月前に門倉氏と知り合い、息子に野球の指導をしてもらうなかで、親交が深まっていったという。
「私の自宅の横に投球練習場があるのですが、そこで4人の小学生に指導をしてくれました。体の大きい子に対しては、『長身なら、なおさら体を大きく動かしなさい』とアドバイスしていました。いつも親身になって教えてくれるので、『門倉さん、これ、お金取ってやったほうがいいですよ』と言うと『いや、僕はそういうことはもうしないんです』と話していました」(同前)
2歳下のAさんには親近感を覚えたのだろう、失踪当時の心境を明かすこともあったという。
「『失踪したときは、本当に頭がおかしかった。人が信用できなかった』とか、遠くの山を見ながら『富士山の樹海に入って本気で死のうと思ったんです』などと話をしてくれて。今はどう思っているかわからないですけど、『できることなら野球界に復帰したい』とも言っていました」(同前)
年始の挨拶は来たそうだが、始球式以降は会っていないというAさん。本誌は、そんな門倉氏の姿を1月13日、埼玉県内で目撃した。門倉氏を知るプロ野球関係者が明かす。
「門倉さんは今、妻のいる自宅には戻らず、実家にいます。これまで、奥さんが門倉さんに対して『親とは会うな』と言っていたらしく、彼が両親と会うのも数年ぶりだったようです。お金は奥さんが管理しているので、彼は今、経済的に苦しんでいるのではないでしょうか。じつは現在、奥さんとの間で離婚調停が進んでいます。以前から、奥さんのことは『あまり好きじゃない』『家には帰りたくない』とこぼしていましたからね……。昨年末に話がまとまる予定でしたが、離婚成立までもう少しかかるようです」(同前)
本誌は、現在の生活ぶりや失踪した原因、妻との関係などを尋ねようと門倉氏を直撃したが、終始無言を貫き、実家へと戻っていった。少年野球の始球式で、たった1球の “投手復帰” を果たした門倉氏。Aさんに語った、球界復帰の夢がかなう日は来るかーー。

中日の1995ドラフト指名選手 | |||
1位 | 荒木 雅博 | 熊本工高 | 内野手 |
2位 | 門倉 健 | 東北福祉大 | 投手 |
3位 | 藤井 優志 | 大阪学院大 | 捕手 |
4位 | 渡辺 博幸 | 三菱自動車川崎 | 内野手 |
5位 | 大塔 正明 | 近畿大 | 投手 |
6位 | 益田 大介 | 竜谷大 | 外野手 |
7位 | 日笠 雅人 | 新日鉄君津 | 投手 |
★プロ入り後の成績★ |
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あのドラフト選手は今、仲田幸司(阪神3位)
2021年03月20日

1983阪神ドラフト3位 仲田幸司 興南高・投手 |
人懐っこい笑顔は変わらなかった。重機が行き交い作業員が慌ただしく動く建築現場で、ヘルメットをかぶった仲田幸司(1983阪神3位)は現場を指揮していた。
一日の作業は朝早く始まる。ミーティングで作業内容の確認と安全注意事項について報告を受け、注意を促す。現場を統括するゼネコンの責任者と打ち合わせし工事の進捗をチェックする。
担当するのは主に基礎部分。一つの油断が建物の安全性、耐震性に影響するから気が抜けない。基礎部分の杭の本数や深さ、コンクリートの量が設計通りか、常に確認し細かく写真を撮り万全を期す。冬は寒く、夏は暑い。ハードな環境だが、やりがいを感じている。
「似ているところがあるんです。野球と。ミーティングをして準備し確認し、そして実行する。現場は一つのミスが大事故にもつながる。命に関わるから、決して気を緩めることはできません」
基礎部分の工事が終われば、次の現場に移る。後日、関わった現場にマンションやショッピングセンターができ、多くの人の生活の拠点になったことを確認すると、笑顔になる。
「気持ちがいいですね。決して目立つことはないけど、職人さんたちと一つになった結果、街ができれば本当にうれしい」。勝利投手になったときの充実感に似ているかもしれない。
83年ドラフト3位で入団し阪神が日本一になった85年5月12日のヤクルト戦で初勝利を完封で飾った。88、89、93年と3度の開幕投手を務めた。ボール連発で首脳陣をハラハラさせたかと思えば、はまったときは巨人打線も沈黙させる。
89年7月の伝統の一戦では完封勝利で、11試合連続完投勝利中だった相手エース斎藤雅樹に土をつけた。だが、その後は厳しい人生が待っていた。「悔いがあるとすれば、あのFA。阪神を出るんじゃなかった」。
95年オフのロッテへのFA移籍から暗転。97年限りで引退し野球解説、ラジオのパーソナリティーなどにチャレンジしたが、露出は次第に減り、仕事も私生活もうまくいかない時期を経験した。そんな時に声をかけてもらったのが掛布雅之。
「一度きりの人生。マジメに取り組め」とかつて自身のマネジャーで阪神OBの西浦丈夫が経営する建設会社「山河企画」を紹介された。「中途半端なままでは、応援してくれる人、現場の人に迷惑をかける。もう逃げない」。仕事に打ち込むことを誓い、現在に至る。
応援しているのは掛布だけではない。「マイク、元気か。メシを食おう」と昨年、連絡をくれたのが笑福亭鶴瓶だった。仲田のノーコンぶりをトークのネタにした縁はあったが、会うのは久しぶり。
近況報告を笑顔で聞いた鶴瓶からは「マイクが関わった建物なんて危なくて入れんわ」と一流のジョークで、日々の頑張りをねぎらわれた。「逃げずにやっていれば、誰かが見てくれる。だから、今できることを精いっぱいやるしかない」。仲田は再び重機の動きに視線を走らせた。

阪神の1983ドラフト指名選手 | |||
1位 | 中西 清起 | リッカー | 投手 |
2位 | 池田 親興 | 日産自動車 | 投手 |
3位 | 仲田 幸司 | 興南高 | 投手 |
4位 | 川原 新治 | 大阪商大 | 投手 |
5位 | 吉川 弘幸 | 大成高 | 外野手 |
6位 | 岩切 英司 | 住友金属鹿島 | 捕手 |
★プロ入り後の成績★ |
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